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4月8日、世界で最初にロックダウンした武漢が76日にぶりに封鎖解除となった。市内は国慶節のようなお祭りムードに包まれ、高速道路の料金所には日付が変わる3時間ほど前から、車の列ができた。
40分離れた自宅に76日帰れなかった男性
現地テレビ局の報道などによると、先頭の車に乗っていたのは武漢に隣接する黄岡市に家がある男性だ。武漢で働いていた彼は、1月23日の仕事納め後に黄岡市に戻るつもりだったが、突然の封鎖によって、車で40分先の妻子が待つ自宅に帰れなくなってしまった。
武漢に76日間足止めされた男性は、封鎖解除を聞いても「いつ政策が変わるか分かったものじゃない」と疑念をぬぐえなかった。だから午後4時半から料金所で待機し、いの一番に武漢を離れられるようにしていたのだ。
何の準備もしないまま武漢に閉じ込められ、ガードレール下などで数日間野宿を強いられた人も少なくない。武漢市内も大混乱していたため、彼らの存在は忘れられ、かなり経ってから、宿泊場所や日当など最低限の生活保障が提供されるようになった。
4月8日には武漢と他都市を結ぶ鉄道、航空便も復活した。中国メディアによると、当日は約5万5000人が鉄道で武漢を離れた。
「武漢封鎖解除」は中国にとって大きな節目だったが、中国は、そして武漢は本当に安全になったのか。
実際、武漢は無症状感染者、それ以外の都市も海外帰国者を起点とした「第2波」の可能性がくすぶっており、国民の生活が平常に戻る中でも、当局は警戒を呼び掛けている。
武漢市では社区ごとの封鎖が続き、外出するには健康証明や職場復帰証明などの提示が求められている。湖北省政府は住民に、不必要なら武漢市や湖北省から出ないようによう求めている。
逆流警戒、入国者全員にPCR検査
上海の空港で到着客ののどを検査するスタッフ(3月21日撮影)。
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4月11日、中国全土で新たに確認された新型コロナウイルスの感染者は99人だった。そのうち97人が海外からの流入で、1日の流入としては過去最多だった。
一時は1日の感染者が1万人を超えた中国は、2月以降感染者が急カーブで減り始め、3月7日には44人まで減った。内訳は武漢が41人、残り3人は海外からの渡航者だった。翌8日の感染者は40人。武漢市が36人で、残り4人は海外からだった。
中国は日韓での感染が拡大した2月下旬から逆流を警戒し始め、両国との行き来が多い沿岸都市の山東省・威海市や遼寧省・大連市は、独自に入国者の14日隔離を始めた。2週間の隔離を嫌い、出張者の多くは移動を諦めた。
だが、警戒していた日韓からの逆流はそれほど起きず、3月に入るとイタリアやイランからのウイルスの流入が増えた。
3月4日には、イタリアから飛行機で北京に入った8人グループのうち4人が新型コロナに感染していることが判明し、空港の検疫が騒然となった。8人はイタリアで仕事をしている中国人の親族・家族で、うち数人は2月下旬から咳、発熱の症状が出ていた。だが、解熱剤で熱を下げて飛行機に搭乗し、出入国時に症状を申告していなかった。
この頃のウイルスの“輸出元”はイタリアとイランだったが、3月中旬に入ると、欧州だけでなくアメリカなど世界各地からより安全な中国に退避してくる中国人が増え、そこから感染者が多数見つかった。武漢封鎖前夜と逆の状況になったのだ。特に国際便の多い北京では、感染流入のプレッシャーが増大した。
たまりかねた北京市は3月16日、海外からの入国者全てを指定施設に移送し、費用自己負担で14日隔離する政策を発動した。その後も「首都防衛」を次第に強化し、中国政府は同22日、北京を目的地とする国際旅客便をいったん上海や瀋陽など周辺12都市の空港に着陸させ、乗客に検疫を実施すると発表した。
さらに、北京や上海は入国者全てにPCR検査を実施するようになり、他都市でも同様の措置が広がった。
欧州全土、アメリカ、アジア、ロシアなどからも持ち込まれるようになり、4月8日時点で、他国からの持ち込みによる累計感染者は1103人に達した。「4月末の終息」というゴールを明示している中国にとって、“逆輸入”をいかにして防ぐかが、重要な焦点になった。
飛行機に乗っている間にルール変更
ホンダと東風汽車との合弁会社東風ホンダは武漢工場の稼働を3月11日に再開した。経済の回復は着実に進んでいる(4月8日撮影)。
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国としては、経済に多少の犠牲が生じても、海外からの入国そのものをできる限り阻止したい。これまでの取り組みが無に帰しかねないからだ。
だが、それでも中国に入国せざるを得ない人たちもいる。中部地方の中堅企業に勤める田中さん(仮名、40代)は3月26日、妻と2人の子どもと一緒に、関西国際空港から上海入りを目指した。
田中さんは、中国の新型コロナ感染が深刻化した1月下旬に家族で一時帰国した。その後、2月8日に田中さんだけ上海に戻ったが、日本政府の帰国勧告を受けて、19日にまた日本に帰ることになった。
田中さんは一刻も早く上海に戻りたかった。中国で仕事をするための「居留許可証」の更新が4月に迫っていたからだ。
だが、田中さんの会社の本社所在地では、新型コロナの感染者が片手で数えるほどしか出ておらず、「中国の方がはるかに危ない」と思われ、上海に戻ることがなかなか許されなかった。田中さんは他社の駐在員の動向や、感染者が減少しているデータを何度も報告し、3月26日のフライトで上海に戻ることが認められた。
3月23日には上海市政府が、14日間の隔離措置を義務付ける対象の24カ国から日本を除外した。田中さんは「タイミングがよかった」と喜びながら、26日の飛行機に乗り、16時前に上海に到着した。
