1967年福岡県生まれ。バイクで放浪の旅を経て、軽井沢の広告会社に入社。その後、星野佳路氏に誘われ、ヤッホーブルーイングに入社。2008年、同社社長に就任。
撮影:竹井俊晴
今のヤッホーブルーイングに出会うまで、社長の井手直行さん(52)はまさに「自分のやりたいことが分からない」と回り道を重ねていました。そんな28歳の頃を振り返ってもらいます。
僕が28歳だった時といえば、まさに不安と混乱の真っ只中。自分探しの放浪の旅を終えてやっと就職したはずの3社目も辞めてしまい、無職に突入した頃。我ながら、「おいおい、大丈夫か」と心配したくなるような若者でした。
きっと僕はまだつかめていなかったのでしょう。バイクで一人旅をしながら探し求めていた「やりたいこと」を。
あの頃の僕は、“ここではないどこか”へ向かえば、何かが見つかると思っていました。けれど、北の大地まで走っても、流れる雲をずっと見ていても、心の底から「これだ」と思えるものは見つかりませんでした。
素敵な人にもたくさん会えました。でも、その人たちは皆、その人だから歩める人生を生きていて、僕がそのマネをできるわけではありませんでした。
答えが見つからなかった理由は、今なら分かります。
自分の“外側”を探しても見つかるわけがないのです。あの後、情けない失敗や挫折も経験して、僕は自分自身の“内側”に生まれた目標を「信じ切る」ことで、ようやく夢中になれる天職をつかめたのです。
「やると決めたことを信じ切る」と自分に誓ってから、僕は一番苦手意識を持っていたインターネットに本気で向き合うことにしました。デジタルネイティブの若い人たちには笑われるかもしれませんが、僕は37歳時点でキーボードを打つこともできなかったのです。
何をやっても売れなくて、背水の陣で挑んだネット販売で「よなよなエール」は命を吹き返し、大きく羽ばたくことができました。「自分には向いていない」と思っていたことを乗り越えた先に、僕が大好きな世界が待っていました。
自然豊かな大地で、風と音楽を感じながらビールを飲み、大好きなお客さんたちと乾杯する。ファンイベントで味わえる幸せは、バイク旅をしていた頃の僕が求めた理想そのものだと思います。
面白さに気づくまでに10年かかった
「ヤッホーで働きたい」と全国から社員が集まる。写真は2019年の入社式の様子。
ヤッホーブルーイング提供
でも、当時の僕には「そのまま迷っていいんだぞ」と言ってあげたいです。
今は不安だろうけど、そのままやりたいことを探していったら、いつか天職に出合えるよと。
若いうちは皆迷うもの。迷いの中にあっても自分自身を信じて、諦めずに進むことが大切なんです。
やりたいことが見つからなくても、「こっちかな」「あっちかな」となんとなく興味が向く方向に進んでいけば、道は続いていくはずです。進み方は、僕のように転職かもしれないし、会社の中の異動かもしれません。その時は天職だと思っていなかったものが、ある日それに変わることだってあると思います。
僕もヤッホーブルーイングに入社した当初は「巡り合えた」とは感じていませんでした。本腰を入れて仕事の面白さに気づくまで、そこからさらに10年かかったのです。運命は後付けなんですね。
やってみないと分からない。でも、待っていても出合えない。そんな感覚で、若い人たちには動き続けてほしいなと思います。
初めてのオフ会の参加者と再び
ヤッホーに入って23年。社長になって12年。今でこそ「15期連続増収増益!乾杯!」と堂々と言えるようになりましたが、その前は8期連続赤字だったのですから、トータルでは15勝8敗。やれることはまだまだあるし、「こんなことをしたら、お客さん喜ぶだろうなぁ!」と思いつく瞬間はいつもワクワクします。
そんな僕の原動力は、やっぱりお客さんからいただけるパワー。最後に、僕が感動をいただいたとっておきの話を。
気づきや学びを朝礼で共有。あえて業務と関係ない“雑談”も大事にする。
ヤッホーブルーイング提供
もう10年前のことになります。40人も入れば一杯になるくらいの恵比寿のビアパブで、僕たちは初めて“オフ会”を開いていました。今ではメディアも話題にしてくださるファンイベントも、最初はスタッフが手弁当で企画した小規模な集まりが出発点だったのです。
「誰か来てくれるかなぁ」とおそるおそる告知してみると、遠方からたくさんの参加があり、その中に北海道からはるばるいらっしゃったご夫婦がいました。
喉が枯れてガラガラ声の奥さんが「ずっと楽しみにしていたので、病み上がりだけど来ちゃいました!」と喜んでいて、ご主人も隣でニコニコ笑っていて……。僕はこういう人たちのためにビールをつくり続けるんだと、勇気をもらえた出会いでした。
その時の感動体験が原型となって、ファンイベントの準備が進み、年々規模が拡大。8年後にはお台場で5000人規模で開催しました。
宴のフィナーレを無事に終えて、最後に出口でお客さん1人ひとりをハイタッチで送り出していた時、「あの、実は私たち……」と僕に声をかけてきてくれたご夫婦がいました。お顔を見て、すぐにピンと来ました。
「もしかして北海道からいらっしゃった、あの時の!」「えー! 覚えていたんですか?」「もちろんです! 奥さんの声、ガラガラでしたよね(笑)」「そうそう! よく覚えていますね〜」
8年前も今も、こうして元気な顔を見せ合って、お客さんと乾杯できるなんて。僕にとって最高のご褒美、最高の美酒は、こういう瞬間に味わう1杯なのです。
(敬称略、完)
(文・宮本恵理子、写真・竹井俊晴)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。