3Dプリントで製作した人工呼吸器の試験を行っている様子。写真上部中央の赤・黄・緑のマーカーがついた計器の左側に見える部品が、3Dプリンタで作られたもの。
提供:石北直之氏(COVIDVENTILATORプロジェクトリーダー)
世界的に流行している新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。
この感染症では肺炎が多くみられ、重症化が進むと呼吸が困難となることから、人工呼吸器などの医療機器が必要とされている。COVID-19に対する治療薬のない現状では、重症患者はこれらの医療機器を利用し、自然と治癒するのを待つほかに回復する手立てがない。
この脅威に備え、世界各国では国家レベルで人工呼吸器の増産を推進している。
3月16日にイギリスのジョンソン首相は人工呼吸器の製造を企業に呼びかけた。3月27日にはアメリカのトランプ大統領が国防生産法を発動し、人工呼吸器の製造を企業に指示した。日本はこれに続く4月7日、人工呼吸器生産のための設備整備事業を含む緊急経済対策を打ち出した。
3Dプリントで人工呼吸器の主要部品を製造
3Dプリントで製作した人工呼吸器のパーツ。これらを組み合わせると、機械的に動作する部品ができ上がる。
提供:石北直之氏
日本では、人工呼吸器の主要部品の製造に3Dプリントを活用する取り組みが進められている。国立病院機構新潟病院の石北直之医師が率いるプロジェクトだ。
これまでにも、人工呼吸器の付属部品を3Dプリントする事例は海外で複数取り組まれてきたが、実は主要部分を3Dプリントで製造する事例は、石北氏のプロジェクトのほかにない。
石北氏のプロジェクトでは、この緊急事態に求められる人工呼吸器の機能にしぼり、短時間で製造できる方法を採用。
多くの人工呼吸器で電子制御されている機能を機械的に動作するように設計し、3Dプリントで製造した主要部品を既存のパーツと組み合わせるだけで、治療に使える人工呼吸器を実現した。
設計データを送るだけで、医療現場へ素早く供給
3Dプリンターでは、紙に印刷するように樹脂や石膏などの素材で立体的な物を成形できる。
石北氏は、今回の人工呼吸器の機能を含む医療機器を2012年に発明し、特許を取得していた。3Dプリンターを使えば、どんな遠隔地へも設計データを送るだけで医療機器を提供できる。この可能性に、石北氏は着目していたのだ。
実際、2017年にはこの可能性を実証すべく、米航空宇宙局(NASA)と共同で、宇宙空間という極限状態でこの医療機器を製造する実験に取り組み、成功している。
今、新型コロナウイルスの流行によって国境封鎖や都市閉鎖が起こり、物流が大幅に滞って医療機器の輸出制限がなされている国もある。
この緊急事態でも、3Dプリントを使えば、世界各地に素早く人工呼吸器を供給できるというわけだ。
3Dプリント人工呼吸器実現へ、乗り越えるべき4つの課題
多くの強みをもつこのプロジェクトではあるが、国内の医療現場で実際に利用するまでには、大きく4つの課題がある。
1つ目の課題は、仕上がりのばらつきだ。3Dプリントによる製造では、一つの工場で製造される量産品と異なり、送られてきたデータをもとに印刷を行う3Dプリンターの性能や設定、利用する素材などの違いにより仕上がりにばらつきが出ることが予想される。
ただしこの課題は、石北氏によるSNSでの呼びかけによって大きく解決に近づいている。
石北氏は、世界中の3Dプリンターの所有者に対して、データの「試し刷り」を呼びかけたのだ。多くの協力者の貢献により、耐久性のある構造上の改善や、3Dプリンターの機種ごとに最適な動作設定などの成果が得られた。
2つ目の課題は、連続使用時の耐久性。機械的に動作するようにした主要部品が破損したり、性能が劣化したりせず、どれだけ長く正常に動作できるかを実証する必要がある。現在、石北氏は、マネキン人形を用いた実験をインターネットでライブ中継している。
