撮影:今村拓馬
「経営理論」と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか? 「難しそう」という人もいれば、「実務には役に立たない」「後付けでしかない」などと批判的な意見の人もいるかもしれません。
けれど、経営学のフロントランナーである入山章栄先生は言います。「経営理論とは不変性、汎用性、納得性があるもの」だと。つまり、ビジネス上の課題に限らず、時には若者が頭を悩ます悩むキャリアの方向性さえも、経営理論で説明可能なのです。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも挑戦してみてください。
属性を多様にしても、イノベーションが起こるとは限らない
前回は、ダイバーシティには2種類あり、経歴や能力など人間の内面が多様な「タスク型ダイバーシティ」であればイノベーションが起きやすくなるけれど、性別や年齢、国籍などその人の属性を多様にしただけの「属性のダイバーシティ」だけでは、必ずしもイノベーションが期待できないという話をしました。
今回はその理由からお話しします。
例えばあなたが100人の人と初めて同時に会うというシチュエーションを考えてみましょう。さすがに100人もの大人数では、全員を個別に識別するのは不可能です。そこであなたはどうするか。無意識のうちにその100人を脳内でグループ分けして、大まかに理解しようとします。
その時に何を基準にしてグループ分けをするかというと、まずは見た目で分けるしかありません。すると人間の認知能力には限界がありますから、無意識の認知バイアスがかかり、手っ取り早く「男性グループ」「女性グループ」などと分けてしまうのです。これを社会分類理論(Social Categorization Theory)と呼びます。
ですから、中年の男性ばかりいる組織に、突然若い女性をポンと入れても、女性はなかなか溶け込めません。男性は男性で、自分たちの「男性グループ」にいきなり若い女性がやってきても接し方が分からないし、女性のほうも周りが中年の男性ばかりでは気が引けてしまう。結果として「心理的な断層」が生まれます。
こうなると同じ組織にいても活発な交流が起こらないので、異なる知見が組み合わされることもなく、イノベーションは不発に終わる。これを「フォルトライン(断層)理論」と言います。
異なる属性が組織に溶け込めるようにするには、心理的な断層を取り除く必要がある。
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ですから重要なのは、属性による多様性ではなく、イノベーションにつながりうるタスク型の多様性、すなわち「知の多様化」です。多様な知見・経験を持った人が同じ組織に集まることなのです。
ただし、これは日本企業で女性参加が無意味というわけではありません。むしろその逆です。
なぜなら、日本の組織の大部分はいまだに「日本人の中年の男性」が多いわけですから、そこに女性や外国人が参加すれば、「知の多様化」が進むからです。
問題は、その一方で上に述べたようなフォルトラインの効果も生じてしまうので、それを心理的に取り除くべき、ということです。多様な人が組織に入っても、その中で断層が生まれたら意味はないのです。
いずれにせよ、ポイントは「何のためにダイバーシティを推進するのか」ということに尽きます。経営理論を思考の軸とすれば、それは「知の多様化」のためです。それを考えず、単に「世間の風潮だから」という理由で女性登用・外国人登用を進めても、フォルトラインの効果ばかりが顕在化してしまうのです。
日本の“お家芸”がイノベーションの阻害要因に
もっとも、このフォルトライン理論を別にしても、そもそも日本社会はイノベーションが起きにくい仕組みになっています。
以前、オリックスのシニア・チェアマン、宮内義彦さんがおっしゃっていて「なるほど」と膝を打ったことがあります。それは、「日本はまだ『製造業モデル』から脱却できていない」ということです。
製造業モデルの原点は、1908年に初代が発売された「T型フォード」の時代にさかのぼります。T型フォードは世界で初めてベルトコンベア式の大量生産方式で製造された大衆車です。その効率化された生産ラインは一般の人にも手が届く価格帯を実現し、製造業に革命をもたらしました。
1908〜1927年に量産された「T型フォード」。ヘンリー・フォードはストップウォッチを片手に作業員の所要時間を計測し、作業効率を高める手法を確立した。
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この製造業モデルを最大限に活用したのが日本企業です。かつて日本は製造業で戦後の経済成長を成し遂げました。製造業では何が必要かというと、「安定性」です。つまり歩留まりを上げ、欠品を減らし、納期を守り、安定的に製品を作らなければいけない。それには同じ人が、同じ場所に、同じ時間に来て、慣れた作業をミスなくこなすのが一番いいわけです。すなわちダイバーシティはないほうが、製造業の現場に向いているのです。
ところが今は、製造業の時代からサービス業・知識産業の時代へと変わりました。サービス業の時代で求められるものは、多様な顧客へのサービス対応です。すなわち、刻一刻と変わる情勢に対して、自らも変化していかなければいけません。知識産業の時代では、知の多様化が求められることは言うまでもありません。
