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今からちょうど1カ月前、ニューヨークで外出禁止令が発令される直前、私は3月27日にBusiness Insider Japanに公開した記事を執筆していた。
ニューヨークで危機が本格化してから、まだ1週間程度だった。その頃、BIJ編集部とのやりとりの中で、私は、「今起きている変化のいくつかは、不可逆的なものだと思う」と言った。
人間関係、働き方、衛生観念、教育、流通、医療をはじめ、多くのことがこれを境に本質的に変わるのではないかと。どう変わるかはまだ見えない。でも、この危機を乗り越えた先にあるのが「元あったのと同じ世界」であると思えなかった。「ビフォー・コロナ」と「アフター・コロナ」で時代が分かれるほどの、一種のパラダイムシフトが起きるような気がしていた。
それから1カ月経ち、今では日本でも「ニューノーマル」という言葉が使われ始めている。
この1カ月で、日本でも感染者数が急増し、緊急事態宣言が出されたことがあるだろう。ベストセラー『サピエンス全史』 の著者で歴史学者のユヴァル・ハラリが「コロナ後の世界」について述べた記事がFTと日本経済新聞に掲載されたことも大きかっただろう。
今、アメリカでさまざまな金融機関やコンサルティング会社が出すレポートを読んでいると、今回の危機を第二次大戦と比較するものが多い。主に経済的打撃という観点だが、ニューヨークにいる私たちからすると、今の緊張感は「戦時下」なので、あまり違和感はない。ニューヨークだけで、すでに2001年の米同時多発テロの死者の4倍の人が亡くなっているのだ。それはやはり“戦争”と呼んでいいものだろう。
エイズ危機と同時多発テロが変えたもの
2001年に起きた米同時多発テロは、その後、テロ対策という観点からセキュリティの概念を大きく変えた。
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アメリカに住んでいる私が感じているのは、2020年の新型コロナウィルスは、1980年代のエイズ危機、2001年のテロと似たような形で、社会を不可逆的な形で変えるのではないかということだ。
1980年代のエイズ危機は、人々の性生活やそれをめぐる文化を大きく変えた。人々は性行為の安全性、パートナー選びに劇的に慎重になった。
危機の初期には同性愛者たちへの偏見が、彼らへの強いバッシングを呼んだ。だがその後、多くの同性愛者たちが勇気をもってカムアウトし、研究資金を集めるために運動した。犠牲になった多くの著名人やアーティストたちの存在も人々を結束させた。
結果的には、同性愛への偏見も大幅に修正され、多くの才能あるゲイの芸能人たちを文化のメインストリームに押し出すことにすらなった。エイズ危機が、今日の同性婚合法化や世界的なLGBTQ運動の盛り上がりの起爆剤になったと言ってもいいかもしれない。
2001年の同時多発テロは、航空トラベルに対する人々の観念を一変させた。
あのテロまで、液体物でもアーミーナイフでも飛行機に持ち込めたし、空港のセキュリティ・チェックでいちいち靴を脱いだり、コンピュータを出したりすることもなかった。
あれを機に変わったことの多くは、その後20年近く経った今でもそのまま保たれているし、今後もテロ前の状態に戻ることはないだろう。
新型コロナウイルスの感染爆発によってロックダウンされたニューヨーク。1カ月以上にわたり、レストランや店舗が閉まり、街は静まり返っている。
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新型コロナウイルスによって、今、各国政府や地方自治体は、数々の極端なポリシーを、平時では考えられないスピードで実行に移している。国境閉鎖、外出の制限、人と会うことの禁止、飲食店や商店、企業、学校の強制閉鎖などだ。場合によっては罰金もある。
多くは市民の命を守るために必要な政策だと思うし、乱暴に見えるくらい迅速な決断が必要だったのも間違いない。
ただ、普段他人の言うことに耳を貸さないニューヨークの人たちが、ある日から突然おとなしく知事の言うことを聞き、家に閉じこもり、マスクをしてスーパーの列に2メートルの間隔を空けながら行儀よく並んでいる姿は、1カ月前には想像できなかったものだ。
「人は身の安全のためなら、こんなにもおとなしく従順に自由を手放すものなのだ」と日々強烈に感じている。
いきなり潔癖症になったニューヨーカーたち
ニューヨークのスーパーでは、店内に入れる人数を制限。店の前に間隔を空けて並ぶ風景も見慣れたものに。店内でも他人とは2メートル弱の距離を保つように努める。
撮影:渡邊裕子
今後変わると思うことの筆頭が衛生観念だ。
