自分の中に生まれる「負の感情」を解決する糸口を見出したシマオ。劣等感であっても、嫉妬であっても、その原因は必ず自分自身の中にある。抱いた感情を一つひとつ切り分けて考えることで、問題はとてもシンプルになるのだ。そこに気づいたシマオは、自分の短所である「自己嫌悪」に対して、より理解を深めたいと佐藤優さんに相談した。
自己嫌悪は成長の素
シマオ:前回、嫉妬の感情に関していろいろと教えてもらったのですが、そういう負の感情って一つひとつ自覚し、克服していくことが大切なんですね。
佐藤さん:そうですね。自分のことを愛すべきというキリスト教の教えからしても、自分の長所短所をきちんと理解しておくというのは重要です。
シマオ:短所はすぐに出てくるんですけどね(笑)。短所と言えば、僕はよく自己嫌悪に陥ることがあって。「あんなこと、言わなければよかったな」とは「あんなことして、どう思われたかな」ととか、いつも後悔してため息をついている気がするな。
佐藤さん:自己嫌悪ですか。でも、それは必ずしも悪いことではありませんよ。
シマオ:そうですかね。
佐藤さん:自己嫌悪というのは、自分を突き放して他者として見ることができているということです。それだから、自己嫌悪は反省のために非常に重要なものなんですよ。
シマオ:自分を客観視できているということですね。そう考えると楽になります。
佐藤さん:幻冬舎の社長の見城徹さんも、「自己検証、自己嫌悪、自己否定。この3つがない人間には進歩がない」と著書で書いています。「自分が駄目になっていることを自覚できない人間は駄目だ」とも。
シマオ:自分に厳しいというか、ストイックすぎて真似できるかどうか……。
佐藤さん:でも、こうした自己嫌悪は、最終的には自分の成長を促すとてもポジティブなものなんです。
シマオ:佐藤さんは自己嫌悪に陥ることなんてありますか?
佐藤さん:毎日ですよ。「ああ、今日も食べ過ぎてしまった」ってね。それで「今日は例外だ」と思って、さらに「これがいけないんだ」ってなる。
シマオ:なんだか、かわいいですね(笑)。
佐藤さん:そうでもないですよ。過食からくる肥満で腎機能が低下してしまいました。現在、闘病中です。「あんなに食べるんじゃなかった」と自己嫌悪を覚えています。
意外にも、佐藤さんの自己嫌悪の原因は「過食」。それも「自分は食べ物に弱い」という一つの学びに。
表現者が自己嫌悪に陥りにくい理由
佐藤さん:自己嫌悪に陥った時にやるといいのが、ノートに書き出すことです。何が問題で、それは自分で解決可能か、そうでないのか。なぜ自己嫌悪の感情が湧き起こるのか、それを対象化するんです。
シマオ:問題を切り分けて考えるということですね。でも、自分で解決できない、となったらどうするんですか?
佐藤さん:それは放っておくしかありませんね。解決できない問題は考えるだけ時間の無駄です。むしろ、そういう問題はどす黒くドロドロした感情になりがちだから、できるだけ顕在化しないようにしておくのが大切です。
シマオ:フタをしておくってことですね。
佐藤さん:例えば、仕事の能力における自己嫌悪なら、努力でなんとかなるかもしれません。でも、容姿についての自己嫌悪はどうですか?
