飲み会から研修医の間に感染が広まったとされる慶應義塾大学病院。
撮影:竹井俊晴
4月15日、厚生労働省クラスター対策班の西浦博・北海道大教授が、衝撃的な数字を発表した。新型コロナウイルス感染症拡大に対し、対策をまったく取らない場合、国内では重篤患者が約85万人に上り、半数が亡くなる恐れがある、と述べたのだ。
人と人の接触「8割減」を掲げるクラスター対策班の強烈な警鐘と受けとめられる。
一方で、いま目の前の医療危機に対し、こうした試算発表だけでは迂遠な気がしてならない。患者数の予測は、医療サービスの需要予測でもある。
これに対し、供給側の病院の病床や医師、看護師をどう配置するかという具体的な対応策がまったく伝わってこない。医療供給の全体像が描かれないまま、感染者だけがどんどん増えていく。
その象徴的な事象が東京都内の救急医療現場の崩壊だ。
恐るべき速さで広がるコロナ感染
すでに救急車が何カ所もたらい回しにされるという事態が起きている。
REUTERS/Athit Perawongmetha
このところ私は、定点観測的に東京都内26カ所の「救命救急センター(基幹医療施設)」と国立がん研究センター、がん研究会有明病院の診療状況をウォッチしている。救命救急センターは、脳卒中や心筋梗塞、多重外傷など一刻を争う第三次救急医療の担い手だ。その「生命のとりで」が、職員や患者の新型コロナ感染で急速に崩壊しかけている。
4月12日時点では、26カ所の救急センターのうち7カ所で院内に感染者が出て、救急受け入れ停止や、外来初診、入院受け入れの中止、手術の延期など大幅な診療制限が行われていた。3日後の15日、さらに2つの基幹医療施設で職員や患者の感染が判明し、その数は9に増えた。
恐るべき速さで新型コロナ感染が広がっている。
個々の基幹医療施設の状況は文末のリストをご覧いただきたいが、概況を伝えると、「首都の真ん中」から崩れている印象だ。
首都救急の要で受け入れ停止
毎日約70人もの救急患者を受け入れている日赤医療センター。看護師が感染したことから救急の受け入れを停止している。
撮影:竹井俊晴
何よりも広尾の日本赤十字医療センター(渋谷区)の一般救急の停止が大きい。看護師1人の感染が判明し、濃厚接触者らへのPCR検査や施設の消毒、患者が陽性から陰性に変わる陰転化を二度の検査で確認することなどで、時間がかかっている。
救急は、小児以外は停止。外来初診も産科、小児科、小児保健部を除いて止まった状態だ。
赤十字医療センターは東京都区西南部(渋谷・世田谷・目黒)の二次医療圏をカバーする。対象の昼間人口は数百万人にのぼり、年間2万5000人前後、毎日約70人の救急患者を受け入れている。この首都救急の要が機能不全となり、影響は広範に及ぶ。
都立墨東病院(墨田区)の患者・職員合わせて7人の感染判明による機能低下も痛い。
都立墨東病院は、第一種感染指定医療機関でもあり、クルーズ船の乗客の感染者などを次々と収容し、治療してきた。コロナとの戦いの主力中の主力である。一時、感染者への診療対応準備のために三次救急とER(緊急救命室)を中断し、再開したばかりだった。
現在、職員らへのPCR検査中で、感染者が出た病棟への入院や転院を止めている。
このほか慶應義塾大学病院(新宿区)、東京慈恵会医科大学附属病院(港区)、順天堂大学医学部附属順天堂医院(文京区)、東京医科歯科大学医学部附属病院(文京区)と、国会議事堂を中心に半径3.5キロ圏内の救急センターが次々と診療を制限しており、首都の中心が危うい。
当然ながら周辺の基幹医療施設に負担が重くのしかかる。そこに一般病院で診療を断られた新型肺炎の疑いのある患者がどっと搬送され、本来受け入れなければならない脳・心疾患や重傷の救急患者の治療が手遅れになる。