今、ニューヨークの私たちは、スーパーに行く時にマスクの着用を義務付けられているが、加えて、(私も含め)多くの人が自発的にラテックスの使い捨て手袋をはめていく。カゴや商品を誰が触ったかわからないからだ。カゴを除菌ティシューで拭く人たちも珍しくない。
帰宅したら、まず靴底をアルコールで殺菌する。買ってきたものを1点ずつ消毒、または洗浄して冷蔵庫に入れる。鍵もクレジットカードも消毒する。エレベーターのボタンを触ったらその指を消毒するし、宅配便の段ボールや郵便の封筒は、家には持ち込まず、外で開けすぐ捨てる。日本人に比べたらずっと大雑把だったアメリカ人が、短い期間でここまで潔癖症になった。命にかかわると思っているので真剣だ。
激変した衛生観念はワクチンが有効になるまで、つまり少なくとも1〜2年の間は、生活習慣を変化させるだろう。
私たちは今後、しばらくの間、握手もハグもできない。これは欧米社会における人間関係をかなり豹変させる。親しい友人や家族に久しぶりに会ってもハグできないというのは、それに慣れた人間にとってはひどく寂しい、物足りないものだ。
今かろうじて営業している店舗も、テイクアウトのみ。テーブルや椅子はすべて撤去されている。
撮影:渡邊裕子
食事の仕方も一時的には変わらざるを得ない。レストランで誰かと向かい合って食べたり飲んだりするのは、お互いにとってリスクが高い。特にニューヨークにあるお寿司屋さんは厳しい状況になるのでは、と今から心配している。他人が素手で握ったものを再び食べられるのは、ずいぶん先のことに思えるからだ。少なくとも、しばらくの間は、「調理場では全員マスクとラテックスの手袋を着用」となる気がする。
劇場、美術館、コンサート、スポーツイベントなど大勢の人が集まる場所も、長い間難しい状態が続くだろう。メトロポリタン・オペラも80%のスタッフをレイオフ(一時解雇)したが、これは相当長い間、元の状態には戻れないという覚悟の上の決断ではなかったかと思う。50人以上が集まるようなパーティも、危機がしっかり去るまでは難しいだろう。集まることが許されても、いきなりみんながそういう場所に行きたいという気になるかも疑問だ。
コロナ抗体があるという「資格」
コロナ対策でリーダーシップを発揮しているという評価のクオモニューヨーク州知事(4月17日の定例会見)。
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感染爆発が若干落ち着いてきたアメリカでは、今社会と経済をどう再開させるかが議論されている。一つの鍵になるのが、抗体検査だ。
ニューヨークのクオモ知事は大量の抗体検査を推奨し、免疫ができた人から徐々に前線に戻し、経済を回していくという考えを示している。ただ抗体が効力を持つ期間や再感染の可能性、さらに検査自体の正確性がまだ完璧でないなど課題も多い。
しかし、これらの問題をクリアできた場合、コロナ抗体を得た人は一種の「資格」を持っているようなものだ。ドイツやイギリスでは、既に「コロナ免疫証明書」という案も出ている。
予防接種済を示すカードのようなもので、それを持っている人から働きに出たり、社会生活に復帰できる。
アメリカではHIVとB型肝炎のテストを受け、陰性でないと、永住権が取得できない。「コロナ免疫証明書」も十分あり得る気がする。
そうなると、例えばコロナ抗体がある人しか雇わないという企業も出てくるかもしれない。コロナ抗体のある医師や看護師だけがコロナ感染者を診られるようになるかもしれない。極端に言えば、レストランの入り口で証明書を求められ、免疫のない人は入れない、というようなことも起きてくるかもしれない。
中国依存見直すきっかけになるか
中国による「マスク外交」とも呼ばれている医療物資の支援。ヨーロッパを中心にマスクや医療品を支援している(写真はスイス)。
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スペインではすでにこれを機に「ユニバーサル・ベーシック・インカム(最低所得保障制度)」制度に舵を切った。今後こういう話は徐々に増えていくだろうと思う。また、2020年秋に大統領選のあるアメリカでは国民皆保険や「大きな政府」を求める流れも起きるかもしれない。格差の問題も今回ますます明らかになった。
貿易、グローバリゼーションも影響を受けると思う。
今回、中国に頼らなければ自分たちは肝心な時にマスク一つ、医療用ガウン一つ手に入れられないと分かった欧米諸国(日本もだ)は、現存のサプライチェーンを見直すことになるだろう。特に医療用機器、医薬品、命にかかわる備品やインフラ、テクノロジー面での供給を中国に全面的に頼るリスクから、それぞれの国内・域内に一定の生産能力を持つべきだという議論は必ず出てくると思う。
先進国の高い人件費を考慮してもなお、その道を選ぶ国や企業は出てくるだろう。これは、来るべき不況の中、国内に雇用を生むことにもなるかもしれない。
