ちょっとしたミスですぐに自分を卑下してしまうシマオ。先週も、上司に会議資料の間違いを指摘されただけで、ひどく落ち込んでしまった。周りには何事もそつなくこなす優秀な同僚ばかり。ダメな自分と比較しては、ため息をつく日々。
そんなシマオを心配してか、佐藤優さんがまた書斎にシマオを呼んでくれた。幼い頃から続いているこの劣等感の正体は何なのか? シマオは自分の負の感情と向き合うため、佐藤さんからの提言を待つのだった。
土俵に上がりたがらない若者たち
シマオ:佐藤さんって悩んだり怒ったりしなさそうですよね……。感情をコントロールできて、うらやましいです。
佐藤優さん:そんなこともないですよ。よく悩んでいるし、怒ることもあります。それはそうと、今回はどうしました? 暗い顔をして。
シマオ:はい。実は仕事で結構大きいミスをしてしまって、ちょっと落ち込んでるんですよね。
佐藤さん:失敗は誰にでもあるものだから、次の仕事で取り返せばいいじゃないですか。
シマオ:そうなんですけど……。今の会社ももう10年。それなりに結果を出さないといけない歳なのに、何だか同じところでくすぶっている感じがして。周りは僕よりいい大学出身の人ばかりだけど、僕は中堅私大。なんだか自信なくなっちゃいました。
佐藤さん:劣等感を感じてしまう、ということですか。
シマオ:そうです。「どうせ自分なんか」ってすぐ思っちゃうクセ、良くないとは分かっているんですけど……。
佐藤さん:「どうせ自分なんか」、そういう若者は増えているような気がします。劣等感のような負の感情が生まれるのは、ポジティブになりたいという思いが強いからです。でも、今の若い人はどちらかというと土俵に上がらないことを選ぶ人が増えているように感じますが、いかがですか?
シマオ:土俵に上がらない?
佐藤さん:はい。柚木麻子さんが書いた『伊藤くん A to E』という小説があるんですけどね。そこ出てくる主人公の伊藤くんは、脚本家志望なのに、絶対に脚本を書こうとしないんですよ。
シマオ:なんで書かないんですか?
佐藤さん:書かないのは、怖いからです。書いてしまって、その作品が酷評されたり、見下されたりすることに耐えられない。「傷つくことを恐れるなとメディアは言うけれど、傷つくことに耐えられるのは特別な人間だけだ」と伊藤くんは言うんです。
シマオ:その感じ、すごく分かります。やってバカにされるくらいなら、目立たないほうがマシかもって……。
佐藤さん:プラスマイナスゼロの場所、安全地帯にいながらモノを言う。それが現代の劣等感だと思います。「オレはまだ実力出していないんだ」とか「今の私は仮の姿。本当の私はこんなもんじゃない」というのも、土俵に上がりたがらない人の言い訳としてよく聞きます。劣等感がこういう形で表れているのだと思います。
劣等感から逃れるには「群れ」を変えよ
佐藤さん:そもそも、どうして人は劣等感を覚えるのだと思いますか?
シマオ:自分の能力とか地位が低いからですよね?
佐藤さん:実は、能力が高いか低いか自体は、あまり関係ありません。劣等感を覚えるのは、人間が群れを作る動物だからなんです。
シマオ:群れ……。人間関係における派閥の話で出てきましたね。
佐藤さん:そう。もし人間がそれぞれ孤立して生活しているなら、劣等感は生まれませんよね。群れがあって、その中に自分が位置づけられるからこそ、劣等感が生まれるんです。
シマオ:人と人が集まるから、その中で優劣ができるってことですね。じゃあ、群れを必要とするという人間の性質上、僕たちは劣等感から一生逃れられないってことでしょうか……?
佐藤さん:いえ。世の中に国がひとつだけではないように、「群れ」もひとつしかないわけではありません。だから、劣等感から解放されるためには、自分のいる群れを変えればいいんですよ。
シマオ:群れを変える……?
佐藤さん:シマオ君は将棋が趣味で、サークルに参加しているんでしたよね。そこで劣等感を覚えることはある?
シマオ:うーん、ないです。だって趣味だから。
佐藤さん:趣味も仕事も一緒です。仕事だって、人生の一部でしかありませんよ。もちろん、努力もせず逃げろということではありません。自分が仕事で劣等感を覚えていることを自覚したら、意識的にそれとは異なる群れを見つけることが有効なんです。シマオさんが将棋のサークルに入っているのはとてもよいことです。
シマオ:逃げるのと、場所を変えるのは同じじゃないんですか?
佐藤さん:昔、いかりや長介がドリフで言っていた「ダメだこりゃ。次行ってみよう!」の精神です。
シマオ:ドリフ……。あまり見たことないかも(笑)。
佐藤さん:ザ・ドリフターズは、先日の3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんが所属していたコントグループです。ニュースで目にしませんでしたか?
シマオ:あ、分かりました!
場所を変えるのと、逃げるのとは違う。佐藤さん自身も自分のいるべき場所をきちんと見つけてきた。
佐藤さん:ところで、劣等感を一度抱いてしまうと、それを意識的に払拭するのは相当の努力が必要です。努力好きな人はいいのですが、結果とはもともとの資質とか記憶力とかが関係するのも事実。死ぬほど努力しても、思い通りに伸びてくれないこともある。そこに直面した時に、自分の限界を認めるのがまた難しいのです。これまでの苦労を考えると、諦められない。
シマオ:そりゃ、諦めたくないですね。
佐藤さん:劣等感をモチベーションに頑張り続けるということは、そこには常に相手がいるということ。あなたが努力するのと同じように相手だって努力をする。また、その相手がいなくなったとしても、また新しい競争相手は現れる。優劣という基準が頭にあると、いつまでもそこから抜け出せなくなってしまうのです。
シマオ:たしかに。自分の視座を変えない限り、ずっと同じことで悩むということですね。
佐藤さん:劣等感が積もると、今度は人の足を引っ張るという思考につながることもあります。
スマオ:劣等感が嫉妬へと変化してしまう、ということですか?
