同期の出世を素直に喜ぶことができないシマオ。スタートラインは一緒だったにもかかわらず、シマオが知らない間に同期との差は確実に広がっていた。「能力は遜色ないのに、なんで僕よりあいつの方が選ばれるんだ」。シマオの中に生まれた「嫉妬」に気づいた佐藤優さんは、その負の感情にひとつの示唆を与える。
仕事の嫉妬は人生を狂わす
シマオ:佐藤さん、僕、最近、転職しようかと思っていて。
佐藤優さん:なぜですか?
シマオ:会社の中で、僕の立ち位置ってちょっと微妙だなって、最近思うんです。このままいても評価されないまま終わるのかも、と。
佐藤さん:はい。
シマオ:この前、同期がマネージャーに昇進したんですよね。うちの会社はそこそこ規模が大きいので、社内のマネージャー試験に受かるのは結構大変なんです。
佐藤さん:社員1万人くらいでしたっけ?
シマオ:はい。その同期は、最初に配属された部の部長にかなり可愛がられていて。僕たちの中でも1番にマネージャー試験に推薦されたんです。そんなチャンスはなかなかないんですよね。
佐藤さん:なるほど、シマオ君はその同僚に嫉妬しているんですね。
シマオ:えっ? あ、そうなのかな。これって嫉妬なんですか?
佐藤さん:そう思いますよ。嫉妬の定義とは何か知ってますか?
シマオ:妬むことですよね。
佐藤さん:はい。もっと言うと、歴史学者の山内昌之さんは『嫉妬の世界史』という本で、嫉妬とは「他人が順調であり幸運であることをにくむ感情」と定義しています。
シマオ:他人の順調や幸運をにくむ……。
佐藤さん:男女の関係ももちろんありますが。仕事においての嫉妬はたちが悪いですよ。私は外交官時代、霞が関の官僚や永田町の政治家たちを内側からよく観察してきました。そこで、いわゆるエリートと呼ばれている人たちが抱く嫉妬の恐ろしさを目の当たりにしました。
シマオ:おどろおどろしいことが起きていそうですよね。佐藤さんも被害にあったことがあるんですか?
佐藤さん:正直なところ、私自身は嫉妬されるような立場にいたとは思いません。けれども、机の上のノートや手帳がなくなっていたということが何回かありましたね。
シマオ:そんな幼稚な!
佐藤さん:そんなものです。そもそも嫉妬は幼稚な感情です。この幼稚さが嫉妬の恐さです。嫉妬している人は、自分がそういう下劣な感情を抱いているとは思っていません。だから面倒なのです。
シマオ:自分の幼稚さを自覚してない……。
佐藤さん:嫉妬が原因で引き起こされる事件によって、人生が思わぬ方向に行ってしまうことも多いんです。なので、人から妬まれることは極力避けた方がいい。それだけは言えます。組織の中で自分が気をつけていても、誰かの嫉妬の渦に巻き込まれることがあります。
シマオ:嫉妬の渦。巻き込まれ事故だけは避けたいですよね。
佐藤さん:これを制御するのは上司の役目です。上司が部下の嫉妬心をどれだけ抑えることができるか、という嫉妬マネジメントが極めて重要になってくると思います。「おまえ嫉妬するな」と言っても効果がないので、「この仕事をあなたは見事にこなした。高く評価しているよ」と褒めること。これが大変効果的なんです。
嫉妬心が希薄なのは、本当によいことか?
シマオ:嫉妬は人を醜くしますよね。やはりそんな感情は持たない方がいいですよね。
佐藤さん:実はそうとも限りません。私も以前は、嫉妬心が希薄なことはよいことだと考えていました。でも、ある時それが間違いだったと気づかされたんです。
シマオ:なんで間違いなんですか?
佐藤さん:それは、鈴木宗男さんを見ていて分かったことなんです。鈴木さんは政治家にしては本当に珍しいほど嫉妬心がまったくない人なんです。
シマオ:へえ、そうなんですね?
