ジョンソン英首相、集中治療室出る。それでもコロナ危機は英EU「将来の関係」に決定的影響と言える理由

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新型コロナウイルス感染を公表する1日前のボリス・ジョンソン英首相。首相官邸前。

REUTERS/Hannah McKay

ジョンソン英首相の新型コロナウイルス感染が伝えられてから2週間が経過した。

当初はビデオ会議を通じた執政が伝えられ、様態は安定しているように見受けられた。しかし、4月6日に症状悪化と集中治療室(ICU)入りが伝えられて以降、日米EU首脳が回復を祈念する声明を発表するなど、世界中の人々がジョンソン首相の容態を固唾をのんで見守る状況が続いた。

首相官邸の発表によれば、人工呼吸器は使わず、肺炎の症状もないとされ、9日にはICUを出て一般病室に移ったと発表された。ひとまず大事に至る気配が薄れたようなのは何よりだ。

政権運営については、いつまでも首相不在の状況では立ちいかないため、ラーブ外相が首相代行に就いている。ただ、重要な意思決定については閣内の意見を集約した上でくだす必要があるとされ、代行権限の面で議論が起きている模様だ。そのあたりがイギリス政治の挙動を遅滞させるようなことがないか、不安視される。

なお、政権ではジョンソン首相と同日にハンコック保健相が感染を公表したほか、ゴーブ内閣府担当相も7日、家族に新型コロナウイルスの症状が出たため、自主隔離しながらの公務という状況にある。

コロナショック以前からあった課題

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イギリスのEU離脱(ブレグジット)を祝うロンドン市民。1月31日撮影。

REUTERS/Henry Nicholls

重要な意思決定という文脈で言うと、2020年のイギリスはもともと大きな課題を抱えていた。「ブレグジット」後に欧州連合(EU)との間で行われる「将来の関係」交渉のゆくえだ。

コロナショックないしジョンソン首相のウイルス感染の有無にかかわらず、この交渉は年央にかけて大きな問題になると言われていたが、一連の混乱もあって、その処遇をいよいよ考えるべき状況に差しかかっている。

現状を整理しておこう。

イギリスは2020年1月末をもってEUを離脱したものの、自由貿易協定(FTA)をはじめとする「将来の関係」が定まっていない。そのため、2020年中は現行の経済関係を継続する移行期間として激変緩和措置が講じられ、イギリスとEUの間にはまだ関税・非関税障壁が発生せずに済んでいる。

したがって、現状は「名目的にはEUではないが、実質的にはEU」という齟齬が生じている状態だ。

この点について、コロナショック以前から存在した問題は、「2020年末で終了する移行期間を延長するかどうか」だった。延長する場合、2020年6月末までに双方合意の上で決断することになっており、その場合でも延長は一度限りで最長2年まで可能という取り決めになっている。

延長の合意をせず、なおかつ2020年末までに「将来の関係」について合意形成できない場合、2021年以降のイギリスとEUは、世界貿易機関(WTO)のルールにもとづく単なる隣国関係になり下がる。関税も復活する。

結局、回避されたはずの「ノーディール(合意なき)離脱」と同じ状態になり、コロナショックで深手を負った実体経済に追い打ちをかけることになる。

なお、2020年末で移行期間が終了するとはいえ、各国の批准手続きに要する時間を差し引けば、12月31日ぎりぎりまで交渉を続けるわけにはいかない。どんなに遅くとも11月末までには合意が必要だ。

本稿執筆時点で、交渉期間は残り8カ月を切っている。これまでEUが取りまとめてきたFTAは、合意・発効までに5年前後の年月がかかってきたことを思えば、いかに無理筋な状況か想像に難くない。

だからこそ、EU側の交渉を仕切る欧州委員会も、ジョンソン政権の「移行期間の延長はしない」方針に懸念を示してきた。

ここまでが、コロナショックやジョンソン首相の感染発覚以前からあった懸念である。

とても年内に合意できる状況ではない

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EUでイギリスとの協議を担当するミシェル・バルニエ首席交渉官。3月19日に新型コロナ感染を公表。写真は3月5日、第1回会合後の記者会見。

REUTERS/Johanna Geron

そんな状況のところに、コロナショックは起きた。

結論から言えば、移行期間の延長はもはや不可避の情勢と見受けられる。

まず、物理的に交渉が進めづらくなっている。周知の通り、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて大人数が集まる対面での会議が制限されている。外出制限や移動手段の規制もかかっているので、大人数でなくとも普通に集うことすら困難な状況にある。

もちろん、テレカン(遠隔会議)によって交渉はある程度は進もうが、コトはイギリスとEUの「将来の関係」を詰める重要な協議だ。高官だけが意見集約をすれば済むという話ではない。

各種業界団体との調整、経済的な影響ならびに法的な問題の検証が必要だろうし、実のところ通商だけでなく、安全保障に与える課題も争点となってくる。これだけ広範な論点があるのだから、ステークホルダーも非常に多いことは想像に難くない。

