撮影:伊藤圭
パロアルトインサイト のCEO、石角友愛は、16歳で日本の高校を中退して渡米。現地のボーディングスクール(全寮制私立高校)に入学する。その決断力もさることながら、アメリカに渡ってからの向上心と行動力は、半端ではない。
2001年、オバマ前大統領も通った4年生私立大学の「オキシデンタル・カレッジ」に入学。
卒業後は日本で起業するものの、2008年に再びアメリカに渡り、ハーバード・ビジネススクールへ。2010年には、ハーバードで出会った夫と在学中に結婚、出産し、MBAを取得。翌年、シリコンバレーのグーグル本社に入社——。
ここまでの10年を追うと、「ギフテッド(天才)」のイメージが頭をかすめる。けれども石角は、「アメリカに行く前は、ごくごく普通の女子高生。しかも英語は大の苦手」だったのだという。
他人と違うアサガオの絵を褒めた両親
東京で生まれ育った石角は、お茶の水女子大学附属小学校に入学。自由にものを考える両親からは、「一度も否定されたことはない」という。
印象的なエピソードがある。彼女が小学校1年生の時、アサガオの絵を描く授業があった。周りの子たちは、「丸の中に星を描く」というような、決まり切った描き方がほとんどだった。
「でも、私にはアサガオがそんな風に見えていなかったので、私だけみんなと違う、自分流の描き方をしたんです」
教室にその絵を張り出されて、初めて気がついた。1人だけ周りと違った絵で、極端に目立っていたのだ。戸惑いを覚えて、そのことを家で報告をすると、両親はこう言った。
「人と違うような視点で物事を見られるというのは、すごいことだよ」
石角には兄2人と、弟がいる。
「兄2人は日本の大学を出ているんですが、私だけ突然、高1の夏に、留学したいと言い出したんです。日本の高校は中退して。前例がない中で、そういう大きいことを私が言い出しても、その後に起業しても、私が人生の転機になる決断をした時に、両親が絶対に否定しなかったというのは、今でもすごく感謝しています」
父は、「型にはまった考え方をしない。かつ自分の価値観がある人」だと石角は言う。京都大学法学部を首席で卒業した後、通商産業省(現・経済産業省)を経て国際弁護士に。
「父は家では常に本を読んでいて、家中に本が溢れていましたね。トイレの中にも、必ず本が置いてありました」
日本の高校で芽生えた違和感
渡米して1校目のシアトルの女子校時代。単身飛び込んだ異国の地で自己を見つめ、日本人としてのアイデンティティを構築した。
石角さん提供
石角の通っていた学校は高校まではエスカレーター式だった。高校受験はなかったものの、
「中学校のときはすごく楽しくて、成績もすごくよくて、勉強自体にハマっていました。一番勉強に没頭した時期で、週末も朝から勉強していたぐらいです」
幼少期から常に、「私は何をやりたいのか?」「今の自分でいいのか?」と問うのが習慣になっていた。彼女いわく「自問自答癖」。
それが顕著に現れたのが、高校1年の時だった。
むくむくと湧いてきたのは、日本の受験システムや、板書をただ写すだけの受け身の教育に対する疑問だ。その頃、石角が読み込んでいたのは、思想家、マルクスやウェーバーの本。ベストセラーの『金持ち父さん貧乏父さん』や、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』や『思考は現実化する』も読んでいた。
社会問題について議論したくても、周りの子は偏差値の話か恋バナ。それだけでは満たされなくなっていた。放課後に友達とカラオケで男の子の話をしていても、楽しんでいるフリをするだけ。心の中は、虚無感と焦燥感で覆われていた。
石角はこう振り返る。
「高校1年で突然、数Ⅰ、数Aのような、受験システムみたいな話が出てきて、歩く道を決められているというか、『レール感』が出てきたのが窮屈で。しかも、友人との会話の中にも、偏差値だけで『大学もここら辺だよね』と、そんな話が出てきて。そうすると、先が見えてきちゃう。
15歳、16歳あたりって、社会に対しての疑問とか怒りとかがある時期じゃないですか? 誰もこの理不尽なシステムに疑問を持たないのかと。自分の中のモヤモヤを吐き出して返してくれる相手が欲しかったんです」
一度決めたら「Foot in the door」
留学して2年目に、英語力のある留学生しか受け入れないボストンの高校に転校した。
石角さん提供
このまま、日本の学校に留まっていたくないという気持ちをどうにも抑えられなくなり、高1の夏休みに石角は留学を決断。両親にこう宣言した。「私、アメリカ行きたい」と。
「普通の留学だったら、別に決断でもなくて、『この期間行ってきます』で済む。だけど、私の場合は、ここが嫌だ、このレールじゃない、飛び出すんだという意思表明だったということで。アメリカに行きたいというよりも、他のどの国でもよかったという感じでしたね」