佐藤さん:私の知るかぎり、政治の世界ほど嫉妬が渦巻く世界はありません。官僚の鉄則は、政治家の前では他の政治家を褒めても、けなしてもいけないというものです。でも、鈴木さんは他の政治家が褒められているのをただ感心し、聞いているだけでしたよ。
シマオ:いい人じゃないですか。
佐藤さん:しかし、嫉妬心が希薄ということは、他人からの嫉妬に鈍感であるということでもあるんです。私は、そのことが、後のいわゆる「宗男事件」で鈴木さんが逮捕される原因の1つだったと考えています。
シマオ:人のやっかみに気づかないので、足もとをすくわれてしまった……。
佐藤さん:そういうタイプの人は能力が高かったり、地位が高かったりする人に多いんです。外務省の欧州局長を務められた東郷和彦さんは、父(外務事務次官と駐米大使を歴任)も祖父(駐ソ連大使、外務大臣を歴任)も外交官という家系の出身です。彼は英語だけでなく、フランス語もロシア語もペラペラです。
シマオ:まさに、サラブレッドですね!
佐藤さん:東郷さんがある時に言っていたのですが、「本当は外交官でなくフランス文学の文芸批評をやりたかった。でも才能がないから、しかたなく外交官になった」と。
シマオ:しかたなく外交官……。一度でいいから、そんなこと言ってみたいです。
佐藤さん:しかし、そこには嫌味がまったくないんです。そんなこと、普通の人が聞いたら嫉妬するはずですが、当の本人はその感情が分からないので、周りの悪意に全然気づいていないわけです。
嫉妬のやっかいなところは、本人がその幼稚な感情に無自覚だということ、と佐藤さんは言う。
嫉妬のマネジメント
シマオ:佐藤さんは嫉妬に駆られることはないんですか?
佐藤さん:私自身は、嫉妬心が少ないほうだと思います。と言っても、高校時代の恋愛では嫉妬を感じることもありましたが。
シマオ:佐藤さんの恋愛……そっちのほうが興味あります!
佐藤さん:それはプライバシーだから話しません(笑)。妬まれていることに気づかないのは性格の良さでもありますが、それが溜まるとある日爆発してしまうわけです。窮鼠猫を嚙むという言葉がありますが、鼠が100匹集まれば、猫だってひとたまりもありません。
シマオ:嫉妬心があまりにないのもよくない。とすると、どうすればいいのでしょう?
佐藤さん:まず、嫉妬には2種類あることを認識しておくとよいでしょう。正のエネルギーになるものと、負のエネルギーになるものがあります。
シマオ:良い嫉妬と悪い嫉妬ということ?
佐藤さん:そう。精神科医の齋藤環さんは、精神分析の世界でそれらを「嫉妬」と「羨望」とに分けて考えると言っています。
シマオ:どう違うんでしょうか。
佐藤さん:嫉妬する相手も羨望する相手も、どちらも自分より上の存在だけれど、簡単に言えば、羨望の相手のほうが距離感が近い。だから引きずり下ろしたくなるんです。それに対して、自分よりずっと上の相手を見て「自分もああなりたい」と思うのが嫉妬だということです。
シマオ:え? 逆ではなくて?
佐藤さん:はい。嫉妬と羨望、どちらも自分にないものを羨む気持ちだけど、ベクトルが違うんです。嫉妬は、足りないものを補って「いつか見返してやる」という正の方向に行く可能性がある。一方の羨望は、自分になくて相手が持っているものを壊したいという負の方向に行きます。
シマオ:つまり、僕らが悪い意味で使っている嫉妬は、精神医学的には「羨望」の方だということですか?
