1982年生まれ。慶應大学SFC在学中にPR会社ビルコムの創業に参画。同大学ビジネススクールを経て、2017年フリーランス協会設立、代表理事に就任。
撮影:伊藤圭
それは1通の内容証明郵便から始まった。封を切ると「業務契約違反」という言葉が目に飛び込んできた。
平田麻莉(37)はフリーランスの広報プランナーとして活動してきた10年の間に一度だけ、クライアントから一方的に報酬未払いを言い渡されたことがある。身に覚えのない過失を言い立てられ、それによって生じた損害を報酬と相殺するというのだ。
「憑依型」広報として親身になって尽くしてきた顧客の理不尽な通知に、平田は茫然とした。その後2、3日は眠ることもままならず、泣き暮らしたという。
弁護士費用を考えると、未払い分の報酬を裁判で回収するメリットは少なく、赤字になる可能性もあった。だが平田は敢えて提訴に踏み切る。
送信済みのメールなどを裁判所へ提出し、過失が「ない」ことを立証するなど、訴訟に伴う原告側の負担は軽くはない。信頼していた企業と敵対することになり、精神的にも消耗した。
だが平田は、
「発注者は何の裏付けもない一方的な通知を出すだけで、『フリーランスは訴訟してこない』と高をくくっている。若いフリーランスの人たちのためにも、泣き寝入りせず闘う姿勢を示そう」
と決めていた。
結局、事実無根のクライアントの主張は認められず、未払金は支払われた。
フリーの7割未払い経験、4割は泣き寝入り
賃金の未払いなどで泣き寝入りしているフリーランスは少なくない。
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フリーランスにとって報酬未払いのリスクは常にある。仕事の依頼や報酬の取り決め自体が口約束やSNSで取り交わされ、正式な契約書がなかったり、取引先が倒産したりすることもある。窓口となっていた担当者が、退職や異動によって音信不通になり、請求そのものが宙に浮いてしまうケースも見られる。
協会が調査したところ、フリーランスの7割が報酬の未払いを経験しており、4割は泣き寝入りしていたという。
「特に芸能界やメディアのように、取引先企業の数が限られる業界で未払いが生じた場合、フリーランス側は『反旗を翻すと今後、仕事を干される』と考え、口を閉ざしてしまいがちです」
と、平田は指摘する。
協会は2019年8月、会員向けに「フリーガル」という保険の提供を始めた。協会設立当初から「報酬の未払いをカバーしてくれる保険が欲しい」という声が多く、足掛け2年半でようやく実現した。取引先と報酬を巡るトラブルが発生した時、解決にかかる弁護士費用を補償するほか、弁護士の紹介や無料電話相談などにも応じる。ただ、平田は法的なルール作りの必要性も訴える。
「発注者が圧倒的な力を持つ場合、フリーランスは報酬設定や支払いに関して非常に不利な立場に立たされてしまう。あたかも雇用関係があるかのように囲い込まれ、他社の仕事を受けないよう強要されることもあります。業務契約の締結時に条件を明示するなどのルールや、ワンストップで対応する相談窓口の整備も不可欠です」
フリー側に求められる仁義。名刺交換に独自ルール
フリーランス協会事務局のリーダー合宿。協会がインフラとして長く続いていくためにも、長く代表の座にいるつもりはないという。
平田麻莉さん提供。
近年はフリーランスが発注者に、著作権侵害や情報漏洩などで訴えられるリスクも高まっている。請け負った仕事を通じて得た人脈や知識を、別の仕事に活かすといったことは、どの程度まで許されるのか。
「会社に帰属するはずの知財を持ち出されては困る、という企業の不安も理解できますが、得たものを他に生かせないのでは、フリー側に知見や人脈や経験値が蓄積されません。会社にもフリーランスにも財産が残る形がベストです」
トラブルを避けるためには、フリー側にも「襟を正す」ことが求められる。例えばA社との仕事を通じて知り合った人が、新たな顧客となった場合、A社へ一言「仁義を切る」など、きめ細かい配慮も大切だという。
平田自身、普段から自分にルールを課している。例えば名刺交換の時、協会代表理事の立場で出会った人に、最初から他の名刺を渡すようなことはしない。
「肩書の違う名刺を何枚も渡す人もいますが、私は『協会の平田』のために時間を作ってもらった人に、他の肩書を持ち出すのは適当でないと思うので」
会話の中で、相手にニーズがあると分かったら、初めて他の名刺を渡し「今度改めて『別人格の平田』との時間を取ってもらえないか」とお願いする。「目の前にいる人と、どの人格で接しているかをあいまいにしない」ことが、信条だという。
撮影:伊藤圭
「今はまだ労働市場の『キワモノ扱い』のフリーランスを、10年後には当たり前の存在にしたい」
という目標を、平田は掲げている。フリーランスが安心して働けるよう、インフラとしての協会の機能も充実させていくつもりだ。
一方で、
「インフラの持続性を高めるためには、創業者の顔は消えた方がいい」
とも言う。
代表理事の座に長く居座るつもりはないという平田の念頭には、ビジネススクール時代に立ち上げた大学院生のイベント「日本ビジネススクールケース・コンペティション(JBCC)」がある。
JBCCは、日本企業の抱える課題の解決策を大学院生が提言し、その内容を競う大会だ。平田が中心となって2010年に初開催し、2020年で11年目を迎えた。
先日、1人の大学院生が平田に「JBCCっていうイベントをご存じですか?」と話しかけてきた。平田はニコニコしながら彼女の話を聞き、「実は私が立ち上げたんですよ」と明かした。
「学生の驚く顔がちょっと嬉しかった」
と笑う。
「協会も早く『あるのが当たり前』のインフラに成長させたい。若いフリーランスに『フリーランス協会ってご存じですか?平田さんも入った方がいいですよ』と言われるのが、私のひそかな夢です」
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。