3つ目の課題は、医療現場での安全性。この人工呼吸器は、患者の呼吸を整えるために使うものではなく、自発呼吸できない患者の肺に強制的に酸素を出し入れするためのものだ。医師、看護師、臨床工学技士らが圧力計や患者の様子に常に気を配りながら、3Dプリントでつくった部品を操作し、送り込む空気の圧力を調整する。操作ミスなどが致命的な医療事故につながらないためにも、医療現場で実際に使用する場合に起こりうるトラブルの徹底的な洗い出しが必要になる。
そして、4つ目の課題は、医療機器として使用するための認証が取得できていない点だ。正式に医療現場で利用するには、規制当局からの認証取得が必須となる。通常この認証取得には、審査に年単位での時間がかかると言われている。国外の規制当局では、緊急措置として認可基準を大幅に緩和し、新しい人工呼吸器を優先的に認可する窓口を設置しているところもある。
石北氏は、人工呼吸器の試験の様子をYouTubeなどで生配信している。
提供:石北直之氏
4月16日現在、石北氏のプロジェクトでは、国内の規制当局であるPMDA(医薬品医療機器総合機構)の審査の準備を開始したところだ。石北氏によると、国もこのプロジェクトに期待しており、数カ月という短期間で審査が完了できるよう取り組んでいるという。
世界での「人工呼吸器不足」解決に向けた取り組み
4月1日、パリの病院。新型コロナウイルスの流行によって、多くの患者が人工呼吸器を必要とする状況となる可能性がある。
REUTERS/Benoit Tessier
石北氏のプロジェクト以外にも、名だたる企業や大学が新たな人工呼吸器の開発に取り組んでいる。いずれも新型コロナウイルスの流行に伴う「人工呼吸器不足」という全人類が共有する問題を解決するためのものだ。ただ、それぞれが開発している人工呼吸器を使う対象となる患者の重症度や、その製造方法などは異なっている。
これらの人工呼吸器を世界の医療現場で使えるようにするには、国ごとに個別の対応が必要となってしまう。国により異なる認可基準や医療現場の事情、前提に合わせてプロジェクトごとに対処するには、明らかに限界がある。
そこで、世界中に人工呼吸器を届けることを全面的に後押しする取り組みが出てきている。
その取り組みの一つを主導しているのが、新たな人工呼吸器を開発するプロジェクトをコンテスト形式で募集している、カナダのモントリオール総合病院財団らの取り組みだ。
コンテストでは、独自で規定する人工呼吸器の仕様を満たし、より単純で、低価格、製造・保守・配送が容易であることが評価のカギとなる。優勝プロジェクトは賞金約1500万円だ。
また、このコンテストには、世界で並行して進んでいるプロジェクトのほか、コンテストに関心を寄せるさまざまな専門家たちに、協働を促す狙いもある。世界でばらばらに進んでいる取り組みを集約できれば、優勝プロジェクトの成果をもとにした人工呼吸器がスムーズに世界へと展開していくことにつながるはずだ。
石北氏のプロジェクトも、このコンテストに米国火星アカデミーと共同でエントリーしている。
提供:石北直之氏
たとえ3Dプリントで人工呼吸器を製造することができたとしても、さまざまな課題が残っている限り、実際の医療現場へすぐに投入できるわけではない。しかし、新型コロナウイルスとの闘いが長期戦になることが間違いない以上、人工呼吸器の需要は今後ますます高まっていくことが予想される。
「世界で難局にあえぐ患者さんを一刻も早く救うため、最高のチームで全力で研究に取り組んでいます。短期間で許認可を突破するため、多くの皆さまのさらなる熱い支援をお願いします」 (石北氏)
(文・荒木義明、編集・三ツ村崇志)
荒木義明(あらき・よしあき):博士(政策・メディア)。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程卒業。日本テセレーションデザイン協会会長。「図形」の面白さを啓発する活動として、全国の科学館や小学校から大学などでワークショップや講演会を行う。科学雑誌ニュートン監修記事多数、明治図書数学教育にて連載執筆中。3Dプリントした「図形」で人類の課題を解決しようとする石北氏のプロジェクトに賛同して、プロジェクトのFacebookグループの立ち上げ時期から参加し海外の動向を情報整理・提供している。