撮影:今村拓馬、 mikroman6/Getty Images
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。特にコロナウイルスが世界を覆う今は、その傾向が顕著になりました。仮に感染がある程度収束しても、「正解がない」不確実性の高い時代は続くでしょう。だからこそ、人は「正解がない中でも意思決定するために、考え続ける」必要があります。
経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。「普遍性、汎用性、納得性のある世界標準の経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも参加してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただ本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
さて今回からは4回にわたり、読者のみなさんから寄せられた声に、入山先生が経営理論を思考の軸にしながら答えていきます。今回からは、この議論をラジオ形式で音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:8分19秒)※クリックすると音声が流れます
みなさんこんにちは。この連載では毎回、僕が読者のみなさんに「お題」を出しています。連載初回で出したお題は、次のようなものでした。
このお題には、予想以上にたくさんの回答が寄せられました。本当にありがとうございました。今回から4回にわたり、そのお題に寄せられた声に世界標準の経営理論を思考の軸にしながら、僕なりに応えてみようと思います。
この連載の第1~4回を読んでくださった方はお分かりと思いますが、経営学は「これが正解です」「あなたはこういうふうにしなさい」というように、正解や答えを提示するものではありません。
ただ、「経営学には、こういう視点がありますよ」というように、考え方のヒント・思考の軸にはなる。経営理論とはいわば、複雑な経営事象を人間の性質に基づいた角度で切ってみせる、鋭利なナイフのようなものです。事象の断面をスパッと切り取ると、モヤモヤしていた考えが言語化されてスッキリします。そこからみなさんの考えをさらに広げ、深めていただければと思います。
ところでこの連載の収録の模様は、音声でも聴くことができます。僕がBusiness Insider Japanの編集部の方々を相手にラジオ形式でトークしていますので、この記事の末尾に埋め込まれた音源もぜひお聴きください(その音源とはまた一味違うスタイルで読みやすく文字に直したのが、この文章です)。
文章でも音声でも、あるいはその両方でも、お好きなほうを選んでいただき、感想や意見をお寄せいただければ嬉しいです。できる限り、読者のみなさんと対話をしながらこの連載を続けていければと思っています。
1人の中に「多様性」を持つ
ここからが本題です。先月の「お題」に寄せられた読者の回答から、今回は2人の方の声をご紹介します。
1人はいま自動車整備士をなさっている20代前半の男性の方。仮にAさんとしておきましょう。もう1人は20代後半の男性で大学院生の方。こちらはBさんとお呼びします。AさんもBさんも、進むべき道について迷っているようです。
このお2人のような悩みは、読者の中にも持っている方は多いのではないでしょうか。先にも述べたように僕は「これが正解」と言うつもりはありません。ただ経営理論を思考の軸とするとこういう考えもあるよ、という話をしてみましょう。
そのヒントとなる視点は、「イントラパーソナル・ダイバーシティ(intrapersonal diversity)」というものです。日本語で言えば「個人内多様性」とでも訳せるでしょう。詳しくは拙著『世界標準の経営理論』の243~244ページをご参照ください(ちなみにこの連載を読む方は、できればこの本を手元に置いて参照しながら読み進めていただくと、さらに理解が深まると思います。必ずしも買っていただく必要はなく、図書館で借りてもらっても結構です)。
ではまず、「イントラパーソナル・ダイバーシティ」とは何でしょうか。
一般に「ダイバーシティ」というと、日本の組織では普通、組織の中にいる人たちが多様化されることを指します。組織に男性ばかりでなく女性を増やすとか、健常者ばかりでなく障害者も雇用するとか、日本人だけでなく外国人にも働いてもらうなどですね。
しかし海外の経営学では「イントラパーソナル・ダイバーシティ」も重視されつつあります。これは、「1人の人の中にダイバーシティがあるのが強みになりうる」という考え方です。
この連載の第1回~4回でも触れましたが、これからの時代は環境の変化が激しいので、常に自分を変化させることが必要になってきます。そのためには、「なるべく自分の認知から離れた遠くの多様な知見を手に入れる」ことが非常に重要になります。これを経営学では「知の探索」と呼ぶことは、すでにこの連載でも述べました。
そしてそう考えると、ずっと1つの仕事しかしないよりは、自分の現在の認知の外に出ていって、多様な知見や経験を幅広く積んでいくことが、結局はその人の強さになると言えます。
すなわち「多様な業界や職業の経験をしていることでイントラパーソナル・ダイバーシティが高い人が、自らをどんどん変化させて、結局は新しい時代に価値を出せる可能性が高い」ということになるのです。実際、最近の経営学の実証研究ではイントラパーソナル・ダイバーシティが高い人がパフォーマンスも高いという研究が出てきています。
ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞者の共通点とは?