グローバリゼーションの流れは、今回の危機によってある程度巻き戻され、「中国からのディカップリング」を唱える声は以前よりも上がってくるだろう。その一方で、この危機から一番早く抜け出せるのは他ならぬ中国であるかもしれず、そうであった場合、彼らが、必要物品を世界中にいち早く供給できるサプライヤーとしての地位をさらに固める可能性もある。
誰がデータをコントロールするのか
アップルとグーグルの共同開発など、さまざまな企業が対コロナのプロダクト開発を進めている。
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現在のように多くの人々が健康と命に危機感を感じ、気持ちが弱くなっている時、もし政府が監視社会に移行しようと思えば、たやすくできてしまう。「プライバシーか健康か」という二者択一では、多くの人は後者を選ぶ。
実際いくつかの国々は今回の危機で生体測定・監視システムを導入している。中国、韓国、台湾、シンガポールなどだ。
例えばシンガポールでは、SARS(重症急性呼吸器症候群)の経験を生かし、モバイル技術を活用した広範な接触者追跡システムを政府が採用、感染経路を特定し感染者を隔離することに役立てている。企業や学校、ジム、モール、政府機関など大半の建物に入る前に体温測定が実施されるし、政府のWhatsAppアカウントからも情報を入手できる(https://wired.jp/2020/03/23/singapore-was-ready-for-covid-19-other-countries-take-note/)。
台湾では、国民健康保険と入国管理データベースを実質的に組み合わせて、旅行者の感染確率に基づいて自動的に警告を発する体制を構築した。
アメリカでも、AppleとGoogleが、4月10日、新型コロナウイルス感染追跡に役立つアプリを共同開発すると発表した。
このようなテクノロジーのおかげで多くの命が救われるだろうし、私だってそんなアプリができたら欲しいと思うだろう。
だが、これは英語で言うところの slippery slope でもある。一度その坂を滑り始めたら止まらない。特に、テクノロジーやデータを誰がコントロールするかという部分が重要だ。
政府にそのパワーを独占させてしまえば、なし崩し的に全体主義的な監視社会に進んでいく可能性が出てくる。かたや営利企業が独占すれば、我々の嗜好のみならず、誰にいつ会ったか、今日の体温から体調、かかった病気やかかりやすい病気までを、金儲けのために利用される可能性が高まる。
ただ、政府側がこのようなリスクとジレンマをちゃんと理解したうえで倫理的な境界線を引くことができ、政府に対する国民の信頼が厚ければ、「プライバシーか健康か」の二択をしなくても済むのかもしれない。
台湾のIT大臣、オードリー・タン氏。「マスクマップ」などIT技術を駆使したコロナ対策の指揮をとる。
Audrey Tang / Pixabay
最も効率的に感染を抑え込んだ国の一つが台湾だ。今や多くの国々がその成功の秘密を知りたがっている。
決め手は政府によるテクノロジーの活用のうまさだった。「マスク・マップ」の指揮をとったIT大臣のオードリー・タンの活躍は今では有名な話だが、彼女はそれ以外にも、民間団体やIT起業家たちとのネットワークを活用し、さまざまな画期的なアイデアを実現させている。そして徹底して情報の透明性を重視し、あくまで市民中心で、人権と安全を同時に満たせるようなテクノロジーの活用を目指している。
「政府によるテクノロジーの活用=全体主義的な監視社会」では必ずしもなく、市民にエンパワーメントを与えるような道も、やりようによっては可能なのかもしれない、と希望を持たせてくれる一例だ(https://www.foreignaffairs.com/articles/asia/2020-03-20/how-civic-technology-can-help-stop-pandemic)。
「日本人は危機の中でも出社する」
緊急事態宣言が発動されても、マスクをして出勤する日本。その様子に海外からの疑問の声も。
撮影:竹井俊晴
日本でもこの危機のおかげでかなり在宅勤務が増えたようで、「働き方改革」が思わぬ形で前進した。これまで「できない」と言われていたことの多くが、実は「やればできること」だったと、多くの人が感じているのではないだろうか。今後、世界の多くの場所で、遠隔ワークやビデオ会議が一気に常識になるだろう。
ただ、今のような状況でもなお、日本には依然として通勤している会社員がかなりの数いるということで、その様子は海外では驚きをもって伝えられている。
CNN: Even in the coronavirus pandemic, the Japanese won't work from home until Shinzo Abe makes them(コロナウィルスの危機の中でも、日本人は、安倍晋三が止めない限りは出社する)