シマオ:どうしようもないです。
佐藤さん:化粧や整形によってなんとかするという方法もあるかもしれませんが、とりあえずは考えてもどうしようもないのだから、放っておくことです。もしくは、内にため込まないで表現として解消したほうがいい。
シマオ:そこは嫉妬の対処法とも似ていますね。佐藤さんのように作家という職業なら、作品でその感情を発散することができますね。
佐藤さん:そのとおり。外務省のけしからん出来事で感じたモヤモヤは、『外務省ハレンチ物語』に全部吐き出しました。表現者はそうやって処理できるから、そもそも自己嫌悪に陥りにくいんです。
シマオ:表現者は自己嫌悪に陥りにくい……。僕たちもSNSとかブログで吐き出すことはできそうです。
佐藤さん:そうですね。でも気をつけないといけないのは、負の感情をそのまま言葉にしてしまうと、むしろ増幅させてしまう危険があることです。今のネット空間はどちらかと言えばそんな印象です。表現には技術も必要なんですよ。ただただ悪口だけを書くのは表現とは言わない。表現ではない発信は、自分を救いませんよ。
自己嫌悪と自己愛は表裏一体
シマオ:でも、自己嫌悪に陥りがちな人は、どうして自分を責めてしまうんでしょう。
佐藤さん:実は、そういう人たちは、自分を本気では責めていないと思いますよ。むしろ、「責めている自分」が好きなんです。
シマオ:それも一つのナルシストってヤツですか。
佐藤さん:自己嫌悪とセット考えなければいけないのが、自己愛です。繰り返しますが、イエスは「隣人を自分のように愛しなさい」と言っています。この「自分のように」というのが重要で、自分を愛さないと他人を愛することはできない。でも、自己愛は時に暴走します。
シマオ:自己愛が暴走というのは、自分大好きってことでしょうか。
佐藤さん:というよりは、自分は特別だと思っていると言った方が近いかもしれません。周囲の人は、そういう自分に嫉妬していると考えている。
シマオ:近くにいたら面倒くさいな……。
佐藤さん:だから孤立してしまう。実はエリート官僚にはそういう人が少なくありません。本谷有希子さんの小説『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』に出てくる和合澄伽という人物は、高校の演劇部に入っていますが、自分は将来、大女優になると確信しています。
シマオ:僕も読みました。高校の文化祭で演じた舞台を誰もが白けた目で見ているのに、一向に自信を失わないんですよね。鋼のメンタルってやつです。
佐藤さん:そんな姉を見て、妹は「現実が姉を呑み込むか、姉が現実を取り込むか」の闘いだと思います。どちらが勝つのか分からない。
シマオ:社会の現実に合わせて自分が壊れるか、頭の中で現実をねじ曲げるか……。究極の選択ですね。
自己愛と自己嫌悪の変容
佐藤さん:つまり、行き過ぎた自己嫌悪というのは、ゆがんだ自己愛と表裏一体だということです。自分が特別だからこそ、そのレベルに達していない自分を責めてしまう。そもそも自分の過度の期待をしているから、それができなかった時の落胆が大きいんです。
シマオ:そもそも自分の能力が客観的に分かっている人は、自己嫌悪に陥ることも少ないということか。
佐藤さん:私が気になるのは、そうした自己愛や自己嫌悪の性質が、最近変わってきていることです。
シマオ:と言うと?
「自己嫌悪」とは「自己愛」の裏返し。しかし現代ではそもそもその感情が欠落した人が増えてきたと佐藤さんは言う。
撮影:今村拓馬
佐藤さん:本谷さんの小説や見城さんの発言から分かるように、以前は自己愛も自己嫌悪も、向上心や上昇志向に近いような感情でした。それが最近は見られなくなっているような気がします。
シマオ:前にもおっしゃっていた「土俵に上がらない人」が増えていることともつながりますね。
佐藤さん:はい。そのことをよく表しているのが、村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』です。
シマオ:芥川賞を取った作品ですね。
佐藤さん:主人公の女性は、長年コンビニで働いています。彼女は 「コンビニで働いていると、そこで働いているということを見下されることが、よくある。 興味深いので私は見下している顔を見るのが、わりと好きだった」と言います。
シマオ:馬鹿にされたら普通はムカつきそうなのに、冷静ですね。
佐藤さん:そこです。彼女からはきれいさっぱり自己愛というものが抜け落ちている。最近はそういう人が増えているのではないでしょうか。
シマオ:そうですね。でも、上昇志向ってそんなに持たないといけないものなんでしょうか? 他人を蹴落とさないでいい、平和な感じのほうが生きやすい気がしますけど。
佐藤さん:上昇志向はなくてもかまいません。そのかわり若い人に増えているのが、評価に対する不安感です。総中流でなくなった社会で、「中の下」になることを恐れている。
シマオ:中の下?
佐藤さん:今までは5段階評価で3だったのが、6段階評価で3になる感じです。友人や上司から平均以下に見られることに、ものすごい恐怖を感じているんです。
シマオ:たしかに、それはあるかもしれません。学校でも、特に人気者にはならなくてもいいけれど、カーストの下にだけは絶対なりたくないですよ。
佐藤さん:そうした不安感を拭うためにも、健全な自己愛を持つことが大切です。パウロは「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリントの信徒への手紙1)と言いました。自分を健全に愛することが、あらゆる負の感情から身を守るための手段なんです。
シマオ:自分を適度に好きになる。そのために悪い部分を客観視できるようになるといいんですね。ノートへの書き出し、さっそくやってみます。
※本連載の第12回は、4月22日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)