それどころか、いまや製造業であってもサービス業・知識産業的なイノベーションを求められています。ということは、人材の採用方法も変えたほうがいい。新卒を一括採用すれば安定的に同じような人が採用できるけれど、バリエーションに富んだ人材が欲しいなら中途採用のほうがいいのです。
すでにある「知」と遠くの「知」を組み合わせる
そもそもこれは社会的な背景でもあります。アメリカでイノベーションが生まれやすいのは、さまざまな国から移民を受け入れてきた歴史があり、社会全体がダイバーシティに富んでいることが大きいと言えます。
先にも述べたように、ダイバーシティは「知の多様化」を生み出し、それはイノベーションにつながりえます。イノベーションとは0から1を生み出すことではありません。すでにあるもの同士の新たな組み合わせを見つけることです。これを経済学者のジョセフ・シュンペーターは80年以上前に「新結合」という言葉で言い表しています。
組み合わせによるイノベーションの実例は、枚挙に暇がありません。例えばトヨタ自動車の生産システムは、「スーパーマーケットの仕組み」と「自動車の生産」という一見無関係なものを組み合わせたものです。
トヨタ生産方式の生みの親である大野耐一氏は、「必要な部品を、必要な時に、必要な量だけ」取りにいくというアメリカのスーパーマーケットの仕組みから着想を得た。
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また、日本で初めて宅配便をつくった小倉昌男さんは、牛丼の「吉野家」と「配送業」を組み合わせています。それまで配送業を広く手掛けていた小倉さんは、吉野家の「牛丼という単一のメニューしかない食堂」という、当時としては画期的なスタイルから、「配送先を個人宅に絞る」ことを思いつき、クロネコヤマトの宅急便を始めたのです。
最近の例では、「FOVE」というヘッドマウントディスプレイもそうです。これは開発者の小島由香さんがマンガやアニメの好きな「腐女子」で、「二次元のキャラクターを見つめていたら、こっちを振り向いてくれた」というバーチャルな経験をしてみたいという思いから、目の動きを認識する視線追跡の技術を実現させたものです。
このように、イノベーションとはまったくのゼロから生まれるのではなく、すでにある「知」と、遠くにある「知」を組み合わせることで起こるものです。それには「自動車製造」と「スーパーマーケット」、「吉野家」と「配送業」、「ヘッドマウントディスプレイ」と「腐女子」のように、一見無関係なものを組み合わせる必要があります。
そのためには、会社にいる1人ひとりの興味関心や経験、得意分野ができるだけバラバラなほうがいい。だから多様な人材がいたほうが、イノベーションの起きる確率が高くなるのです。
失敗したら「人生の落伍者」
撮影:今村拓馬
多様性の高いアメリカと比べて、日本は民族的にも比較的同質性が高い国です。だから日本全体がイノベーションに向いていない遠因になっている可能性は少なからずあります。
加えて、従来の日本の社会システムも影響しているかもしれません。例えば教育です。イノベーションにはリスクがつきものです。夢やビジョンがなければ、人はリスクをとって挑戦することなどできない。だから夢を描いたり、ビジョンを語ったりする能力が問われます。
ところが日本の教育はどうでしょうか。
小学校の半ばぐらいまでは作文などで将来の夢を書かせるけれど、中高生になるとそういう話題は授業でもまったく取り上げなくなります。中高生が将来の夢について語ろうものなら「青臭いこと言ってないで現実を見ろ」「そんなことより偏差値が少しでも高い大学へ行け」と言われてしまう。文部科学省が推進する教育が、すでにイノベーションの芽を摘んでいるのです。
それに、最近でこそ起業家に対する社会の目も多少変わってきましたが、やはり依然として、起業して失敗した人間は「人生の落伍者」のような目で見られるところがある。僕の大学の後輩で、ココナラという会社をつくった南章行くんはこう言っていました。「起業すると良いことしかありませんよ。怖いのは世間の目だけです」と。
このように、日本で長い間イノベーションが起きてこなかった背景には、社会全体そのものの影響も大きいと、僕は理解しています。ただ幸いなことに、若い世代を中心に、人々の意識は少しずつ変わってきています。だから僕は、これからはけっこういい時代になるのではと予想しています。
ただしこの連載第1回でも述べたように、「いい時代になった」ということは、自分で自分の行きたい道を選べる自由と引き換えに、常に自分の頭で考え続けなければいけないということでもある。繰り返しですが、その自分の頭で考えるときの手助けになるのが経営学の理論です。
読者のみなさんには、経営理論を使って自分なりの「思考の軸」をつくっていただきたいと思っています。
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(構成・長山清子、撮影・今村拓馬、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。