政府は4月、一律10万円給付などの経済対策を盛り込んだ補正予算案を国会に提出した。
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新型コロナウイルスの感染拡大を受けて安倍晋三首相が発表した景気刺激策としての「一律10万円給付(特別定額給付金)」。配布の対象が個人ではなく世帯主になっているなどの批判は呼んでいるものの、所得の制限がないという点には大きな注目が集まっている。
この一律現金給付で「ベーシックインカム導入」の議論が再度、巻き起こっている。ここでベーシックインカムの基本から最前線の議論までをまとめてみたい。
世界で広まるベーシックインカム議論
ベーシックインカムとは、「政府がすべての国民に対して、生活に必要な最低限の収入を無条件に支給する制度」だ。
もともとベーシックインカムは、2010年代に失業率が高まったEU諸国で失業手当の代わりとして注目されてきた。人工知能(AI)の発達によって産業の大きな転換が起こり、失業率が拡大するという予測の中、この社会保障制度はつねに議論を呼び起こしてきた。
フィンランド(2017年から2018年)やカナダ・オンタリオ州(2017年から2019年)などでは実証実験も行われている。
新型コロナウイルスの感染拡大により、リーマンショック以上の経済危機が起こることはほぼ確実視されている。世界各国で失業者が爆発的に増えようとしている今、ベーシックインカムが再び注目を浴びるのは必然だろう。
各国で議論は始まっている。スペインでは4月、経済担当大臣が「可能な限り迅速にベーシックインカムを導入する」と発言したと報じられた(実際には所得制限を設けた貧困層向けの現金給付であり、「条件なし支給」という定義のベーシックインカムとは異なるようだ)。
イギリスでも新型コロナウイルスに感染したボリス・ジョンソン首相が、ベーシックインカムの導入を検討すると発言している。
10万円給付の財源は?
政府の一般会計歳出は右肩上がりを続け、2019年には約101兆円、2020年には約130兆円近くにもなることが見込まれている。
出典:財務省
とはいえ「無条件の現金給付」であるベーシックインカム導入のハードルは決して低くはない。もっとも大きな懸念はその財源だ。
今回の日本政府による「10万円給付」のような1回限りの現金支給を例にとってみよう。
『ベーシック・インカム入門』の著者でもある同志社大学経済学部の山森亮教授は、いくつかの政策案の中で、以下の方法が考えられるという。
「迅速に政治的合意をとるという観点からは、まず国債を発行し財源を確保した上で、新型コロナウイルスが収束してきた時期に所得税の増税などで補填するという方法が、妥当ではないでしょうか」
財務省の発表によると、国民1人に対し1回限り10万円を給付するためには12兆8803億円が必要だ。政府はすでに、そのすべてを国債によってまかなうと発表している。いずれにしても、1回の現金支給だけでも財政に大きなインパクトとなることは間違いない。
ベーシックインカムとは「一時的な給付金」ではなく、継続的に振り込まれる生活に必要なお金だ。いくら国債を発行するとはいえ、国民に一定の現金を継続的に給付する制度は、本当に可能なのか?
「金融緩和」代わりにベーシックインカム?
財政赤字が拡大するなら、ベーシックインカムのような形で国民に配った方が良い?
撮影:竹井俊晴
先述の山森氏は、ベーシックインカムの財源案において「どこを削減してどこを増やす」というような議論はあまり意味をなさないという。いずれにしても根本的な税収構造の転換、もしくは税収に頼らない給付の方法を考えなければいけないからだ。
山森氏は、今回のような経済危機において政府が短期的に取れる政策は2つだという。中央銀行による「量的金融緩和」と、政府による「財政出動」だ。例えば2008年のリーマンショック後に安倍政権が取った「異次元の金融緩和」ことアベノミクスの第一の矢は、前者にあたる。
「この2つの政策は一見異なるものに思えます。けれど『信用が収縮した社会で、一方は貨幣供給量(マネーサプライ)を増やすことで、他方は財政出動で、信用収縮を終わらせて経済を回復させる』という政策目的は一致しています。
いずれの政策を取ったとしても、財政赤字が拡大することに変わりはない。
金融緩和に関していうと、日本銀行がどんどん国債を購入するという形での金融緩和と、 日銀券なり政府紙幣を刷ってベーシックインカムのような形で国民に配る政策に、一体どういう違いがあるのでしょうか?」(山森氏)
実際、リーマンショック後にEUで大規模な金融緩和政策が取られた時期は、ベーシックインカム導入が叫ばれた時期と時を同じくする。その時、ベーシックインカム擁護派が使ったキャッチコピーは「(ベーシックインカムは)人々のための金融緩和だ」というものだったという。
急速に盛り上がる経済理論「MMT」
どうせ財政赤字が拡大するのなら、単なる金融政策ではなく「人々にお金が行き渡る」やりかたで ── 。こうした議論をさらに過激に展開するのが、2010年代後半から賛否両論を巻き起こしてきた「MMT(現代貨幣理論、Modern Monetary Theory)」と呼ばれる新しい経済理論だ。
MMTとは簡単にいえば「自国通貨建てで財政赤字を拡大させるのであれば、インフレにならない限り、政府はどんどん財政出動すべきだ」という、一見して理解しがたい経済理論である。なぜなら理論上、政府が国債を買わせて自国通貨をどんどん発行させれば、その国の通貨の価値が下がり、インフレが起こるはずだからだ。
しかしMMTの主要な提唱者である米ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授は2019年、「巨額債務を抱えているにもかかわらずインフレも金利上昇も起きない日本が(MMTを裏付ける)実例だ」と発言するなど、日本にも少なからず関係がある理論だ。
新しい経済論、MMT(現代貨幣理論)は反緊縮派の政治家たちからの支持を集めてきた(写真はアレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員)。
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主流派経済学者からは異端視されているMMTだが、その主張には一部、説得力のあるものもある。例えば「自国通貨建てで国債を発行する限り、政府が財政破綻(デフォルト)することはない」という主張だ(実際、歴史上で自国通貨建ての国債がデフォルトした例は皆無だ)。
政府による大規模な財政出動を正当化するMMTは、格差是正を目指す政治家や識者から一定の支持を集めてきた。代表格がアメリカの若手下院議員、アレクサンドリア・オカシオコルテス氏だ。
格差がこれまで以上に拡大し、失業率が高まる社会の中で、政府は「財政再建を気にしない財政出動」で人々の生活を守る責務があるはずだ ── 。MMTの考え方は、ベーシックインカムのような社会保障制度ともつながりながら、ここ数年広がりを見せている。
「選別すること」のむずかしさ
「次は誰が失業するかわからない」予測不可能な時代に私たちは生きている(写真はイメージです)。
撮影:竹井俊晴
こうした理論的な支柱とともに、ベーシックインカムはさまざまな角度から検討され、実験もされてきた。とはいえ、現行の制度の中でベーシックインカムを導入することにハードルが高いことに変わりはない。
先述の山森氏は、今まで当たり前と考えられてきた経済社会のあり方の前提を問い直すことの必要性から、ベーシックインカムという“思想”が生まれた背景や議論そのものに注目すべきだ、という。
新型コロナウイルスの収束の見通しがつかない中、産業構造自体が大きく変革していくことはもはや避けられない。今までは考えられなかった事態が次々と起こり「誰が次に失業するかわからない」という不安定な状況の中で「社会保障の対象者を選別すること」自体のむずかしさを、山森氏は説く。
特に「自己責任論」が台頭する日本のような社会で、ベーシックインカムは重要な視点を投げかける。
日本弁護士連合会が2011年に発表した比較データによると、日本の生活保護の捕捉率(制度の対象者の中で、実際にその制度を利用している人の割合)は約2割で、イギリスやドイツの約9割などと比較しても低い数字だ。
生活保護を受け取ることが「悪」とされるような社会で、制度から漏れてしまう人を最小化するにはどうすれば良いのか。ベーシックインカムは、ひとつの有効な解決策になる。
「脱・成長時代」の社会保障論
生活の基盤に関わる「エッセンシャルワーカー」の仕事を、私たちは軽視して来なかったか。
写真:Shutterstok
山森氏は、今回の「新型コロナウイルスショック」は、1970年代から長く支持されてきた新自由主義的な思想の限界を示したのではないか、と指摘する。
都市の外出自粛下で人々の生活を支える「エッセンシャル(欠くことのできない)ワーカー」と呼ばれる生活インフラを担う人たちを思い返してみよう。
医療従事者はもとより、介護士・保育士・宅配配達人・小売店勤務・交通機関の運転手など、暮らしを成り立たせるために必要な人たちの多くは、今まで公的な援助から切り捨てられ、厳しい経済状況で働かざるを得なかった。
彼らの労働に対して社会全体でお金をかけていくことの必要性が、今回の件であらためて認識されたのではないか、と山森氏は語る。
「脱・新自由主義」「脱・自己責任論」 ── コロナ後の社会では、これまでの社会通念(イデオロギー)が見直されることになるかもしれない。それはあらゆる国で、ベーシックインカム的な考えが必要だという議論が巻き起こっていることからも伺える。
自己責任論が染み付いた国で起こっている、決して自己責任論では片付けられない未曾有の事態。この苦境をどのように支え合い乗り越えていくかを、社会全体で考えなければならない時代に、私たちは生きている。
(文・西山里緒)