佐藤さん:そうです。 精神医学の世界ではジェラシー(jealousy)=嫉妬、エンビー(envy)=羨望と日本語を当ててしまったので、少し分かりづらいところではありますが。
嫉妬が、相手に勝とうとして自分を引き上げるほうに向かうのに対して、羨望は、相手を引きずり下ろそうとするわけですから、前者はポジティブな感情、後者はネガティブな感情と言えるでしょう。
シマオ:英語で考えると何となく分かる気がします。“I'm jealous”より“I envy”の方が妬んでる感じがする。
佐藤さん:はい。なので、嫉妬というのは、正のエネルギーになる嫉妬は向上心を呼び覚ましたり、組織を活性化させたりする働きを内在している。だから、私は「嫉妬のマネジメント」が大切だとずっと考えてきました。
シマオ:たしかに、頭のいい友人を見て「僕も負けられない」と勉強して、実際に成績が上がったことがあります。あれはいい嫉妬だったのか。
佐藤さん:政治の世界の嫉妬は醜い部分もあります。でも、他人を蹴落としてでも上を目指すというのは、政治家の本能でもあり、それがエネルギーとなっている部分もありました。最近はそうしたギラギラしたパワーが永田町から失われているように感じますね。
「嫉妬」と「熱意」は同じところから生まれる
シマオ:嫉妬を適切にマネジメントする具体的な方法はありますか?
佐藤さん:嫉妬している人というのは、自分が嫉妬しているとは感じていないものなんです。逆に「あの人が悪いから」と相手の欠点を見つけ出し、自分を正当化します。
シマオ:タチが悪いですね。
佐藤さん:むしろ嫉妬している人は、優越感を抱いているんです。私のほうができるのに、正当に扱われていないという不満が嫉妬につながります。
SNSなどにより、他人の切り取った一瞬が共有できてしまう現代。羨望と嫉妬という感情が顕在化してしまうことも。
撮影:今村拓馬
シマオ:自分が嫉妬してしまっているかどうか気づく方法はあるんでしょうか?
佐藤さん:何でも言い合える友人に指摘してもらうしかないでしょうね。嫉妬が友人関係に大きな影響を及ぼすこともあります。夏目漱石の『それから』を読んだことはありますか?
シマオ:たしか、友達の妻を奪ってしまう話でしたよね。
佐藤さん:主人公の代助は、漱石の小説によく出てくる「高等遊民」です。つまり、学歴があって裕福な家から仕送りもあるから、働かなくても暮らしていける。
シマオ:うらやましい。
佐藤さん:親友である平岡は、銀行に勤めて自力で生活しています。学生時代、2人がともに思いを寄せていた三千代という女性と平岡は結婚するのですが、それは代助の勧めによるものでした。
シマオ:自分で結婚を勧めておいて、後で奪うなんて意味が分からない。
佐藤さん:そう。『それから』は不条理小説です。実は、代助の嫉妬の感情は、三千代の件だけではなく、平岡の生き方に対してもあるんです。代助は働いていない。にもかかわらず、銀行をトラブルで辞めざるを得なかった平岡に対して終始上から目線です。これは生きる力を持った平岡に対する代助の嫉妬です。
シマオ:なるほど。そういう読み方ができるんですね。
佐藤さん:親友に裏切られたと知った平岡は、代助の父親に手紙ですべてを知らせます。結局、代助は家から勘当されてしまいます。問題は、代助は自分が嫉妬しているということに気づいていない、というところにあるんです。
シマオ:嫉妬に気づかなかったことが、悲劇につながったわけですね。
佐藤さん:旧約聖書には「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神である」(出エジプト記)という言葉があります。一方、ジェラシーという言葉の語源はzeal、つまり「熱意」という言葉と同じなんです。
シマオ:神様ですら嫉妬深いのなら、人間も嫉妬してしまうのは仕方ないですね。
佐藤さん:嫉妬の感情は、愛に近い熱意の源でもあるということです。私は嫉妬心が薄いと言いましたが、過去の優れた神学者の本を読むと、すごいなと思うと同時に、なぜこんなことが書けるのかと嫉妬することがありました。
シマオ:レベルの高い嫉妬です……!
佐藤さん:今、作家として表現活動をしているのは、その嫉妬を熱意に転換しているのだと言うこともできると思います。なので、嫉妬を感じたら、それをプラスのエネルギーに変換するような視点を持ってください。そのコントロールができるかできないかで、あなたのこれからの人生は大きく違ってきますよ。
※本連載の第11回は、4月15日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)