1967年福岡県生まれ。バイクで放浪の旅を経て、軽井沢の広告会社に入社。その後、星野佳路氏に誘われ、ヤッホーブルーイングに入社。2008年、同社社長に就任。
撮影:竹井俊晴
とことんまでやるんだ。まだやれることは残っていないか?
当時ヤッホーブルーイング社長だった星野佳路の言葉を受け、「前しか見ない」と決めた井手直行(52)に、もう一つの“啓示”が降ってきた。
退職した社員のロッカーを片付けていると、古びた手紙がスッと手の中に収まった。開いてみると、走り書きのような数行が目に留まった。
「この度はご出店ありがとうございました。一緒にインターネットで世界を目指しましょう。 楽天 三木谷浩史」
ガツンと頭を殴られたような思いがした。
手紙の日付は1997年6月。楽天市場がオープンしたわずか1カ月後に、ヤッホーはネットショップを開店していた。しかし、それから7年近く、その販路を生かすこともなく開店休業状態が続いていた。
かたや楽天は飛ぶ鳥を落とす勢いで上場まで果たし、同時期に創業したヤッホーとは雲泥の差だ。
井手は、年齢がさほど違わない三木谷と自分を重ね合わせ、「悔しくてたまらなかった」という。
「この違いは何だ? どうしてここまで差が開いてしまったんだ?と自問自答しました。そして、その違いは“信じ切れるかどうか”だと気づいたんです。
インターネットという可能性を信じて突き進んだ三木谷さんと、『地ビールのブームは終わった』と半ば諦めかけていた僕。その違いがここまでの差を生んだんだと。あの頃の僕には、今からでもなんとかなると信じ切る力が必要でした。『三木谷浩史にできて井手直行にできないわけないだろう!ないだろう!ないだろう!』と1000回くらい自分に言い聞かせて奮い立たせていました。
僕には勇気の鎧が必要でした」
37歳、人差し指タイピングから始めたEC
この手紙の発見がきっかけで、井手は「インターネット通販」に最後の活路を定めた。本腰を入れるため、営業部を抜けて1人でネットショップ開発に専念するのだが、すぐに壁にぶち当たった。井手はインターネットはおろか、パソコンさえまともに触ったことがなかったのだ。
「やっと話を聞く気になっていただけたんですね!」と喜ぶ楽天の店舗担当者(ECコンサルタント)に相談し、基礎から学ぶための店舗向け講座に参加することに。数十万円の受講料と新幹線代のコストは「必ず売り上げでカバーする」と、社内には大見栄を切った。
六本木ヒルズの会場に集まった参加者は皆若く、人差し指で1つ1つキーボードを打つ37歳の井手は小さくなっていた。手付かず状態だったヤッホーの店舗ホームページは見づらく、特にデザイン面においては改善の余地だらけだった。
「うちのホームページ、垢抜けていないし、ひどいですよね。キレイにするには何から手をつけたらいいでしょうか」
講師に聞くと、こんなアドバイスが返ってきた。
「井手さんにできることは何ですか? ネット通販は個性が命。デザインができなければ、まずは中身で。できることで勝負すればいいんですよ」
メルマガアップの翌日在庫が完売
イチから学んだネット販売戦略が成功し、倒産の危機を脱した。
ヤッホーブルーイング提供
自分にできることは何か。うちの個性的なビールの魅力について語ることなら、いくらでもできる……!
その夜、新幹線で長野の自宅に帰るや、井手はパソコンを立ち上げた。暗い部屋でディスプレイに顔を白く照らされながら、気づけば夢中でキーボードを打っていた。
当時、売り出していた「英国古酒」(後に「ハレの日仙人」と改名)という長期熟成ビールについて、製造のこだわりや開発秘話、なぜ750mlで3000円という高価格帯になるのかという理由を説明する文章をひたすら書いた。
人差し指がジンジンと痺れるのも気にせず、仕上げた原稿をホームページとメルマガにアップした。改行がほぼない、スクロールして1メートルほどにもなる長文。愚直な情熱をそのまま投げた。結果は——。
それまでほとんど動いていなかった商品への注文が深夜から殺到し始め、翌日には在庫分が完売。慌てて増産をかけてもまた売れた。さらに購入客から「おいしかった!」「珍しいビールをつくってくれてありがとう」と反応がダイレクトに返ってきた。
社員からの相談には最優先で時間をつくる。
撮影:竹井俊晴
自分の言葉で思いを伝えるだけで、こんなに興味を持ってくれて、喜んでくれる人がいるんだ……。
井手が“ファンとのつながり”を初めて肌で感じた出来事だった。以後、井手は飾らない等身大の言葉でヤッホーの社内で起きたたわいもない出来事を発信するようになる。「てんちょ」というニックネームもこの頃に定まった。
「スタッフのニックネームが決まったので発表します!」「皆でスノボ遊びに行きました。車中でかかって盛り上がったBGMはこんな曲でした!」など、商品とはほぼ関係のない“内輪ネタ”がメルマガの大半を占め、2004年当時としては異色のコミュニケーションスタイルに。しかし、これがジワジワとコアなファンを増やし、そのうち、ファンとの交流そのものを発信するようになる。
ある象徴的なエピソードが、2006年4月のメルマガに残っている。
「井手さんは本気だと分かりました」
全国各地から講演依頼が舞い込み、数カ月先まで予定が埋まる。
撮影:竹井俊晴
三重県在住の購入客から「買った商品と違うものが届いた」というクレームの電話が入り、井手が誠心誠意お詫びを伝えた。そのうち会話が盛り上がり、「実は夫婦で愛飲しているんです。醸造所は見学できるんですか?」と発展。驚きつつも「ええ、もちろんです!」と答えると、翌週、本当に新幹線を乗り継いで訪問された。聞けば、この用事のためだけに会社を休んできたという。
井手と醸造担当者が付きっきりでもてなし、途切れることのない質問に答えた。自分たちがつくっている商品をこんなに愛してくれているお客さんがいることに感動した。宿泊先とよなよなエールが飲めるレストランを案内し、駅まで送り届けた。旧知の友人と別れたような淋しさを感じていると、帰路についたお客さんからこんなメールが届いた。
「井手さん、『よなよなエールに命をかけている』とおっしゃいましたね。口だけの人が世の中にはたくさんいますが、井手さんは本気だと分かりました。真心・気配り・心意気・志・魂・真実・人柄、本当にありがとうございました!」
撮影:竹井俊晴
ファンとの出会いと感謝を綴る文面はさらにファンの心をつかみ、ネット通販の売り上げはみるみる上がっていった。
「信じ切る」と決めた井手は“愚直の天才”へと進化していた。ECコンサルタントの助言を素直に聞いて実践したネット限定の「父の日キャンペーン」は、月1000万円の売り上げを記録。当時の担当者だった七尾(旧姓・林)亜紀子は、こう振り返る。
「井手さんに提案すると、『分かりました!やってみます!』と即答が返ってくる。まだ20代だった私の提案も聞き入れるフラットな姿勢が印象的でした」
2007年に楽天の「ショップ・オブ・ザ・イヤー」を初受賞。翌年、井手は星野から全権を任され、社長に就任した。楽天の「ショップ〜」は以後、10年連続受賞した。
倒産寸前からの劇的な快進撃。しかし、この後に、もう一つの試練が井手を待っていた。
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。