2020年2月に開かれた、シンガポールでの展示の様子。
写真提供:「燕三条 工場の祭典」実行委員会
上越新幹線で終点1つ手前の駅となる「燕三条」。
モノづくりに少し詳しい人なら、ここが金属加工で世界トップレベルの技術を持つエリアだとは知っているかもしれない。
けれども、この地を紹介した展覧会が、英国王室のウィリアム王子も来訪しロンドンで大きな話題になったり、展覧会がきっかけでイギリスの鍛冶屋・BLENHEIM FORGEと燕三条の庖丁工房とのコラボ商品が誕生、実際に販売されるなど、地域単位での「海外ブランディング」に成功した地域、だということはご存知だろうか。
ジャパン・ハウス ロンドンを公式訪問する、ウィリアム王子。
(C)Japan House London
2018年、ジャパン・ハウス ロンドンで開かれた「BIOLOGY OF METAL: METAL CRAFTSMANSHIP IN TSUBAME-SANJO|燕三条―金属の進化と分化」展は、英国王室からウィリアム王子が公式訪問。玉川堂による鎚起銅器製作の体験ワークショップなどにも参加した。ウィリアム王子は、
「ジャパン・ハウス ロンドンは素晴らしい、 英国と日本が持つ最高のアイデアと創造性が交差する場所となるだろう」
とコメントを残している。
燕三条の技術を世界に紹介した展覧会は、世界的デザインアワードの一つ、GERMAN DESIGN AWARDの「卓越したコミュニケーションデザイン部門」(Excellent Communications Design)の最優秀賞(GOLD)も受賞。つい先ごろの2020年2月にはシンガポールでも関連の展覧会が開かれた。
地方創生が叫ばれるなかで、歴史あるモノづくりの街・燕三条はいかにして国際的な知名度を築いたのか。
アップルが認めた金属加工の街
工芸品のような背面の鏡面加工がトレードマークだった「iPod」。金属磨きの養成施設「燕市磨き屋一番館」には、この地で磨かれた初代iPodの背面のサンプルが飾られている。
撮影:林信行
燕三条が得意とするのは「金属の加工」だ。メーカーの製品づくりの一部を請け負って世界的に活躍している、真面目な地元の工場が地域のそこかしこにある。
有名なところでは、アップルが2001年はじめに出荷したチタニウム製のノートパソコン「PowerBook G4」の加工が燕三条でしかできないとたどり着き、同年末に出た初代iPodの背面のステンレス鏡面仕上げの磨きで、再びこの地を頼った。アップルはその後もiMac G4、初代MacBook Airなどで度々、この地を頼ってきた。
ユニボディーと言われるアルミ削り出しボディーを初採用した初代MacBook Airだが、最初は燕市の武田金型製作所で試作を行っていた。
撮影:林信行
もう少し古い話題に広げると、ノーベル賞晩餐会では、度々、この地の「山崎金属工業」の洋食器が使われてきた。
最近では、この地域発の製品も増えてきた。キャンプ好きな人のブランドとして海外でも人気が高いSnow Peak社や、表参道やGINZA SIX内にも店舗を持つ鎚起(ついき)銅器の工房、玉川堂も燕三条のブランドだ。
鎚起銅器とは:銅板を金槌で打ち起こして器などをつくる技法
それ以外にも7000円以上もするのに人気の諏訪田製作所の「爪切り」、パンくずが出ないと人気で一時は数カ月分のバックオーダーを抱えていた庖丁工房タダフサの「パン切り包丁」など職人の技が生み出した通好みの道具がたくさんこの地から誕生している。
燕三条の武田金型製作所の金型の精度の高さを示すために、武田修美氏が発案した「マジックメタル」。ロンドンでの展覧会では、文字が消える魔法のような精度の高さをウィリアム王子に披露した。現在、武田氏はものづくりの魅力を発信する会社、MGNETを武田金型の工場敷地内に設立して独立している。
諏訪田製作所「マスターピースコレクション」。
出典:諏訪田製作所
タダフサのパン切り包丁「HK-1」。
出典:タダフサ
実は「燕三条」という市は存在しない
燕三条駅に貼られた「燕三条 工場の祭典」のピンクストライプを施した凧(2018年のもの)。
撮影:林信行
……と、ここまで説明なしに書いてきたが、地理に詳しい方ならご存知の通り、実は新潟県には「燕三条」という市は存在しない。
実際には燕市と三条市という金属加工で有名な2つの市が隣り合っているのだ。このエリアにある高速のインターチェンジはバランスを取るように「三条燕」で、両市の間には歴史的にライバル関係のようなものがあったようだ。
そんな地方都市が一体どうやって世界規模のブランディングを達成できたのだろう。きっかけは2013年に始まった「燕三条 工場(こうば)の祭典」というイベントだ。
街を包む「ピンクのストライプの祭典」の誕生
最近ではイベント期間中、燕三条駅の駅員や駅内のコンビニの店員もピンクストライプのハッピを着てイベントを盛り上げている。
撮影:林信行
2013年以来、10月になると燕三条のそこかしこがショッキングピンクの鮮烈な縞模様「ピンクストライプ」に包まれる。2人組のデザインユニット「SPREAD」が金属加工の炎と工場で危険エリアを示す警戒柄からインスピレーションを得てつくった「燕三条 工場の祭典」というイベントを象徴するグラフィックデザインだ。
イベントのポスターでの利用はもちろん、駅での案内、参加工場を示す案内板に使われるほか、参加工場の職人たちもイベント期間中はまるでユニフォームのようにして、この「ピンクストライプ」のTシャツを着る。
年配の職人の中には派手過ぎて嫌がる人も多かったそうだが、一度、若い人たちに「似合う」と言わると喜んで着始めたという。現在ではイベント期間中、JR燕三条駅の駅員も「ピンクストライプ」のハッピ(法被)を着てイベントを盛り上げている。
「工場の祭典」では燕三条エリアの参加工場が工場の一部を開放し、一般見学客を受け入れる。
歴史的に大企業からの受注仕事が多く、一切見学を受け付けていない工場も、この期間だけはエリアを区切って見学者を受け入れている。
筆者は第1回の2013年から取材を続けているが、この時からアジアの大手スマートフォンメーカーのデザイン部門がチームを引き連れて訪問しているのを見かけたりと、燕三条の注目度の高さが伺えた。
燕三条工場の祭典では「三条ものづくり学校」で公式のレセプションパーティーが開かれるのが常だが、独自にパーティーを開く工場もある。こちらは2017年に諏訪田製作所で開かれたパーティーの様子。
撮影:林信行
燕市を代表するブランドで、第1回の「燕三条 工場の祭典」から参加している無形文化財の鎚起銅器をつくる玉川堂は、その美しい庭付きの社屋が「登録有形文化財」ということもあり、人気の見学先。
撮影:林信行
イベントの誕生には多くの物語や貢献者がいるが、“三条市にある工場を見学できるイベント”という地域活性のアイデアは地元企業から出てきたものだ。地元の包丁工場・タダフサの曽根忠幸代表もそのひとりだ。
支援したのは、國定勇人(くにさだ・いさと)三条市長。歴史と文化を大切にするヨーロッパの視察で得た経験などから、町ぐるみのイベントが地域に価値ある変化をもたらす、と感じてこの案を市議会に持ち込んだ。
重要なのは、提案の際に三条市単独の「越後三条 工場の祭典」ではなく、「燕三条 工場の祭典」としたことだ。
市長は過去、何度か実施したアンケート調査などを通じて、新潟県外では「燕三条」の名は通っていても、「三条市」を知る人が少ない、という実感を持っていた。
残念ながら最初の年、燕市は予算化できなかった。それでも國定氏があきらめずに「燕三条」の名を使うことを訴え続けたところ、三条市議会が燕市分の費用の負担も含めてイベントの予算を承認。2013年の第1回では54の工場が参加し、1万人近くが来場、物販でも388万円の売り上げとなる人気が後押しし、第2回からは燕市もイベントに本格協力する体制になって現在に至る。
「燕三条 工場の祭典」の累計来場者数とイベント売り上げの推移。
来場者は増え続け、4回目の2016年までには96の工場が参加する累計3万5000人が来場するイベントに成長。7回目となる2019年の参加工場は113、来場者は5万6272人で、イベント期間中の売り上げは4200万円だった。
イベントが大きくなるにつれ、開催期間に合わせてショールームも兼ね備えた「リニューアル工場」をお披露目する企業が増えた。イベントで職人の技に惚れ込んで、入門してくる若い後継者の話もよく耳にするようになった。
三条ものづくり学校の外観。使われなくなっていた南小学校の跡地が、物作りをする人の支援や交流の場として2014年に再オープン。「燕三条 工場の祭典」期間中は展示・物販や、校舎全体にピンクストライプのプロジェクションマッピングが実施されるなど、レセプション会場として盛り上がる(写真は2016年のレセプションの様子)。
撮影:林信行
2014年には閉校した小学校を改装した「三条ものづくり学校」が誕生。地元企業の新たな連携・交流や新商品の開発促進、人材育成をする場として運営されている。
