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新型コロナウイルスが世界で拡大する中、“震源地”の中国は感染症との戦いのトンネルを抜け出そうとしている。4月8日には武漢市の封鎖が2カ月半ぶりに解除される。
中国は1月23日、武漢市の地下鉄、航空便、高速鉄道など公共交通の運行・運航を停止し、高速道路の料金所も閉鎖した。その後、湖北省全体が封鎖された。湖北省だけではない。広東省、浙江省など感染者が1000人を超えた省では、市や区が独自の外出制限を発動した。
湖北省を切り離し、人の移動を止めた効果はテキメンだった。3月に入ると新たな感染者数は激減し、3月24日、中国政府は武漢の封鎖解除日を発表した。同じ日に東京オリンピックの延期が決まった日本とは対照的な1日となった。
武漢封鎖をはじめとする中国の移動制限に対し、日本人の多くは「中国だからできること。民主主義の日本では無理だし、真似する必要もない」と評していた。
一方で日本の大手通信会社の社員で、北京に駐在する男性(50代)は3月中旬にこう語った。
「日本が民主主義だからできないと言うけど、イタリア、フランスだってやっている。アメリカだっていずれやるだろう。日本は経済を死なせてはいけないと言うけど、このまましのぎきれる保証はない」
情報隠蔽の裏で増え続けた感染者
4月4日午前10時、武漢市ではサイレンとともに、新型コロナウイルスの犠牲者を追悼した。
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中国で新型コロナウイルスの終息が見え始めた3月中旬、医療現場や対策チームの当事者たちは、最も厳しかった時期の“舞台裏”を語り始めた。世界を唖然とさせた都市封鎖や外出制限も、今では感染対策のスタンダードになりつつある。
感染の急拡大から武漢封鎖に至る前にどんな意思決定が行われたのか、専門家や医師の記者会見、中国メディアのインタビュー記事を基に紹介する。
武漢市の感染症拠点病院「金銀譚医院」の張定宇院長は2019年12月27日、市内の病院から「コロナウイルス」に感染した患者の転院の打診を受けた。結果的にその患者は搬送されてこなかったが、29日、華南海鮮市場に近い病院で似たような症状の感染症患者が7人発生したと連絡を受け、金銀譚医院に受け入れることになった。
その日から毎日、原因不明の肺炎患者が運ばれてくるようになった。
今では周知の事実だが、武漢市や湖北省は新型コロナウイルスの拡大を数週間にわたり、隠し続けた。張定宇院長によると、1月5日には入院患者は100人に達したが、武漢市が同11日に発表した感染者は41人。その数は16日まで変わらなかった。
だが、ウイルスは情報規制を物ともせず広がっていく。タイで1月13日、日本で16日に感染者が確認された。そのころには金銀譚医院は既に患者を受けきれなくなっており、院内感染も発生していた。
初動が遅れ崖っぷちに立たされた中国が頼ったのは、17年前の重症急性呼吸器症候群(SARS)との戦いで活躍した老戦士たちだった。
武漢に緊急派遣された老戦士たち
4月1日に自分のチームとともに武漢を離れた李蘭娟氏(バスの車内)。
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感染症の専門家で浙江省衛生当局のトップを長年務めた李蘭娟氏(72)は3月中旬、「中国衛生雑誌」の取材に、
「1月初めに武漢で伝染病が発生していると聞いた。気になって事情を知っていそうな人に電話で問い合わせたりしていた」
と答えた。その後、院内感染が起きているようだと聞き、日本の厚生労働省に相当する国家衛生健康委員会に、武漢視察を申請した。
李蘭娟氏の申請を受け、国家衛生健康委員会は2003年のSARS流行時に感染抑止に貢献し、広州市に拠点を置く専門家、鍾南山氏(83)をトップとする6人のハイレベル専門家グループを組織した上で、武漢に派遣することを決定した。
鍾南山氏の秘書である蘇越明氏は、3月30日に広州日報で公開した手記で、1月18日午前、国家衛生健康委員会の職員から突然電話があり、「今日中に武漢に行ってほしい」と言われたことを明かしている。
蘇越明氏が「今日は午後まで会議があるので明日ではだめか」「航空券、高速鉄道ともに当日のチケットが売り切れている」と尋ねると、職員は「何とか今日行ってほしい。高速鉄道の切符はこちらで何とかする」と答えたという。