佐藤さん:そうです。それはとても残念です。今の自分を否定してはいけない。今の自分の能力は、どこが一番輝くのか、違う群れを考えてみるのです。
学歴があっても本質を磨かないと意味がない
シマオ:佐藤さんも、劣等感を抱くことなんてあるんですか?
佐藤さん:もちろんありますよ。外務省にはとんでもなくロシア語ができる人がいましたから、そういう人には劣等感を覚えました。だから、通訳の分野でその人と勝負しても勝ちようがない。そこで優劣を気にするよりは、私は情報の分野で勝負する。これが「群れ」を変えることです。
シマオ:佐藤さんでも「ロシア語がもっと上手ければな」とか思うんですね。たしかに外務省には優秀な人たちばかりいるイメージですが。
佐藤さん:そうですね。外務省キャリアの半数以上が東大卒ですし、専門職員(ノンキャリア)にも東大・京大卒がいます。でも、東大卒の人に対して劣等感を覚えたことはありませんよ。本当に頭がいいなと思ったのは5人もいないくらい。まして、東大卒を鼻にかけるような人は間違いなく、自分が思うほど優秀ではありません。
シマオ:……そんなものですかね?
佐藤さん:勉強はたくさんしたかもしれませんが、地頭がいいとは限りません。シマオ君もさっき、周りの人がいい大学出身だと言っていたけど、その人たちは本当に優秀なんですか?
シマオ:えっ、そう言われてみると、優秀というよりは要領がいいだけの人もいるかも……。
佐藤さん:人は簡単に肩書きや学歴にだまされます。でも、学歴が幅を利かせていると思われている官庁でも、東大信仰なんてとっくの昔になくなっています。直近の外務事務次官の顔ぶれを見ても、東大卒は半分くらいです。
シマオ:学歴じゃないって頭では分かっているんですけどね。羨ましい気持ちもあるのかな。
佐藤さん、私はノンキャリア相手でもキャリア相手でも、仕事では平身低頭というわけではなかったという話をしましたよね。結局は能力の問題なので、出身大学なんてなんの意味もないんです。試験のための勉強をいくらしたところで、本質を磨かなくては、人生のさまざまな場面でコンプレックスを抱き続けることは必至です。
劣等感という言葉は、ロシア語にはない
佐藤さん:結局、劣等感の最大の原因は、自分の力を過小評価していることなんですよ。
シマオ:このままで大丈夫なのか、不安なんですよね……。だから、人と比べてしまう。
佐藤さん:心配しなくても、人は一生の間に自分で食べる以上のものを稼げる。そのことは人類史が証明しています。
シマオ:自分で食べる以上のもの?
佐藤さん:人は自分が1日に食べる以上の商品やサービスを生産できているわけでしょう。だから歴史は発展してきたのです。資本主義時代になって人類の生産力は飛躍的に向上しました。あなたの労働が他人のために役立ち、人類を進化させているのです。この現実を認識して、自信を持ってください。
シマオ:なるほど、そう考えると少し肩の力が抜ける気がします。
佐藤さん:ロシア語通訳者で作家の米原万里さんは、少女時代をソビエト学校で過ごしました。彼女は『偉くない「私」が一番自由』という本の中で、「劣等感という言葉はロシア語でうまく表せない」と書いています。専門家が使うような特殊な表現になってしまう、と。
シマオ:へえ、ロシア人は劣等感を抱かないんでしょうか。
佐藤さん:ロシア人には妬みの感情は少ないように感じます。米原さんは「それは人徳者だからではなく、自分と他人は違って当然だという思考習慣があるからだ」と言っています。
シマオ:違って当然……。
佐藤さん:劣等感は誰にでもあります。重要なのは、それとの付き合い方です。私の母校、同志社大学の創始者である新島襄も、実は劣等生だったのですよ。
シマオ:そうなんですか! 意外です。
佐藤さん:新島が留学先のアマースト大学を卒業すると、普通はB.A.(Bachelor of Arts)という学位が取れます。ところが新島襄はB.S.(Bachelor of Science)でした。ギリシャ語とラテン語ができないから、「Arts」の学位が与えられなかったんです。
シマオ:厳しい……。
佐藤さん:でも、アメリカで劣等生だったからこそ、新島は同志社大学を創りました。アメリカ人学生と比べて、日本人学生の能力が低いわけではない。しかし、日本で受けてきた基礎教育に限界があるので、大学で劣等生になってしまったという自分の体験から、欧米の人たちと互角に渡り合うためには、日本に近代的な大学が必要だ。新島襄はそんな想いを強く持つようになったのです。
シマオ:なるほど。
佐藤さん:そして、東大のような官僚養成を目的とする国立大学ではなく、英米型のリベラルアーツを重視する私立大学を創ったのです。別の見方をすれば、新島襄の「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という志は、自らの「劣等感」からの解放と関係するものだとも言えます。
シマオ:新島さんも、劣等感を覚える場所とは別のところに移って活躍したということなんですね。僕も少し視野を広げてみようかと思います。
※本連載の第10回は、4月8日(水)を予定しています。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)