「燕三条 工場の祭典」期間中は、さまざまな産品の展示販売や大規模なレセプションパーティーが行われる会場として活用されることになる。
三条ものづくり学校のフロアマップ。チョークアートで描かれている。いくつかの企業が入居していることもわかる(2016年に撮影)
撮影:林信行
さらに2016年には、木造の新しい街中交流スペース「ステージえんがわ」が誕生。背脂ラーメンばかりが並ぶ地域に自家製のハーブのカレーをつくる「三条スイパイス研究所」が入居する他、年配層に人気のラジオの公開収録が行われており、この地で急速に広がりつつある若い世代による新しい動きと、シニア層を緩やかにつなぐ場所としても機能している。
グッドデザイン賞も受賞した「ステージえんがわ」は2016年に開設。月に数回青空市場が開かれることもあり、年配者も多く訪れる。ラジオの公開収録を行ってシニア層を集める一方、施設内のおしゃれなカレー食堂「三条スパイス研究所」では若い人たちも集まる場になり、世代を超えた交流の場として機能している。
三条市のホームページより
これ以外にも、工場主の子どもが敷地内に併設したものづくりベンチャーのためのインキュベーション施設や、FabLab(3Dプリンターなどの利用を提供して、ものづくりを支援する施設)が開設するなど、街のいたるところに若い人たちの手が入り、活気づいているのが実感できる。
こうした動きと並行して「燕三条」ブランドを、さらに飛躍させる戦略も早期から動いていた。
祭典をパッケージ化して海外に進出
燕三条工場の祭典運営チームの主要メンバーら。一番手前にいるのが「工場の祭典」を発案したタダフサの曽根忠幸代表。最後列の左からSPREADの小林弘和氏と山田春奈氏。最後列で座っているのがmethodの山田遊代表。右から2番目で黒いジャケットを着て立っているメガネの男性が玉川堂の山田立(りつ)氏。
写真提供:「燕三条 工場の祭典」実行委員会
第1回目の「燕三条 工場の祭典」は、現地企業のタダフサをコンサルティングするなど関係が深い中川政七氏から紹介される形で、燕三条に関わり始めたバイヤーでmethod社代表の山田遊氏らがブレインとなって開催された。「ピンクストライプ」のデザイナー、SPREADの起用も山田氏によるものだ。この山田氏を中心とした運営チームは、2度目の「燕三条 工場の祭典」に向けて大胆な計画を立てていた。
第2回のイベントに海外からの集客も狙って、35万人以上が集まる世界最大のデザインの祭典、「ミラノデザインウィーク」に「燕三条 工場の祭典」をベースにした展示「SHARING DESIGN」として出展したのだ。
2014年、ミラノサローネではピンクストライプの段ボール箱をショーケースにして、燕三条の銘品の展示を行った。
写真提供:Takumi Ota
人目を引くピンクストライプの段ボール箱を重ねてショーケース代わりにして、そこに燕三条でつくられた銘品を並べた。
来場者から多くの注目を集め、実際にこのイベントがきっかけで「燕三条 工場の祭典」を訪れた人もいたという。
その後、2015年では、伊勢丹新宿本店で催事を開き、玉川堂による鎚起銅器のワークショップなども開かれた。
2017年の台湾では展示に加えてワークショップに力を入れた。
写真提供:「燕三条 工場の祭典」実行委員会
2017年には、台湾で「工藝現場 Crafts LIVE」というイベントを開催し、6つの工場がワークショップを開いた。
このような海外出展の経験を通して、運営チームは少しずつ「海外の人には何を見せたら興味をもってもらえるのか」「燕三条の何が魅力的に映るのか」といったノウハウを蓄積していった。
ロンドンの展示会の大成功が節目を変えた
2018年、ジャパン・ハウス ロンドンでは、展覧会としての美しいつくりこみに力を入れたところ、これが評判を呼び、世界的デザインアワードの受賞につながった。
(C)Japan House London
外務省が運営する日本の情報発信拠点、ジャパン・ハウス ロンドン。ロサンゼルスとサンパウロにも同様の施設がある。
(C)Japan House London
「燕三条 工場の祭典」の海外アピールの中で最も成功したのは、2018年のロンドンのジャパン・ハウスで行われた展覧会「BIOLOGY OF METAL: METAL CRAFTSMANSHIP IN TSUBAME-SANJO|燕三条―金属の進化と分化」だろう。
ジャパン・ハウスは、外務省がロンドン、ロサンゼルス、サンパウロの3都市に開設した日本の情報発信拠点だ。