武漢に向かう列車の中で、鍾南山氏は既に人から人の感染が起きていると見立て、対策を講じていたという。
鐘南山氏は3月初旬に広州メディアの取材に対し、
「武漢で感染症が発生しているのは噂になっていたが、私が一連の問題の深刻さを認識したのは、1月16日に広東省が開いた緊急会議の場だ。広東省でも似たような事例が起き、しかも家庭内で感染したらしいと報告された」
と語った。1月16日には、タイに続き国外2例目の例として、日本でも感染者が発表された。
非公開会議で「人から人への感染」を確認
1月19日に武漢の金銀譚医院を訪れた鍾南山氏ら専門家。この日を境に、中国の感染症対策がようやく動き出した。
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専門家6人は1月18日夜に武漢で合流し、19日に医療機関、現地の専門家、感染症対策を担う武漢市疾病預防控制中心(CDC)、海鮮市場を視察。午後には非公開会議を開き、以下の見解をまとめた。
- 院内感染も起きており、人から人への感染が認められるのは明らか。最も厳しい感染病管理を適用し、全ての感染者を発見・隔離するべき。
- 武漢はパンデミックにある。間もなく春節が始まり、人口移動がピークを迎える。すぐに思い切った対応を取らないなら、武漢から感染者が流出し全国で蔓延するだろう。武漢に封じ込めないといけない。
- 金銀潭医院だけでは足りない。すぐにいくつかの病院を新型コロナ専門病院にして、病床を増やすべき。
- 国民に感染症の状況を正しく通知する必要がある。庶民の感染症対策への信頼を高め、社会全体に行動してもらわないと、対策の効果が弱まる。
国家衛生健康委員会の職員が北京の本部に電話をかけ、会議の内容を伝えた。国家衛生健康委員会は、国務院に連絡し、国務院から政府首脳へと伝わった。
1月19日深夜、武漢から北京に到着した李蘭娟氏と鍾南山氏は直接国家衛生健康委員会の幹部に報告し、20日に孫春蘭副総理らに面会することを決めた。
専門家グループの6人は20日午前8時半、孫春蘭副首相に武漢の状況を報告した。国務院常務委員会で新型コロナウイルスの対策が議題として取り上げられ、、李蘭娟氏と鐘南山氏も出席を求められた。
李克強首相は国家衛生健康委員会主任と湖北省のトップから現状を聞き取った後、専門家2人にウイルスへの見解と必要な対策について意見を求めた。会議後、中国政府は新型コロナウイルスをSARSと同様の乙類伝染病に指定し、最も厳しい管理体制を取ることを決定。
専門家グループは同日夕方、国民に向けて記者会見を行い、ようやく新型コロナウイルスについて注意が呼びかけられた。そのとき、専門家らは、
「政府は何も言っていないけど、私たちは武漢に入るな、出るなと強く言っておきたい。なるだけ家から出ないでほしい」
と述べている。
春節前の封鎖、やむを得なかった
3月28日に武漢市の地下鉄が再開。乗客は距離を開けて座ることが求められている。
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李蘭娟氏は武漢封鎖について、自身が進言したと中国衛生雑誌の取材で認めている。
同氏は1月18日に武漢に発つ前、地元である浙江省衛生健康委員会の張平主任に電話を入れ、「浙江省を守ってほしい、二次感染を起こさないように」と伝えた。
22日夜遅く、張平主任から電話があり、「大勢の人が武漢から浙江省に戻ってきて、二次感染だけでなく集団感染を引き起こしている。春節に入るともっと多くの人が戻ってくる。止めないと感染が爆発する」と訴えられた。
「その時に、本当にまずいと思った。浙江省が突破されるなら、全国の他の都市は一たまりもない」
危機感を強めた李蘭娟氏はすぐに「上」に報告し、
「武漢を今すぐ封鎖してほしい。さもないと、想像もできないような悲惨なことになる。(春節休暇が始まる)1月24日まで待つべきではない」
と伝えた。
23日午前10時、武漢の交通が遮断され、都市は封鎖された。
「1000万人以上が暮らす武漢の封鎖は、経済、社会に大きな打撃をもたらす。それでもあえて封鎖したのはなぜか」
中国衛生雑誌の記者にそう質問された李蘭娟氏はこう答えた。
「私たちは会見でも『武漢を出ず、武漢に入らないで』と要請した。言っただけで徹底されるなら、武漢を封鎖する必要はない。けれど、春節が近づく中で、徹底は不可能だと思った。強硬的措置で人の流れを止めるしかなかった。封鎖しなければ、全国の多くの都市が武漢のようになっていただろう。封鎖はやむを得なかった」
