1982年生まれ。慶應大学SFC在学中にPR会社ビルコムの創業に参画。同大学ビジネススクールを経て、2017年フリーランス協会設立、代表理事に就任。
撮影:伊藤圭
「直感は最強のビッグデータ」
だと、フリーランス協会代表理事の平田麻莉(37)は信じている。
「私たちが平素、脳に取り込んだ情報を総動員して弾き出す結論が直感。脳はどんな AI よりも精度が高いのだから、導き出された答えは合っているはず」
PRを担うベンチャー企業、ビルコムの創業者である太田滋(43)と会った時、平田を動かしたのは「共感者の創造」という言葉だった。
平田の高校時代、安室奈美恵が玩具の「たまごっち」にハマっていると報じられればたまごっちが売れ、キムタクが長髪にすればポニーテールの男性が街にあふれた。そんな現象を見て、
「インフルエンサーの言動がニュースになり、社会を動かす。 人間がいかに情報の影響を受けるかということにすごく興味を持ちました」
大学入学後は、テレビ局でアルバイトをして「同じイラク戦争でも、AP通信とアルジャジーラの映像は全然違う」ことにも衝撃を受けた。世の中に届けられるニュースの内容は、メディアが情報をどう捉えるかで変わる。ならば自分はメディアへ情報を届ける広報の仕事で、社会を変えたいという思いが強まっていた。
最初の仕事はオフィスの物件探し
ビルコム創業メンバーと。後列の赤いネクタイの男性が創業者の太田。
平田麻莉さん提供
そんな平田に、PRを通じて社会に共感を広げるというビルコムの思想はぴたりとはまった。企業に入るより、ゼロから組織を作り出したいという思いも強く、立ち上げ直後のベンチャーという「スペック」も魅力的だった。
太田はそんな平田の熱意を汲み、在学中からインターンとして採用した。平田の最初の仕事はオフィスの物件探しだったという。上司が止めるのも聞かず、深夜まで仕事をして会社のソファで数時間眠り、また働く。「アドレナリンが出っぱなし」(平田)の数年間の始まりだった。
平田は自分の働き方を「憑依型」と評する。
「クライアントに勝手に愛着を持ち、当事者やチームの一員になりきって役に立とうと必死になってしまう」
からだ。
他の社員が担当する顧客は3~4社だったが、平田だけは10~12社を引き受けることもあった。膨大なタスクを回し続けることで、仕事の速さや決断力が身についたという。「ビルコムで徹底的に訓練してもらい、育てられた」という思いは平田に強い。
「憑依型」ゆえ味わう企業のジレンマ
ライブドア事件などの経済事件が平田の考え方に及ぼした影響は大きかった。
REUTERS/Kimimasa Mayama
だが入社して数年が経つと、組織で働くことへのジレンマも覚えるようになった。
創業メンバーの1人は、当時の仲間たちで集まると、今も平田をからかう。
「午前3時まで『最初赤字でも、結果を出せば利益は後からついてくるはず』と訴える平田と議論し、それでも折れないので説得用のプレゼン資料を作った。あの時は眠かったなあ」
企業としては、社会的に意義深い案件であっても利益を見込めなければ見送り、実績がある取引先を優先せざるを得ない。平田はそれに納得がいかず、しょっちゅう太田とぶつかった。「赤字案件に手を出した挙げ句、キャパオーバーを起こしている」と怒られもした。
この頃、国内外のファンドが大企業へ敵対的な企業買収を仕掛けるなど「もの言う株主」が台頭していた。平田は、当時ライブドアCEOだった堀江貴文や村上ファンドの村上世彰らが主張する「株主至上主義」に強い疑問を抱く。「経営学を学び直し、 利益優先の考え方に代わる新たな価値観を、世の中に提示したい」と考えるようになった。
2009年、1年に及ぶ会社側の慰留を振り切り、「私の進む道は、アカデミアにしかないんです!」と啖呵を切って退社。母校慶應大のビジネススクールに進んだ。
だが、平田の「古巣ラブ」は今も変わらない。「ビルコムの創業メンバーは尊敬できる人ばかり」と話し、毎年、同窓会などで彼らと会うのを楽しみにしているという。
撮影:伊藤圭
博士課程在学中の2012年に結婚、2カ月後に妊娠が判明した。「結婚式も終わったし、博士論文に本腰を入れよう」と思っていた矢先の出来事に動揺した。
さらに妊娠初期に出張したフランスで風邪を引き込み、1カ月寝込むはめになった。
「寝ていると、こうやって社会から断絶されていくんだな、とつくづく悲しい気持ちになった」
ほとんどマタニティブルー状態だった。
だが2013年に長男を出産してみると、子どもの愛おしさは想像以上だった。同じ頃、卵巣に病気も見つかり、悩んだ末に博士課程を退学する。
「病気が見つかってから、『子どもの成人式は見られないかもしれない』など、さまざまな思いが浮かび、家族と過ごす時間を大事にしようと思ったんです」
「仕事がアイデンティティみたいな人間」を自認する平田にとって、キャリアを中断することには迷いもあった。しかし、
「選び取った結果を、後悔しない自信はある」
とも言う。1年半ほど専業主婦として過ごすが、卵巣切除の手術も無事に済んで、フリーランスの広報として活動し始める。
「答えを『正解』にするのは自分。今まで、選択を後悔したことはありません」
多くの帰属先持つことでリスクヘッジ
顧客との打ち合わせに娘を連れて行くこともあったが、温かく迎えてくれる人が多かったという。
平田麻莉さん提供
平田はビルコムにいた時から、顧客企業の数だけ自分の所属する「チーム」があると考えていたという。フリーランスになってからも、
「フリーランス協会も、マネジメントを担当する(タサン)志麻さんも、広報アドバイザーを務める企業もみんな大事なファミリー」
という思いは変わっていない。
「信頼できる仲間と試行錯誤した結果、法制度や人々の認識、ライフスタイルが変わっていくのが楽しい。多くの帰属先を持つことは、仕事上のリスクヘッジにもつながります」
だがそんな平田も過去に一度だけ、横っ面を張り飛ばされるような苦い経験をしている。「ファミリー」であるはずのクライアントから、理不尽な報酬未払いを通告されたのだ。
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。