日本のプロレスファンにも馴染みの深い名選手、ドリー・ファンク・ジュニアさんと筆者。 ドリーさんは、あのジャンボ鶴田選手や天龍源一郎選手も修行に行ったファンクス道場を運営していた。日本にも数えきれないほどの来日を果たし、ジャイアント馬場選手をはじめ、多くの選手と戦った。現在は米フロリダ州オカラにて、BANG!という道場を運営。
写真提供:菊タロー
ラスベガスに移住して3年が過ぎた。私はアメリカでプロレスラーをしている。就労ビザの更新で、日本に一時帰国したのは2020年1月21日だった。
その頃、日本では新型コロナウイルスの報道が徐々に増えていた。他人ごとのように過ごす人、気を付けてマスクをする人、何もせず「オレは大丈夫」と言う人。人それぞれだった。
ラスベガスに戻ったのは2020年2月10日。「マスクはアメリカで買えばいいや」なんて思っていた。日本でもアメリカでも、まだ事態をかなり甘く見ていた。
ラスベガスのメインストリート、通称「ストリップ」の風景。つい1月までは、この活況ぶりだったのだ。
Shutterstock
1週間のオフをのんびり過ごし、フロリダ州オーランドへ飛んだ。
プロレス団体のコーチをして、2週間を過ごした。中国から来ている選手もいた。
「君の住んでる街は大丈夫?家族や友人は大丈夫?」
その時に初めて聞いた。
「(中国で)マスクが買えないっていうから、家族や友人に送ってあげようと思ったんだけど、売ってないの」
えっ?そんなまさか?マスクはとっくに売り切れていたのだ。
オーランドを後にしてラスベガスに戻った。ラスベガスでもマスクは見当たらなかった。
ハンドサニタイザーも売り切れ。この時は、消毒に使えるイソプロピルアルコール70%は置いてあり、1つだけ買った。それから二度と目にしていない。
現地のスーパーマーケットで感じた違和感
スーパーマーケットのシリアル売り場。ほぼ空っぽになっていた。
撮影:菊タロー
2月29日にオーランドから戻り、スーパーで買い物をした。マスクや消毒関係の品はなかったものの、そのほかの物資はまだ潤沢に揃っていた。
ただ少し、違和感を感じた。普段は棚をパンパンにしている水の選択肢が非常に少ない。在庫がないわけではないんだけれど、種類が少ない。この時はジムに持って行く用に、24本入りの濾過水を1つ、家で飲む用にミネラルウォーターの1ガロンボトルを買った(実は、これを最後に水もほぼ、店頭で目撃することはなくなった)。
この2月29日ごろは、まだトイレットペーパーは残っていた。今思えば、このとき追加で少しだけ買っておけばよかったのだが……。
撮影:菊タロー
トイレットペーパーも、この頃はまだあった。けれども、同じくいつもより選択肢がなく、在庫も少なくなっていた。「ウチはまだ3週間くらいはもつから要らないな!」と当時は思ったが、今となっては、少しでも買っておけばよかったと、だんだんロールが減っていくなか、思い出す。
徐々に加熱する新型コロナウイルスの報道。日本のニュースを見ながら、私はまだ他人ごと、対岸の火事と思っていた。緊張感が増しているなかとはいえ、日本の皆さんもきっとそうだったと思う。
3月半ばが節目に
自宅から500キロ離れたアリゾナ州メサでの試合。なぜこんなにガラガラなのか、もちろん理由がある。
撮影:菊タロー
これが3月初旬までの話。
日本から遠征者が来て、初戦のためサンディエゴへ。この時、まだ世界が「こうなる」なんて誰も分かっていなかった。
翌週、大きな変化が我々を襲った。
「試合がなくなるかもしれない」
そんな不安がよぎり始めたのは、サンディエゴから戻った2020年3月11日頃の話だ。
3月14〜15日はアリゾナ州メサでの連戦。試合前日、プロモーターから連絡が入った。
「明日は来てくれるよね?」
良かった! 試合はある! そう思った矢先にプロモーターはこう言った。
「明日、メサのタウンオフィス(日本でいう市役所)が11時からイベント開催についての協議をする。最悪でも、無観客で試合の収録を行うよ」
連絡がないままラスベガスを出発し、約500キロドライブした。
試合会場に到着すると、ドアの前で数人の人が立っていた。「試合開催か!」そう思って会場内に入ると、椅子が1列だけ置いてあった。関係者のみ入れて、無観客での収録だった。
メサのタウンオフィスが出した命令は、「25人以上会場に入れるな」だった。イベント開催なんてできるわけない。
しかし、この時も、まだ私は事態を甘く見ていたと思う。
アリゾナから戻った翌週、事態はさらに酷いことになっていく。アメリカ合衆国が3月14日、国家非常事態を宣言したのだ。
そして、8週間先まで試合=仕事はなくなった
レッスルマニアの無観客試合を伝える世界最大のプロレス団体「WWE」の日本語版サイト。
撮影:伊藤有
国家非常事態宣言の翌日の3月15日、アメリカの疾病対策センター(CDC)は、「向こう8週間、50人以上のイベント、会合、会議等を禁止する」と勧告した。
この状況下では、何もできない。3月の試合はないに等しい。それでもこの時、まだまだ私は甘い考えを持っていた。
「3月はダメでも、4月初めのタンパの試合と4月半ばの西海岸3連戦があればなんとか大丈夫だ……」
毎年4月初めには、世界最大のプロレス団体「WWE」の年間で最も大きな興行「レッスルマニア」が開催される。それに合わせて全米の各団体が開催地の会場を押さえ、実に100ショー近く開催される。アメリカプロレス界で一番忙しくなる時期が、このレッスルマニア開催日前の数日間なのである。
レッスルマニアの公式サイト。
出典:WWE
結果、レッスルマニアは30年以上の歴史の中で、初めて無観客での開催を決定した。
これによって、会場を押さえていた各団体も大損、それに出場予定だった私を含む選手も当てにしていた収入が入らなくなる。
日本からも、私が間に入ってショーをする予定だった団体がキャンセル。結果、飛行機代12人分をキャンセルする形になる。おそらくバウチャーに替えてもらい、事態が収束してから再度ショーを行う形になるが、今のところ、それがいつになるかは誰も分からない。
さらに、4月半ばの西海岸ツアーも9月に延期となった。
「距離が近すぎる」と罰金、パニック買いが始まった
家の近くのコンビニ「セブンイレブン」に行ってみた。ラスベガスという場所柄、いつもは中でポーカーマシンが楽しめるようになっているのだが……。
撮影:菊タロー
友人とスーパーに買い出しに行ったロサンゼルスの知人は、警察に呼び止められ「一緒にいる距離が近過ぎる」と、罰金400ドルを払わされたそうだ。
2020年3月17日、翌日からラスベガスのあるネバダ州では、生活に直結する食料店やガソリンスタンドを除き、営業停止となることが発表された。ラスベガスの歴史のなかで、こんなことあっただろうか? カジノも全てが一時閉店、コンビニやスーパーにも置いてあるポーカーマシンやスロットマシンも停められた。
セブンイレブン店内のポーカーマシンは稼働していなかった。
撮影:菊タロー
別の場所では、スーパーのポーカーコーナーも閉じていた。
撮影:菊タロー
テレビのニュースでは、レストランはテイクアウトのみで、ファストフードも店内での飲食はできなくなったことを伝えていた。
そのニュースを見て、「これはパニック買いが始まるぞ」と、同じアパートに住んでいる日本人の友人と、スーパーにクルマを走らせた。
道中、建物をぐるっと一周する行列が見えた……大麻販売店だった。
明日から閉まるから買っておこうということか……(ネバダ州は大麻が合法化されています)。
撮影:菊タロー
スーパーマーケットに到着してみると、冷凍庫は、ほぼカラだった。水、トイレットペーパー、ハンドサニタイザー、マスクは、もちろん品切れだ。肉は高いリブアイステーキだけが残っている。かろうじて牛タンを2本買えた。あとは冷凍庫に残っていたチキンナゲットやカット野菜を手に入れ、スーパーを後にした。
しかし、この仕入れ状況では、今後が不安だ。