だが、いつまで経っても飛行機のドアが開かない。機内では「しばらくお待ちください」のアナウンスが断続的に流れた。じりじりしていると、上海の知人らから当局の通知が送られてきた。
「26日18時から、上海は全ての入国者を14日隔離する」
23日に「隔離対象から日本人を除外」してわずか3日後のルール変更だった。
焦りを募らせる中、飛行機から降りることができたのは17時40分。田中さん一家4人は全力疾走で入管を目指した。
18時のルール変更を前に、空港職員も混乱していたらしい。入管、健康チェック、税関を抜けたときには21時を回っており、上海到着から既に5時間が経過していた。
玄関にセンサー取り付けられ徹底隔離された日本人
武漢を離れるために、封鎖解除前夜の4月7日夜、駅前で行列をつくる人々。
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結局、ダッシュも虚しく、田中さん一家は「隔離」されることとなった。
田中さんらを含む搭乗者はバスに乗せられた。連れていかれたのは「思ったよりきれいな」ホテルのロビー。そこで全員がPCR検査を受け、陰性だった人は翌日自宅に戻り、隔離が始まると伝えられた。
待機していたホテルの部屋に電話があったのは翌日昼前だ。電話の相手は、「下にバスが待っているから、荷物持って降りて」と告げた。検査結果への言及はなかったが、帰宅できると分かって、家族全員が陰性だったのだと推測した。
自宅マンションに戻ると、管理人、保健所の職員、警察官が待っていた。バスを降りた田中さんらは、いきなり霧吹きのようなものを向けられ、消毒された。その後、「自主隔離を遵守する」との誓約書に署名し、写真を撮られ、玄関にはドアを開けるとブザーがなるセンサーが取り付けられた。隔離中は保健所の人が毎日、在宅確認と体温測定に訪れたという。
飛行機で移動している間に上海市の政策が変更され、隔離対象者になってしまった田中さんは、「運が悪いと落ち込んだ」という。
だが、田中さんが入国した26日の夜遅く、今度は中国政府が「3月28日から、有効なビザや居留許可証を持っていても外国人の入国を一律拒否する」と発表した。発表から発動までわずか24時間。その時、田中さんは「ぎりぎり滑り込めたのは運が良かったんだ」と思い直した。
2カ月隔離守っていたのに感染の衝撃
海外からの逆流と並び、第2波を引き起こす“地雷”と見られているのが無症状感染者だ。
中国政府は3月19日、海外からの流入を除いて、本土での新たな感染者が初めて0になったと発表した。武漢でも感染者ゼロが続き、4月8日の封鎖解除が決定した。
だが3月28日、それまで1カ月感染者が出ていなかった河南省で、図書館清掃員の感染が確認された。行動履歴を辿ると、3月21日に一緒に墓参りをした友人医師から感染したらしいことが明らかになった。その友人医師は3月25日、医療関係者を対象にした健康診断で、無症状感染者であることが判明した。
4月初めには、武漢市の住民が健康診断の一環として行われたPCR検査で陽性と判定された。この住民は1月23日の武漢封鎖以来2月19日まで一歩も外出せず、2月20日以降は住んでいる建物がある敷地の入り口まで足を運び、郵便物や注文した食品を受け取るようになった。3月30日、自分で車を運転して健康診断に行き、検査で感染が判明したのだ。
自宅隔離を守り、体調に異変もなかった住民の感染に、武漢には激震が走った。感染源は特定されていないが、1カ月の行動から「無症状感染者の宅配ドライバーから感染した」可能性が指摘されている。
1日で3万6409人検査、無症状感染者16人を発見
封鎖が解除された後も、武漢の住宅コミュニティー「社区」は外部と遮断する封鎖式管理が続いている。4月12日撮影。
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中国はそれまで、無症状感染者の感染力は小さいとの立場から、感染者数にもカウントしていなかった。しかし患者が激減し、人の移動が増えると「見えないウイルス保有者」のリスクが徐々に顕在化した。
寧波市の疾病予防控制中心伝染病防制所の研究者の調査でも、無症状感染者と症状がある感染者の感染力にほとんど差がないことが示された。
3月末には、香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストが「中国本土の無症状感染者は2月末時点で4万3000人以上いる」と報じ、情報公開が透明でないと国際社会の批判も高まっていた。
これらの不安や批判に対し、中国国家衛生健康委員会は3月31日、新型コロナウイルスの検査で陽性と判定されながら発熱などの症状がない「無症状感染者」が同日時点で1541人に上ると初めて明らかにし、翌日以降、感染者の日々の発表に無症状感染者も含めると発表した。
どこに潜んでいるか分からない地雷のような無症状感染者をあぶりだすため、武漢市は4月10日までに医療関係者、介護施設関係者に対し全てPCR検査を実施した。今後、警察官、学校教師、公共交通機関で働く人も全員が検査の対象となるという。武漢市が検査の網をかけている施設・職業の多くは、日本でもクラスターが発生しており、社会機能維持において、「鍵」となる部分でもある。
武漢市は4月10日の1日で3万6409人に対しPCR検査を実施し、16人の無症状感染者が見つかっている。まるで砂浜から砂金を探すような作業だ。
日本はまだ終息を語るどころか、検査対象者をどこまで広げるかで喧々諤々の議論が行われている段階だ。だが、今の中国を見ていると、終息が見えてくると、結局は体調に異変のない人を含めた大規模検査に行きつくのではないか。少なくともワクチンや治療薬が開発されるまでは。個人的にはそう考えている。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。現在、Business Insider Japanなどに寄稿。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。