すでに、3月18日に予定されていた第2回会合(ロンドン)は感染拡大を理由に中止(延期)された。翌19日には、EU側のミシェル・バルニエ首席交渉官が新型コロナウイルスについて自身の検査結果が陽性だったことを明らかにしている。

欧州委員会は今後の協議について、テレビ会議を含めて代替手法による継続を模索する方針を示している。しかし、そもそも「まったく時間が足りない」と言われていたところにこうした事態が圧しかかり、年内合意を詰めるのはどう考えても難しい状況と思われる。

今後、月1~2回程度の協議が対面以外の方法で開催されるはずだが、それと並行して行われる政治家以外のステークホルダーとの協議が首尾よく進むのかは定かでない。感染拡大に歯止めがかからない現状と、残されたあまりに短い時間とが、あまりにも噛み合っていないように思える。

国民の本音は「いまはいったん忘れてくれ」

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ジョンソン英首相の集中治療室(ICU)があるセント・トマス病院前。4月7日、現場中継の準備をするメディア。

REUTERS/Henry Nicholls

根本的な問題として、いま「将来の関係」交渉に政治資源を割くべきかという疑問がある。

現状、イギリスは「感染拡大を理由として、移行期間の延長を決断することはない」というのが公式の立場だ。だが、すでに同国の経済界や市民からは延長を求める声が高まっていることが報じられている。

「将来の関係」交渉に関しては、もはや「移行期間を延長してくれ」よりも「いまはいったん忘れてくれ」のほうがイギリス社会の本音に近いと推測する。

移行期間が予定通り終了することを支持する世論は、すでに少数派になっているとの報道も目立ち始めている。コロナショックが実体経済にもたらすダメージが深くなり、可視化されるほど、こうした世論は一段と高まるだろう。

確かに、強硬なEU離脱路線がジョンソン政権の強力な支持基盤となってきたのは間違いない。しかし、足もとではいまや世界じゅうの国々が新型コロナウイルス対策に政治・経済資源を集中投下している。もはや状況はすっかり変わってしまった。強硬路線の維持は逆に支持を損なう雰囲気もある。世論に押される格好で延長を決断する展開が、最も公算が大きいのではないか。

人智を超えた混乱によって、来月の経済状況すら分からないなかで、政治家の手で止めることができる(2020年末の)混乱を、あえて不作為によって起こそうというのは愚行と言わざるを得ない。

幸いジョンソン政権はメイ前政権と違って議会の過半数を押さえているので、決断さえすれば、方針転換は円滑に実現できるだろう。現在の状況ならば、議会の意見集約も容易ではないかと想像する。

EUも多少歩み寄るのでは

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ブリュッセルの欧州委員会本部前。欧州旗がはためく。

REUTERS/Yves Herman

延長決断とともに生じる難問のひとつが、EU予算への拠出金を負担しなくてはならない期間も一緒に延長されることだ。英保守党内の強硬離脱派からすれば、屈辱の展開だろう。文字通り、「Brino(Brexit in name only=名ばかり離脱)」と揶揄される状況の甘受にほかならない。

しかし、EUの交渉官、イギリスの首相がウイルスに感染している状況で、予定通りに交渉を進められないのは当たり前だ。報道によれば「公衆衛生上の問題」を通知して、協議を見送ったのはEU側だという事実もある。

新型コロナ対策で政府が物入りな状況なども斟酌すれば、欧州委員会は拠出金についてもある程度「手心を加える」ことはあり得る。また、そうした歩み寄りがあれば、イギリス側も延長拒否という公式方針を覆しやすくなる面もあるだろう。

もちろん、いつまでも「名目的にはEUではないが、実質的にはEU」という不健全な状況を続けるのは、双方にとって望ましいことではない。欧州中央銀行(ECB)が金融政策の条件付けですでにそうしているように、「新型コロナウイルスの感染拡大が収まるまで」といった時間軸で移行期間の長さを縛るのが無難かもしれない。

なお、コロナショックに伴う社会不安の高まりを契機として、EU残留派の声が大きくなるのではという声もあり、そうした照会をいただくこともある。

その点、筆者は疑問である。名目上とはいえ、離脱は公式に完了しており、その意味では「残留」というフレーズはもう使いようがない。ただし、移行期間の無期限延長などに伴って、実質的にはEUという状況がなしくずし的に継続することは十分あり得るだろう。

しかし、ポストコロナ、アフターコロナの世界ではむしろ、EUのようにヒト・モノ・カネが自由に行き来するというコンセプトが退潮するとの見方も多く、現状ではそちらのほうが説得力を持っているようにも感じる。

そう考えると、むしろ離脱派が自らの主張の正当性を強調する世の中になっていく可能性もあるのではないか

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。


唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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