翌日の2020年3月18日、さらにスーパーを数件回り、少しずつ食料を仕入れられた。
地元の店をまわって分かったのは、ウォルマートのような大型店舗には人が押し寄せるので、常に肉類はないということ。一方、もっと小さい地元のチェーン店に行けば、意外と肉も置いてある。また、中華系スーパーにも肉が潤沢にあった。
しかし、卵だけはどこにも置いていなかった。
地元のチェーン系スーパーでは、数量制限により、なんとか肉は入手できた。
撮影:菊タロー
それでも不足したのは「卵」。どこに行ってもなかった。需要が高まっていることが、貼り紙にも書かれている。
撮影:菊タロー
ほかにも、ラスベガス近郊のスーパーでは米、ラーメンやパスタ、カップ麺や袋麺が姿を消した。周囲の日本人は皆、米がないと嘆いている。しかし玄米は日系スーパーにまだあったから、この情勢でもみんなまだ白米がいいと言っているのは、ちょっと贅沢なのかもしれない。
トイレットペーパーは不安なものの、食料は数週間分くらいは確保し、一安心。これで外に行かずとも暮らせる。
このスーパーに買い出しに行った翌日の3月19日、全米で初めて、カリフォルニア州が「外出禁止令」に踏み切った。
ゴーストタウン化するラスベガス
ラスベガスのメインストリート「ストリップ」の一番南側のエリア。すぐ近くにはラスベガスの国際空港がある。金曜日の夜、午後8時でこのガラガラさは「異常事態」だ。
撮影:菊タロー
ラスベガスのメインストリートはどうなったのか? と気になる人も多いだろう。
2020年3月20日、まだ夜間外出できるうちに、友人とクルマを走らせた。ネオンの灯は、まだ消えていなかった。
時間は金曜日の午後8時。普段なら大渋滞で、ラスベガスに住んでいる私は絶対に近づかない時間だ。それなのに、道は空いていた。歩道を歩く人はほぼおらず、地元の若者と思われる人間が、数人スケートボードで走っていたくらいだ。
営業を停止したカジノホテルの部屋は真っ暗。数部屋だけ電気が点いていたが、スタッフが泊っているのだろうか? いずれにせよ、現地に住んで3年で初めて見る、異様な光景だった。
こんな事になるなんて、本当に異国の対岸の火事だと思って甘く見過ぎていた。
仕事がない。仕事ができない。
多くの知人が職を失った。同じアパートに住む、世界的な人気のサーカス劇団「シルク・ド・ソレイユ」のアーティストたちは全員、一時解雇(レイオフ)された。
※シルク・ド・ソレイユは、ラスベガスの複数のカジノホテルでショーを長年、常設公演している。高級カジノホテル・ベラージオの名物で、大量の水を使ったショー「O(オー)」などは世界的に有名。
一時解雇とは言うものの、アメリカ人と違い、失業保険は1回だけ、2000ドル(約22万円)ほど出るだけらしい、と言って落胆していた。
これでいつ再開するか分からないショーを待ち続けられるだろうか……「お金だけが心配です」と彼らは言う。私も同じ意見だ。
今月は払えるが、来月もこのままだと支払いは回らなくなる。
何かしないと。どうにかしないと。でも、やれることは少ない。
数カ月後、自分がどこにいて、どうなっているか分からない。日本に逃げ帰る事態になるかもしれない。でも、前向きに事態の収束を願い、生きていきたい。教科書に載るような歴史の中に今いるのだから。
幸いなことに、私はネットで見るような差別には遭遇していない。アメリカ人の皆さんは、とても親切にしてくれ、友人たちも「キク、大丈夫か?足りない物はないか?」と心配してくれる。
1日も早く、みんなが仕事を再開できますように。ラスベガスより愛を込めて。
(文、写真・プロレスラー 菊タロー)
菊タロー:1976年11月17日生まれ、大阪市出身。1994年プロレスデビュー、1999年大阪プロレスでリングネーム・えべっさんになる。2005年、独立し、菊タローに。プロレスのみならず、役者、声優、ライターに活動の場を広げ、2016年12月、アメリカ・ラスベガスへ活動の場を移す。アメリカ全土を転戦している。