入山先生が審査員を務める「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」。受賞者たちのキャリアを見て、ある共通点に驚いたという。
撮影:今村拓馬
そしてこれは私たちの周りにも当てはまりそうです。これは以前にBusiness Insider Japanの別の記事でもお話ししたことですが、実際にいま世の中で変化を起こしている人は、イントラパーソナル・ダイバーシティが高いことが多い。
こういう人は「この人は弁護士です」とか「この人は生涯エンジニアです」というように肩書きを一言で言い表すことができない。傍目からは何をやっているかよく分からないとさえ言える。でも実はそういう人の方が新しい視点を持てて、変化に対応できている。
例えば僕は「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の審査員を過去4年間務めています。これはビジネス界で新しいことや革新的なことをしている女性の方々を対象とした賞です。そして僕が最初に審査員を務めた年に驚いたのは、受賞者がことごとく「マルチキャリア」だったのです。みなさん多様な職種を渡り歩いている。
例えばその年は、デザイン経営などをやっているロフトワークという企業の創業者である林千晶さんが受賞されましたが、彼女はもともとは共同通信のジャーナリストでした。同じく、「未来食堂」という社会起業をされている小林せかいさんはもともとIT系のエンジニアです。FOVEというVRヘッドマウントの創業者の小島由香さんは、もともとは漫画家でした。
みなさんことごとくイントラパーソナル・ダイバーシティが高い。実はこの傾向は、その後のウーマン・オブ・ザ・イヤーでも同じです。これを偶然と言えるでしょうか。
繰り返しますが、イノベーションはすでにある「知」と「知」を組み合わせることで起こります。そのためには、こういった方々のようにいろいろなことに手を出して幅広い知見や経験を持つ人のほうが、それが知の探索となって今までの経験や知見を組み合わせることができるので、結局は新しい価値を生み出せる可能性が高いのです。
“寄り道・回り道”も悪くない
長い職業人生の中では、否応なしに方向転換を迫られることがあるかもしれない。
Shutterstock
このように経営学から考えると、Aさんに対しては、「これから先の変化が激しく先が見えない時代においては、整備士一筋という生き方よりは、いろいろな仕事を経験してみるのも悪くない」というのが一つの思考の軸になります。
もちろん整備士も社会的にとても大事な仕事です。でもちょっと大胆なことを言うと、「整備士」という仕事自体は今後、ロボットなどの機械である程度は代替できるようになるかもしれません。
そうなった時でも、「整備士もできるけど、エンジニアもできます」とか、極端に言えば「整備の仕事以外に、画家と作家もやっています」となると、後になってそれが全部紐づき、意外な力を発揮できる可能性があるわけです。
Aさんはまだ20代前半とのことですから、これから人生100年時代になると、あと50~60年は働かなければいけなくなります。その長い年月の間には、否応なしに方向転換を迫られる日が来るかもしれない。ですから、もっといろいろなところに知見や視野を広げられるといいのではないかと、僕は思います。
アカデミアに残るか民間企業で働くかで悩んでいる、20代後半のBさんについても同様です。なるべく多様な経験を積んだほうがいい。僕は「アカデミアか民間か」ではなく、「アカデミアも民間も」という考え方がいいのではないかと思います。
例えばいま大学院生なら、一度思い切って民間に出てみる。民間企業には民間企業なりの面白さがあるので、それを経験した後、再びアカデミアに戻ってもいいかもしれません。あるいはしばらくアカデミアに残って、どこかで民間に飛び出すことを考えてみてもいいかもしれません。
入山先生自身、民間とアカデミアの架け橋となりながら「イントラパーソナル・ダイバーシティ」を広げてきた。
Shutterstock
実際、僕も日本で大学院修士を出てから、民間で5年働き、その後でアメリカでアカデミアに戻って博士号を取り、今はまた日本で企業の社外取締役をやるなど、民間とアカデミアの架け橋のようなことをやっています。
このように経営理論から考えれば、これからの時代に「いろいろな寄り道、回り道をしてみること」は、悪くないのです。それが、結局はイントラパーソナル・ダイバーシティを高めることにつながるからです。
「中途半端にならないか不安」
ところで今回の取材には、読者と同じミレニアル世代の代表として、Business Insider Japan編集部の横山耕太郎さんにも同席してもらっています。彼は僕のAさんとBさんに対する回答を聞き、彼は次のようなコメントをしてくれました。
これも分かりますよね。1人の中で多様性が高いと、1つひとつが中途半端になるのではないか、「モノになるのか」が分からない、という懸念です。これに対する僕の意見は、「ある程度は中途半端でもいいんじゃないか」ということです。
まず、そもそも「中途半端ではない状態」とはなかなか定義づけられません。アメリカで博士号を取った僕だって、いまだに「経営学者として自分は中途半端」と思ってます。ただ、その不安から1つのことだけを突き詰めて「自分は1つの経験しかない、それしかできない」となると、結局は変化に対応できなくなります。
他方で、多様なことをやると、「本当にこれがモノになるのか」と不安にもなるかもしれません。でもみなさんが今やっている新しいこと、多様な経験が、本当に将来に果実を生むのか、モノになるのどうか、これは現時点では絶対に分かりません。
スティーブ・ジョブズの「connecting the dots」という有名な言葉がありますが、イノベーションというのは、さまざまなことをやってもがいた後で、つまり何年も経って振り返った時に、「実は、あの経験とあの経験がつながっていたのだな」となるものです。先ほどの例で言えば、小島さんだって漫画家時代に自分がVRのヘッドマウントを作るイノベーターになると思わなかったでしょう。
ですから横山さんも、今ではなく、何年も経ってから「ああ、新聞社とBusiness Insider Japanでこういうことをやった経験がつながったな」と初めて分かるのであって、移ったばかりの今の時点では、それが将来どうなるかは絶対に分かりません。変化の時代とはそういうものです。
だからこそ、「ものになるかどうか」ではなく、自分が面白そうだと思うことをやるのが一番だと思います。横山さんは「没入感を覚えるほど夢中になれるものがない」のも悩みだそうですが、だったら、まずは少しでも自分に関心がありそうなことをとりあえず何でもやってみればいいと思います。
整備士のAさんと大学院生のBさん、そして読者のみなさんには、イントラパーソナル・ダイバーシティを一つの思考の軸にして、ご自身のあるべきキャリアをぜひご自身で考え続けていただければ嬉しいです。
【音声版フルバージョン】(再生時間:16分19秒)※クリックすると音声が流れます
回答フォームが表示されない場合はこちら
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。