さらに院内の感染リスクが高まる。救急医学会と臨床救急医学会は、4月9日、連名で声明を出し、患者への「迅速なコロナ検査」、医療従事者を守る「個人防護具の緊急調達」を強く訴えた。
「“隠れている”病床を開放してほしい」
基幹医療病院以外でも院内感染は深刻化している。写真は100人以上の感染者を出した東京・台東区の永寿総合病院。
REUTERS/Issei Kato
では、最前線で新型コロナ感染と闘っている医師は、崩壊の危機に瀕し、どんな緊急対策を求めているのか。
大学病院のICU(集中治療室)を担当する40代の男性医師にオンラインで話を聞いた。彼は新型コロナウイルスに感染した5人の重篤患者をICUで治療し、そのうち2人の患者はすでに回復して退院している。
男性救急医は語る。
「ICUで重篤な患者さんを治療するには、防護具として最低でもN95マスクが必要。ただし、エアロゾル感染を防ぐにはそれだけでは不十分です。アメリカでは、N95を付けた医師が感染で死んでいます。PAPR(電動ファン付呼吸用保護具)が必要です。
医師や看護師がコロナに感染して死んだら、いろんな意味で崩壊が加速します。救急医療従事者の命を守ってほしい」
その上で、“隠れている”ICU、HCU(高度治療室)、SCU(脳卒中ケアユニット)などを開き、すぐに使えるようにすること、と救急医は強調した。
「例えば、大きな大学病院は数十床のICUを持っていますが、すべて使ってはいません。病院内の診療科ごとのタテ割り、教授の力関係、行政のタテ割りで隠れた病床がある。
緊急事態なのだから、全国的にその壁をぶち抜いてみんなに見えるように病院ごとの病床数を透明化し、それぞれの能力に応じて治療床を割り振る。それが厚労省の仕事でしょう。
東京都は基幹病院に重症病床いくつ、中等症病床いくつと一律に押しつけたという情報も耳にしましたが、もし本当にそうだとしたらナンセンス。病院の規模や能力に合わせなければ病床は稼働しません」
いまだにいない司令塔
医療体制の早急な整備を誰が指揮するのか。司令官がいないことが体制の立て直しを遅らせている。
撮影:三ツ村崇志
日本経済新聞電子版(4月13日付)によると、東京都は4月12日までに新型コロナ感染患者を受け入れる病床を2000床確保したという。だが、TBSなどの報道によると、すでに1960人以上の患者が入院しているとみられている。
都はICUなどでの治療が必要な重篤・重症者、中等者の患者を中心に、今後4000床まで増やす目標を掲げているが、泥縄式の感が否めない。
「2月ごろにはすでに医療崩壊は予想できました。しかし、新型コロナへの医療対策の全体像、マスタープランは示されていません。司令塔がいないんです。とにかく、いまは院内感染を防御するために医療機関の職員と患者へのPCR検査の徹底と個人防護具の調達。これを優先してほしい」
と男性医師は言い置き、ICUに戻った。
東京の中心が虚ろだ。いまから組織横断的な調整能力と権限、責任を持つ「司令塔」を確立するのは難しいのだろうか。
ともかく、救急医療が崩れたら、重症者が身近な診療所や市中病院に向かい、アメリカやイタリアの惨状の再現となる。救急医療への最大限の支援が望まれる。
東京都の基幹医療施設とがん専門病院の診療の現状(4月15日現在)
東京慈恵会医科大学附属病院でも医師らに感染が発覚。一部診療などを制限している。
撮影:竹井俊晴
院内で新型コロナ感染者が発生した医療機関
▲慶應義塾大学病院
・初期研修医99人中18人が新型コロナ感染。初診、救急を停止。入院は急ぎの治療の必要な患者と予約のみ。延期できる治療は延期。
▲日本赤十字社医療センター
・看護師1人、新型コロナ感染。初診(産科、小児科、小児保健部を除く)、救急(小児を除く)を停止。
▲都立墨東病院
