撮影:今村拓馬、Shutterstock
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。だからこそ、人は考え続けなればなりません。経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。
「普遍性、汎用性、納得性のある経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも挑戦してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただその本を手にしなくても、この連載は読めるようになっています。
前回は、その本でも中心的に取り上げられるジェームズ・マーチの「知の探索・知の深化の理論」を簡単に紹介しました。今回はこの理論を使って、日本企業でダイバーシティがなかなか進まない理由を考えていきます。
ダイバーシティ推進は「世の趨勢」?
1990年代の半ばぐらいまで、わが国では「男は外で働き、女は家庭を守る」のが常識でした。このような価値観は徐々に崩壊していき、現代では性差による役割分担の正当性は薄れてきています(この「常識」「正統性」の理論もそのうち解説します)。
その結果、いまや経営の意思決定層にも女性や外国人を登用し、ダイバーシティ(多様性)を高めるべきだという考えが広まりました。
しかし、それで実際に日本企業の人材が多様になったかというと、「以前とあまり変わらない」というケースが大部分なのが現実ではないでしょうか。特に大企業の経営層は、相変わらず日本人、男性、大卒が大半を占めています。
僕はここ数年、日本の大手企業からダイバーシティに関する講演の依頼をよくいただきます。そこでよく、講演の窓口であるダイバーシティ推進室の方に「御社はなぜダイバーシティを推進するのですか?」と尋ねてみるのですが、納得のいく答えはほとんど返ってきません。
たいてい「世の趨勢だから」とか「他社がやっているから」、「常識だから」(前回お話ししたとおり、「常識」は思考停止ワードのひとつです!)という答え。なかには「女性や高齢者にも働く機会を提供するため」とか、「女性や外国人を登用することでCSR(企業の社会的責任)を果たすため」といった返答まであります。
まるで、社会貢献やCSRのために女性や高齢者や外国人を「雇ってやっている」みたいな言い方にも聞こえます。これでは採用された方々にも失礼だし、そんな理由で人材の多様化を推進したところで、会社の業績が上がらなければ意味がありません。
やる理由が「腹落ち」していない
日本でも言葉だけは浸透した「ダイバーシティ」。だが何のために推進するのか、“腹落ち”している企業は驚くほど少ない。
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多くの大企業でダイバーシティが進まない理由は実はシンプルで、「なぜダイバーシティをするのか」という理由が、社内で腹落ちしていないからです。
何のためにやるのかという議論もないままに、「それが世の常識になってきているから」「他社もやっているから」という程度の認識で取り組んだのでは、ダイバーシティは絶対に進みません。
それだと結局は上層部の方で、「うちの会社にそんな余裕はないよね。今は1円でも多く儲けなければいけないときなのに、ダイバーシティなんてコストでしかない」というスタンスになってしまい、掛け声倒れに終わってしまうのです。大切なのは「何のためにやるのか」ということが腹落ちしているかどうかなのです。
では、なぜダイバーシティを推進しなければならないのか。
世界標準の経営理論を思考の軸にすれば、その理由もまた明確です。それは企業にイノベーションが求められているからです。
今はこれだけ変化が激しい時代ですから、企業は何か新しい価値、すなわちイノベーションを生み出さなければ生き残れません。
前回も言いましたが、イノベーションの第一歩は新しいアイデア・知を生み出すこと。そして一般に新しい知は、既存知と既存知の新しい組み合わせから生まれます。これは「イノベーションの父」とも呼ばれるジョセフ・シュンペーターの「新結合」と呼ばれる考えで、イノベーションを考えるうえでの普遍的な原理のひとつです。
しかし、人は認知に限界がある。したがって、やがて目の前の知と知の新しい組み合わせが尽きてしまい、イノベーションが枯渇するのです。
撮影:今村拓馬
そこで必要なのが、「知の探索」です。これは、前回も紹介したジェームズ・マーチの「知の探索・知の深化の理論」で説明される、遠くの幅広い知に触れる行為のことです。
ではその「知」を誰が持っているかといえば、それは言うまでもなく人間です。
もうこれでお分かりでしょう。
同質な人ばかりが同じ組織にいる日本企業は、知が多様化しないので、イノベーションが起きにくいのです。他方で、多様な人がいる組織、すなわちダイバーシティのある組織は、さまざまな幅広い知見を持っている人がいるから、知の探索につながるのです。
実際、「何のためにやるのか」が腹落ちしている海外のグローバル企業は、迷わずダイバーシティを推進し、その理由を「イノベーションのため」とはっきり位置づけています。
例えばグーグルの社是は「ダイバーシティ」です。日本のグーグルの以前の人事責任者は、「当社がダイバーシティ推進をするのはイノベーションのためです」と断言していました。
いま一部の日本企業でもダイバーシティを進める企業が出てきつつあります。カルビーやサイボウズなどはその代表でしょう。こういった企業も、「知の探索」という言葉は使わずとも、多様性がもたらす効果を肌で感じているからこそダイバーシティを進めるのではないでしょうか。
ダイバーシティで知の化学反応を起こす
ダイバーシティなら何でもよいわけではない。「男性の集団に女性を混ぜる」といった属性のダイバーシティは、条件次第では組織にマイナスになることも。
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しかし、多くの日本企業はそのような腹落ちがない。結果として、「ダイバーシティとは、女性の管理職比率を30%にすることである」という数値目標だけが先行し、結局進まないわけです。
しかし本来、重要なのは数値目標ではなく、「なぜダイバーシティを進めるのか」の腹落ちのはずです。そして、そのためには知を多様化する必要がある。
一方、今の日本の会社には、僕のような中年のおじさんが多い。だとすれば、「多様な知見を入れていった結果、気がついたら女性や外国人、LGBTの割合が増えていました」というほうが、理想的には健全なはずです。
ところで、ダイバーシティには2種類あります。
1つは「タスク型のダイバーシティ」。その人の知見とか経験とか、人間の内面が多様であることです。もう1つが「属性のダイバーシティ」。性別、人種、国籍、学歴などその人の属性に着目して、多様な属性の人を集めようとすることを言います。一般的に「ダイバーシティ」と言われてイメージするのは後者の方でしょう。
実は経営学では、タスク型のダイバーシティは組織にとってプラスだけれど、属性のダイバーシティは条件次第ではマイナスになる可能性が、世界標準の経営学では主張されています。その理由については次回、第4回で詳しく述べることにしましょう。
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(構成・長山清子、撮影・今村拓馬、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。