ワシントン・ポスト:Work from home, they said. In Japan, it’s not so easy.(家から働きなさいと彼らは言う。でも日本ではそれはそんなに簡単なことではない)
緊急事態宣言にも時間がかかり、休業補償の話が進まない中で、企業側も判断に困る部分があるのは分かる。
ただ、私が見ていて驚くのは、社内で感染者が出ているのにそれでも社員を出社させている会社があるということだ。社員やその家族に何かあった場合、どうやって責任を取るつもりなのか。
社員とその家族を守るのが企業の務めだろう。政府の指示があろうがなかろうが、重大なリスクへの対応は、企業単位で経営陣が判断して決めればいいことではないかと思う。
アメリカで見ている限り、連邦政府や地方自治体よりも、私企業のほうが動きが早かった。テレビ局や金融機関など大きな組織では、1人陽性者が出た時点で、ビルやフロアを閉め、その日のうちに基本在宅勤務に切り替えていたし、私の勤務先でも1人陽性者が出た時点で、すぐに社員たちに通知し、ビルに来るなという指示があった。
また、何月何日に何階にいた人は感染している可能性があるので人事に連絡しなさいというメールも回った。同時にトップから、「仕事も大事だが、社にとっては、君たちと家族の健康と命が一番大事だ。会社には来ず、家にいなさい」というメッセージが届いた。
マンハッタンのオフィス街。従業員の健康を守るという観点から、多くの企業はいち早く出社停止を決めた。
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このような局面では、企業側の危機管理能力、経営陣のリスク感覚や価値観、社員たちのことをどう考えているかといったことが如実に現れる。今、会社に勤める人たちは、自社のリーダーたちが何をプライオリティにどういう判断を行っているか、自分たち社員をどう扱っているかをしっかり見ておくべきだろう。
個人レベルでは、この機会に、自分自身が何をプライオリティにして生きていきたいかを改めて考えておくとよい気がする。
例えば私は、「くだらない仕事はしたくない。つまらない人とは付き合いたくない。まずいものは食べたくない。見たいもの、聴きたいもの、行きたいところは我慢しない」という考えを以前から持っていたが、今回、よりその思いを強くした。
ある日突然、こうやって昨日までの日常がひっくり返ってしまうかもしれないのだ。人類は意外とあっさり滅亡するかもしれない。だとしたら、やはりスティーブ・ジョブズが言っていたように、「今日が人生の最後の日だとして、今からやることを本当にやりたいと思うか」と、毎朝自分に問いかけるべきなのだ。それを、この危機のおかげでもう一度確認できたのは良かったのかもしれない。
ニューヨークのニューノーマル
ニューヨークでコロナ対応する医療従事者たち。その勇姿は国民から称えられ、応援の声は絶えない。
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私が住むのはブロードウェイの劇場街で、私の窓の向かいも左隣もミュージカルの劇場だ。劇場が開く夜7時半ごろになると毎晩通りに人があふれ、劇場から人がはける10時半ごろになると「出待ち」の歓声が沸く。時計を見なくても、「あ、10時半か」と分かる。それが日常だった。
今は、朝から晩まで、まるで山奥に籠っているかのように静かで、救急車のサイレンの音以外はほとんど何も聞こえない。
ただ今は、毎晩7時になると時計を見なくても分かる。この事実上のロックダウン状態でも、危険を冒しながら毎日働いてくれている「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれる職業の人たち(医療関係者、スーパーや薬局の店員、宅配便のドライバー、ドアマンなど)に向けて、毎晩住民たちが窓から2分間、感謝の拍手と声援を送るからだ。
この、轟きのような音が響き始めると、「7時か」と分かる。この音は「ありがとうー」にも聞こえるし「生きてるよー」「頑張ろうー」と言っているようにも聞こえる。日によっては、ちょっと涙が出そうになる時もある。これがニューヨークのニューノーマルだ。
でもこれは、いつか、この危機とともに終わる儀式だろう。危機が終わり、ニューヨークに活気と騒音が戻った時、私たちはこの拍手の音と、それを聞きながらその時自分が感じていたことを思い出すだろう。たぶん、不思議な懐かしさをもって。
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパン を設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny