撮影:今村拓馬、イラスト: Devita ayu Silvianingtyas / Getty Images
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。コロナウイルスがもたらしたパラダイムシフトによって不確実性がさらに高まった今、私たちはこれまで以上に「正解がない中でも意思決定するために、考え続ける」必要があります。
経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。「普遍性、汎用性、納得性のある世界標準の経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも参加してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
今回から緊急企画として、経営理論を思考の軸に「ウィズコロナ・アフターコロナの時代にビジネスや生活はどう変わるか」を考えていきます。この議論はラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:8分28秒)※クリックすると音声が流れます
新型コロナウイルスの影響で、世の中が慌ただしくなってきました。もしかしたら私たちは、コロナと共生せざるを得ない時代を迎えたのかもしれません。
今回からしばらくはこの連載も緊急企画として、リモートワークやソーシャル・ディスタンスなども含めて「ウィズコロナ・アフターコロナの時代にビジネスや生活はどう変わるか」を、経営理論を思考の軸として考えてみたいと思います。こういう不確実性の高い時こそ、経営理論がみなさんの思考のコンパスとなり、手助けとなるはずです。
さて、この連載の編集担当である常盤亜由子さんは、どのような問題意識を持っているでしょうか。
なるほど……。では同じくBusiness Insider Japan編集部でミレニアル世代の横山耕太郎さんは、どうでしょうか。
コロナが変えた社会は、もう元には戻らない
ミレニアル世代のみなさんは横山さんのようにまだ独身の方も多いでしょうから、一人暮らしをしていると特に寂しさや退屈を感じることが多いかもしれませんね。常盤さんの言うように、人間はつながりがほしいのに、今はそれが極端に減っている状況です。
しかし経営学者の立場から見ると、現在の状況は、とても不謹慎な言い方かもしれないけれど、「興味深い」。本当に世の中が一気に変わる局面に来た可能性があるとつくづく思います。
よく言われることですが、変化というのは、一気に来るものです。じわじわと変わることもあるけれど、やはりこういった世界的な大災害のようなことがきっかけになって、すべてが大きく変わる。
例えばテレワーク、リモートワークなどがそうですよね。ついこの間まで、会社員は毎日会社に行くのが当たり前でした。しかし今後は、仮にコロナ騒動が終息したとしても、大勢が満員電車で通勤するという以前の生活が完全に戻ることはないと思います。
なぜなら、経営学・経済学の考え方で言うと、もともと社会には「経路依存性」というものがあります。これは、一度できあがってしまった既存の社会的な仕組みをその後もひきずる傾向があるということ。一度仕組みができあがると、元に戻りにくいのです。
大都市の日常風景だった「満員電車」も、コロナ禍を経て過去のものとなるのだろうか。
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加えて言えば、今回のコロナ騒動が仮に収まっても、今後再び同じようなウイルスが出てくる可能性が残ります。だとしたら、社会の仕組みもそれを前提としたものに変革しなければならないでしょう。
社会課題が強制的に解決されるというメリットも
僕自身も、このソーシャル・ディスタンスの流れはある程度残ると予想しています。なぜならこれを機に、社会の課題が強制的に解決されるというプラスの面もあるからです。
例えば今われわれが始めたリモートワーク・在宅勤務などは、もともとコロナ騒動の前から「働き方改革」の一環として推進しなければいけない課題でした。
満員電車に乗って通勤するのは働き方として効率が悪いし、残業も多すぎる。こういう働き方を見直すために、それこそ「時差通勤」や「プレミアムフライデー」など、いろいろな取り組みが登場したものの、なかなか定着しませんでした。
ところが皮肉なことに、新型コロナウイルスの感染拡大で、半ば強制的にリモートワークをせざるを得なくなっています。幸いなことにデジタル技術が進化し、パソコンとインターネット環境があれば、職種にもよりますが、自宅でも意外と仕事ができるということに、みんな気づき始めました。
今回のコロナ騒動を機に一気に広がったリモートワーク。「やってみたら意外とできた」という声も多く聞かれる。
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例えばZoomというweb会議システムは、面倒な会員登録をしなくても、送られてきたURLをクリックするだけで参加できます。
これを使って僕も横山さんのようにオンライン飲み会をやってみたのですが、今までなら前もって「何月何日にこの店に集まろう」と約束をしなければならなかったのが、直前にURLを送るだけで済んでしまう。これは便利ですし、パソコンの画面越しとはいえ相手の顔を見ながら話すのは、意外と楽しかった。
また休校になったおかげで、オンライン教育も一気に実用化されつつあります。
僕のいる早稲田大学のビジネススクールでは、コロナの感染が拡大し始めた直後から教員にZoomの使い方のトレーニングをしており、現在ではすでに多くの教員がZoomで授業を普通に行っています。早稲田に限らず、今後、オンライン教育を積極的に取り入れる教員や学校が増えることは間違いありません。
これも働き方改革と同様で、コロナ以前からオンライン教育の必要性はみんな薄々承知していたし、そういう議論もありました。しかし今までは、「オンラインがない社会」の経路依存性を引き継いでいたので、単純に変わらなかった。
ところが今は強制的にやらざるを得なくなりました。すると今度はオンライン教育が前提で社会が変化していきますから、経路依存性を踏まえると、今後はむしろさまざまな分野でデジタル化が進むでしょう。
ただ一方で常盤さんや横山さんが言うように、あまりにも急激に、そして極端につながりが失われたことで、不安を感じる人が多いのも事実です。
「ソーシャル・ディスタンス」はイノベーションを阻む
そんななかで僕が経営学者として危惧するのは、今の「なるべく人と会わない」「遠くに出かけない」「ソーシャル・ディスタンスをとる」といった流れがもし今後も社会に定着するとすれば、ビジネスに大きなマイナスの影響も及ぼしかねないことです。
なかでも気がかりなのは、企業のイノベーション創出力への影響です。
この連載でも何度も述べているように、これからはイノベーションを起こして変化していくことが企業には何より重要です。もちろん今この瞬間は、まずはコロナを乗り切ることが先決です。しかしコロナを乗り越えた後は、閉塞した経済を再起させるためにもますますイノベーションの重要性が高まります。
ところが「ソーシャル・ディスタンス」の世界は、イノベーションを起こすための条件という意味では、思い切り逆行してしまう可能性があります。
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この連載の第4回でもお話ししましたが、イノベーションとはゼロから生まれるのではなく、すでにある「知」と、遠くにある「知」を組み合わせることで起こるものです。だからイノベーションを起こしたければ、自分の認知の幅を超えて、遠くにある、今まで自分が見ていなかったものを見る必要がある。これが経営学の「知の探索」理論です。
ということは、人間は常に認知を広げる必要がある。そして認知を広げるためにいちばん手っ取り早いことは何かというと、それは当然ながら「物理的な移動」です。つまり自分から遠くにある、今まで見たことのないものや現場を見て、会ったことのない人と直接会って話すこと。それが知の探索には欠かせません。
そもそも、僕の周りの優れた経営者やイノベーティブなビジネスリーダーは、ことごとく移動距離が長い。例えば僕が親しくさせていただいている「ゴーゴーカレー」創業者の宮森宏和さん。彼は一代で日本第2位のカレーチェーンを築いたイノベーターです。その彼の名言に、「創造性は移動距離に比例する」というものがあります。
実際、宮森さんは始終いろいろなところに行っていて、いつも「先生、僕いまインドにいます」「ニューヨークにいます」と、思いがけない場所から連絡が来る。この移動の多さが彼の創造性の原点になっているはずです。
しかし現在はコロナのために、移動が制限されています。国によっては何かあれば即座に国境を封鎖するかもしれない。もしもコロナ終息後もこのような自粛ムードや移動制限が続き、長距離を移動することに心理的な抵抗感が残ったりすれば、「知の探索」という意味では相当なマイナスになりかねないでしょう。
自宅にいることも「知の探索」になる
物理的な移動を制限されることは「知の探索」にはマイナス。だが、自宅に引きこもることにも新しい発見はある。
撮影:今村拓馬
ではこのソーシャル・ディスタンスは、イノベーションに完全にマイナスかというと、実は必ずしもそうとも言い切れない可能性もあります。
なぜかと言うと、いま僕たちは、かつて経験したことのないことを経験しているからです。Zoomを使った会議も飲み会も、初めてやってみたという人が多いのではないでしょうか。
また、自宅にいる時間が長くなることで、家事や育児に参加する人も増えるはずです。「今まで気づかなかったけれど、家に長く引きこもっていたからこんなことに気づいた」と知の探索が進み、新しいことが生まれる可能性もある。
次回はそのあたりをもう少し詳しく掘り下げてみたいと思います。
【音声版フルバージョン】(再生時間:18分45秒)※クリックすると音声が流れます
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。