ジャパン・ハウス ロンドンの企画局長、サイモン・ライト(Simon Wright)氏は日本の工芸に精通しており、実際に「燕三条 工場の祭典」を訪れて、これをイギリスに紹介したいと思ったという。
こうして燕三条の工場や職人の魅力を、ジャパン・ハウス ロンドンのギャラリースペースにて展覧会形式で紹介する企画が立ち上がった。
プログラムを作る中心人物でもある山田氏によると、この展覧会でライト氏のアドバイスを受けられたことがこの展覧会を成功に導いたきっかけの1つだったという。
特に印象に残っているのは農機具の鍬(くわ)の話だと、山田氏は言う。燕三条には100年以上にわたって鍬だけを専門につくっている近藤製作所という工場がある。実は同じ鍬でも田んぼか畑か、耕す地形や地質、さらには地方によって皆、形が違うそうだ。
ロンドンで多様な地域特性にあわせてつくる鍬(クワ)の講演を行ったところ大好評を博した鍬専門工場、近藤製作所の近藤一歳氏。
撮影:林信行
こうした地域文化に根付いた細かい話が、歴史も文化もまったく異なる英国人の関心を惹きつけられるか、山田氏には自信がなかった。それが「この話は面白い、絶対に紹介するべきだ」と背中を押してくれたのがライト氏だった。
開催期間中は燕三条から多くの職人が訪れていた。
ジャパン・ハウス ロンドンを訪れる英国人というと、かなり日本通の人が多い。その1人から「唐突に(金沢などでよく見られる)雪吊りを見たい」といったリクエストが出ると、それを聞いた職人の1人が、近くにあった材料を使って、その場で雪吊りをつくってみせるなどして会場を沸かせた。
「燕三条 工場の祭典」はその後も、休むことなく意欲的に海外への売り込みを続けている。あいにく新型コロナウイルス感染拡大と重なってしまったが、2020年2月にもシンガポールでも関連の展覧会が開かれた。
地域の魅力を「イベント」でパッケージ化する
シンガポールでの展示では、街の一角をピンクストライプが埋めた。
写真提供:「燕三条 工場の祭典」実行委員会
シンガポールでの展示風景。洗練された展示スタイルになってきていることが見て取れる。
写真提供:「燕三条 工場の祭典」実行委員会
1つの地方が(しかも、駅名以外の形では実在しない地名が)、これだけ急速に発展し、活力を取り戻し、しかも海外に向けてもうまくブランディングできた事例は、世界でも珍しいだろう。
ちなみに、「燕三条 工場の祭典」そのものは2018年からさらに進化し、元来の「工場(KOUBA)」だけでなく、農業を営む「耕場(KOUBA)」やKOUBAでつくられたアイテムを販売する「購場(KOUBA)」も加わった大型イベントに発展している。
現在、「燕三条 工場の祭典」は工場だけでなく、「耕場(KOUBA)」と称して、同地域にある農家や産品を販売する「購場(KOUBA)」も巻き込んだ一大イベントに発展している。写真は、ひうら農場のビニールハウスでランチ会(2017年)。
撮影:林信行
イベントは、地域に対しても少なくない影響を与えている。働く様子を外の人に見られたり、評価されることが、仕事の質やモチベーションの向上になっていると答える経営者も多い。
諏訪田製作所の小林知行代表もその1人だ。常に工場見学を受け入れる「オープンファクトリー」を開設し、職人の手元を見せるのにiPadを活用したところ、米アップル本社から視察がやってきたという。
燕三条はなぜ「成功」したのか
世界でも存在感を高める燕三条の大成功の要因はどこにあるのだろう?
山田氏や、彼が関わり始めるきっかけをつくった中川政七氏、一度見た人に強烈な印象を残すSPREADの「ピンクストライプ」のデザインの貢献といった、顔ぶれの多彩さも理由の1つ。
そして何よりも参加する工場の経営者や職人たちの建設的な心持ち、さまざまな声を柔軟に受け止めて背中を押せる市長や燕市、三条市の市議会など、いろいろな要因がうまく噛み合っているのが最大の要因だろう。
燕三条でこれだけ多くの人の思いがうまく噛み合ったのは、皆が、「なんとかしてこの地域を盛り上げなければ」という、真剣な思いで同じ方向を向くことができたからではないかと筆者は思う。
地方創生の取り組みは、必ずしも成功する地域ばかりではない。
そんななかで世界から注目を集め、ブランドとしても産業としても知られるまでになった燕三条の事例は、多くの地方都市にとって学ぶべきところが多い。この勢いが生み出す空気感を身体で感じるためにも一度、「燕三条 工場の祭典」に足を運んでみると良いだろう。
(文・林信行)