SARSを知る専門家と一般市民の意識の乖離
中国の感染症対策から伝わって来るのは、SARSを知る専門家たちと一般市民との切迫感の乖離の大きさだ。
封鎖直前の1月21日から22日にかけて、武漢市で調査を行ったSARS専門家で香港大学教授の管軼氏は、中国メディア財新に対し、
「保守的に見積もっても今回の感染規模はSARSの10倍以上だろう。武漢は既に制御不能だ」
と述べた。
21日に武漢に入った管氏はまず野菜市場を視察し、人々がいつも通り買い物をしている光景に震撼した。
その後、市内を見回った管氏は、武漢の新型肺炎が既に制御不能な状態だと判断、病院を視察することなく22日に香港に戻る航空券を買った。
22日に武漢空港に着いた管氏は再び絶句した。20日に国の専門家が会見し、「武漢にいる人は武漢にとどまり、外地の人は武漢に入らないでほしい」と警告したにもかかわらず、空港には団体旅行客がちらほらいて、空港の床の消毒もされていなかったからだ。
管氏は、財新の記者に、
「政府が新型肺炎の封じ込めに全力をあげると声明を出し、現地は厳戒態勢をとっていると想像していたが、庶民は感染症対策よりも新年の準備を優先していた。何とかわいそうだと思った」
と語っている。
菅氏は武漢から香港に戻って自主隔離を始め、財新の記者にも電話で対応した。菅氏は武漢で病院を視察しておらず、患者も診ていない。ウイルスの詳細もほとんど分かっていない中で、筆者も菅氏の発言に半信半疑だったが、今読み直してみると、彼の見立てはかなり正確だったことが分かる。
鐘南山氏も武漢に向かう列車の中で、新型コロナウイルスがSARS並みの大きな感染症だろうと、秘書に話している。
専門家と国民の意識には相当な開きがあり、さらにSARSを自国で体験した国とそうでない国の意識差も小さくない。
1月時点の日本はどうだっただろうか。日本で感染者が確認されても、専門家、厚労省とも自国への影響は少ないとの見方だった。
外出自粛要請もカフェがにぎわう東京
4月4日午後、都知事が「外出を控えて」と呼びかける中でも都内の公園は多くの人でにぎわっていた。
撮影:浦上早苗
1カ月前、安倍首相が一斉休校を発表したとき、「仕方ない」という声はあまり聞かれなかった。子どもを持つ親の間では、「子どもは感染力が低いのに、なぜ子どもからやるのか……」「突然言われても対応できない」「せめて学童保育を開けてほしい」という声が噴出した。
ただし、子どもが感染力が低いというデータはその時点では示されていなかった。中国の専門家や世界保健機関(WHO)は「(15歳以下の)子どもは重症化しにくい」「年齢とかかりやすさは関係ないが、重症化のしやすさは関係している」との見解を発表しており、それが「子どもはかかりにくい」「若者は重症化しにくい」と伝わったと思われる。
筆者は一斉休校に批判的な日本人から、「中国は強権的な方法で対応したけど、日本はそれは許されない。中国国民は自国のやり方をどう思っているのか」と聞かれた。実際、その頃には中国人だけでなく中国に住む日本人も「中国の方が安全、日本は緩すぎる。もやもやする」と話していた。
筆者は「本当にこの危機が自分事だと感じていれば、やり方よりも、元の生活に戻す道筋をつけてくれるリーダーを評価するのではないか。どの国だってそうだと思う」と答えた。
一斉休校から1カ月。予定通りに新学期の授業を再開する方針の自治体には、「命が惜しくないのか」との批判が集中している。感染は落ち着くどころか急速に広がり、著名な芸能人が命を落とし、自分の生活圏でも感染者が出てきてようやく、危機感が共有されるようになった。
それでも、4月4日、東京都知事が外出自粛を要請する中でも、筆者の自宅近くにある公園はカップルや家族連れでにぎわっていた。併設されたカフェはほぼ満席だった。
「言って聞いてくれるなら、封鎖する必要はない。けど、言うだけでは徹底されないことは明らかだった」
李蘭娟氏の言葉を、日本人はどう受け止めるだろうか。
(連載ロゴ:星野美緒)
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。現在、Business Insider Japanなどに寄稿。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。