何事も否定しない母は、一言こう言った。
「じゃあ、準備しないとね」
課題の一つは、英語力。石角は当時、TOEFLが400点以下だった。急遽英会話スクールに通って、猛勉強を始める。
突然、高校を辞めると言い出して、驚いたのは学校の先生方だった。誰もが日本の大学を受験するような進学校。当時は前例もなかった。石角としては高校に籍を残しておきたかったが、長期間に渡って休学する制度も整っていなかった。
留学先は、アメリカ人の友人にヒアリングして、友人が住む街で一番安全なところにある学校に決めた。
「ここに行くんだ!と決めたら、とにかく『Foot in the door』。まずは足を踏み入れちゃって、ドアさえ開けたら、あとはどうにかなると(笑)。
私の場合、準備に時間もない中、自分を追い込んで、ガンガンと目標に向けてやるタイプ。入念にリサーチして、英語力を十分につけて、5年後にやっと実現、みたいな感じには絶対ならないです」
現地で進学したのは、アメリカのエリート校として知られる私立高校、全寮制のボーディングスクールだ。厳しい監督下にあり、生徒は私生活の自己管理までを学んでいく。
「めちゃくちゃルールが厳しくて、不自由。門限を3回守らなかったら、即退学になっちゃうぐらい、ガチガチでした。夜10時には、電話が遮断されていましたし。学校でも遅刻はもってのほかで、授業中に居眠りするのもNG。それでも、脳みそはすごく刺激に溢れて、思考が解き放たれていました。楽しかったし、帰りたいと1度も思わなかったです」
授業は深くものを考えるのに、十分な環境が用意されていた。驚くほど自由な、「大人の議論」が授業中に展開されていた。海外からの留学生が多数在籍しており、ひとたび議論が始まれば、多彩な意見が飛び交う。
例えば「歴史」の授業なら、戦争のテーマで大激論が起こる。自分が日本人として、アメリカ人と意見交換するうちに、中国人や韓国人が加わり、議論が一層ヒートアップする。それでも、罵り合いにはならず、建設的な批判の中で皆が学びを深めていく。
「あの白熱は忘れられない。受け身とは真逆の、『自ら体験して獲得する学び』です。こうした学びは、教えられる知識以上に、ビジネスの現場で生かせると思う。私が現地で受けた教育は、問題解決力として、身になっているなと実感しています」
「AIバイリンガル」に必要な知の組み合わせ
AI時代に必要なのは、さまざまな分野の知を幅広く学び、それを結びつけられる能力を要している人材だという。
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その後、2001年には、ロサンゼルスにあるリベラルアーツカレッジであるオキシデンタル・カレッジに進学した。ここで学んだのは、心理学。石角はボーディングスクールの時から心理学を学んでおり、夏休みに日本に帰国した折には、精神科医にインタビューしたり、日本の長期入院患者の社会復帰を助ける作業所でボランティアを経験したりしていた。
「アメリカでは心理学って、主に統計学。サイエンスの一環として学ぶので、データ集めから解析までゼロから叩き込まれました。私は同時に社会学も専攻していて」
今、彼女がAIビジネスデザイナーとして働く上でも、これらの学びは効いてると感じている。
「心理学を学んだことも、今、めちゃくちゃ生かされている。AIを作る人間って、人間の認知とか心理のことを知っている必要があるから、つながっています。私は異分野をつなげるのが得意というか、つなげるのが好きなのかもしれない。垣根を越えて、学問とか業界の共通項を見つけてつなげる。そういう考え方が面白いと思うタイプなんです」
今、アメリカで主流になりつつあるのが、「AIバイリンガル」を育てる教育だ。例えば、カーネギーメロン大学のリベラルアーツ学部では、コンピューターサイエンス専攻の学生も、リベラルアーツ専攻の学生と同じクラスで哲学などの授業を取るし、哲学専攻の生徒が解析の授業を取ることもある。
石角はAI教育に関しても、独自の意見を持つ。
「今の時代に求められているのは、すでにあるものを組み合わせ、今までになかったものを生み出す力です。カーネギーメロン大学のリベラルアーツ学部の教授はこう言います。『今後AIを研究する生徒は、歴史や哲学、法律や経済学の知識が必要だ』と。
科目のラインアップを見ても、脳科学、経済学、心理学、データサイエンスなど、実に多彩です。AI時代にビジネスのインパクトを出す上でも、なるべく離れた分野の知を組み合わせた方がいいんですよね」
石角が持つ「越境力」は、今、分野横断的なビジネスを展開する上でも存分に発揮されている。次回は、彼女が取り組む「AIビジネスデザイン」の挑戦に迫る。
(敬称略、明日に続く)
(文・古川雅子、写真・伊藤圭)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。