・患者4人、職員3人、新型コロナ感染。濃厚接触した職員らへのPCR検査中。感染者が出た病棟への入院、転院制限。
▲東京慈恵会医科大学附属病院
・患者2人、医師1人、看護師3人が新型コロナ感染。救急休止、入院・外来診療を制限。
▲東京医科大学八王子医療センター
・救急搬送の患者1人、新型コロナ感染。ICUの高気圧酸素治療を中止。
▲杏林大学医学部付属病院
・医師2人、新型コロナ感染。救急車以外の救急外来診療を制限。消化器内科、新規入院停止。
▲順天堂大学医学部附属順天堂医院
・医師1人、新型コロナ感染。感染拡大防止のため、入院や外来の診療を一部制限。
▲東京医科歯科大学医学部附属病院
・職員2人、新型コロナ感染。接触者87人PCR検査、全員陰性。初診予約は困難。救急の制限も。
▲公立昭和病院
・看護師1人、新型コロナ感染。濃厚接触者28人PCR検査、全員陰性。一部手術を制限。
▲国立がん研究センター中央病院
・看護師3人、医師2人が新型コロナ感染。4月6日までにPCR検査を患者67人、職員166人に行い、患者感染0。職員の追加感染なし。14日から医療機関からの初診予約の受け付け再開。
院内での感染は発生していない病院の対応
東京大学医学部附属病院
・診療機能を一時的に縮小。入院診療(手術を含む)、検査、外来診察の一部の予約を延期。
日本医科大学付属病院
・紹介状がない患者の初診は原則不可。
帝京大学医学部附属病院
・新型コロナ外来(帰国者・接触者外来)、未開設。
東京女子医科大学病院
・発熱、咳などの症状の外来患者はエントランス前のテントで対応。
東邦大学医療センター大森病院
・入院、初診外来とも「急ぎの治療が必要な」患者のみ。待機可能な検査、手術は延期も。
東京医科大学病院
・紹介状がない初診、予約のない再診は不可。手術は優先度を考慮し、延期も。
国立東京医療センター
・一部専門科で、紹介状がない受診は不可。
武蔵野赤十字病院
・不急の外科手術は延期も。初診は紹介状+事前予約が必要。
日本大学医学部附属板橋病院
・面会禁止。
都立多摩総合医療センター
・出産分娩立ち会い中止。PCR実施体制整うが、院内基準で適正に行う。
聖路加国際病院
・ワクチン外来、渡航内科(ベルギー渡航前検診)、禁煙外来は新規受け付け中止。
昭和大学病院
・面会禁止。予約があり、安定した通院患者に電話診療、処方箋を郵送。
国立災害医療センター
・入院による検査、手術治療に制限。
東京女子医科大学東医療センター
・外来診療、手術を縮小。
国立国際医療研究センター病院
・全科でセカンド・オピニオンを停止。
東京都済生会中央病院
・出産分娩立ち会い中止。
都立広尾病院
・産婦人科、神経科以外の初診の予約停止、手術・検査の入院を制限。
がん研究会有明病院
・がん健診の受診予約は、いったんすべてキャンセル。面会、外来の病棟立ち入り禁止
※各病院の現状は公式ホームページなどで調べた。
※上記すべての医療機関で、原則的に入院患者への面会禁止。
※病院によっては、慢性疾患を有する定期受診患者には、電話診療で院外処方箋を発行。かかりつけの調剤薬局へファクスなどで送信するシステムあり。
(文・リスト作成:山岡淳一郎)
山岡淳一郎: ノンフィクション作家。一般社団法人デモクラシータイムス同人。 「人と時代」を共通テーマに政治、経済、近現代史、医療と分野を超えて執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。 著書は『田中角栄の資源戦争』『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『気骨 経営者土光敏夫の闘い』『原発と権力』『生きのびるマンション―〈二つの老い〉をこえて』『ゴッドドクター 徳田虎雄』ほか多数。