1980年生まれ。早稲田大学卒業後、大和証券SMBCに入社。担当したミクシィに入社し、取締役執行役員CFOに。2013年、メルカリに入社。その後、社長兼COOに。2019年、メルカリ会長に。同年8月に鹿島アントラーズFC社長に就任。
撮影:今村拓馬
ベンチャーで数々の実績を残し、スポーツビジネスの世界へ飛び込んだ小泉文明(39)。幼少期からさぞや才気あふれる子どもだったのでは? と問えば「いえいえ。ごく普通の野球少年でした」。霊峰富士が見下ろす山梨で、のびのび育った。
「勉強もそれほどできずで(笑)。ただ、通った中高一貫校が良かった。自由な校風で、理系教育がすごく進んでいた。中学からマックを使っていました」
12歳で出合ったコンピューター
1993年。中学受験を突破して入った駿台甲府中学校は同じ敷地内に電子情報関連の専門学校も併設されており、中学校にすでにコンピュータールームがあった。当時まだ珍しかったMacと12歳で出合えたことは、その後の人生に大きな影響をもたらした。
「マックでグラフィックデザインをしたり、簡単なゲームを自分で作ったりしました。大したことはやっていないんだけど、比較的早くコンピューターを触り始めたのはその後の人生に役立った。ここでベースが作られたと思います」
女子を意識する思春期に突入すると、ファッションに興味を抱くようになる。中学3年生の頃大ブームになったナイキのスニーカー「エアマックス95」を小遣いを貯めて購入した。少ししたら、1〜2万のものが10万円になった。
「多くの人にフォーカスされると、物の価値が変わることをこのとき学んだ。どんどん価値が上がっていく姿を見て、ビジネスは面白い! と感じた」
学校では理系クラス。漠然と医師になることを考えていたのに、高校3年で文系に方向転換した。
「貿易とか面白いかもしれない」と早稲田大学商学部へ入学。上京した小泉は、裏原宿ファッションにはまっていく。BBS(電子掲示板)を通じて東京に来られない地方在住者向けに、洋服の代理購入を始める。安く仕入れて高く売る。好きなものを扱って利益を得る喜びを知った。
「小中学生の頃からただただ好きなことをやっていたら、こうなった、って感じです」
一人でできることは少なく完璧ではない
大和証券SMBC時代にはミクシィやDeNAなどのネット企業のIPOを担当。その縁で、2006年にミクシィに転職した。
鹿島アントラーズFC提供
もう一つ、小泉の今、をつくったのは、「昔から、大体いつもキャプテンだった」こと。中高の部活動でリーダー役を任された。大学では250人という大所帯のテニスサークルを引っ張った。そのなかで、自分一人でできることの少なさを痛感した。
「いろいろ課題があるんだけど自分ができることは少なくてパーフェクトじゃないと実感しました。メンバーを活かしてマネージメントをどうするか。そこに取り組んだ経験は大きかった。就活生には、失敗してもいいから一度はリーダーになれ、組織をリードする経験をしたほうがいいと話しています」
人を牽引する力は、主に株式上場のサポートを担当した大和証券SMBCでまず生きた。入社2年目でDeNA、3年目でミクシィ等の上場に携わった。
当時はまだ社内にIT系に強い人材がそう多くなく、小泉のインターネット好きは存分に生かされた。その後、ミクシィに参画し27歳で取締役に。32歳で退任した後はフリーのコンサルタントとして、創業したばかりのフリークアウト、アカツキなどベンチャー企業を支援し大きく成長させた。
「会社の経営経験が多いと同じような課題にぶち当たることがあり、成功確率が上がっていきます。ありがたいことにいい会社にも恵まれた。運がめちゃくちゃいい。そういう成功体験が若いころから多かったのも、今の自分につながっています」
ミクシィもメルカリも入社時は平社員
“平社員”として入社したミクシィでは、取締役執行役員CFOとしてコーポレート部門全体を統轄するまでに。
鹿島アントラーズFC提供
これだけの商才がありながら、自ら起業しようと思ったことは意外にも一度もないという。ミクシィも、メルカリも、入社時は平社員。役職を最初から保証されていたわけではない。
「やりたいことが先に来て、自分の役職とかはどうでもいい。僕にとっては、何がやりたくて、何を達成したいのかが大事。個人がエンパワーメントされるサービスを提供している企業がすごく好きなんです。そういう意味では、鹿島も同じですね」
小泉が入ったとき、ミクシィは社員30数人、メルカリは10数人だった。ともに「バリバリやる」(小泉)仲間がいた。高い山は一人では登れない。
「社員の能力を引き出し、アウトプットを最大化させる。そこが、リーダーとして最大の役割だと思います。能力を引き出すコツは、これは面白い、好きだと思ってやること。そうでないとクリエイティビティは生まれない。好きなことをやらなきゃ、人間の脳は働かないと思う」
「得意なところを伸ばせばいいじゃん、って思うんです。僕自身、昔から嫌いなことは省いてきた。嫌いなことや苦手なことをやっても、それなりに成長はあるでしょう。ただし、それでお給料をもらうとか、イノベーションを起こすのは難しいのではないか」
撮影:今村拓馬
会社の人事を考える際も、この考え方を軸にする。営業が苦手な人をその担当にして訓練しようとは考えない。
「本人が自分の素質に気づいてないから、一度やらせてみよう、という意味はある。でも、絶対苦手だろうと思うことや好きではないことをやらせるのはほぼ意味がないと思う」
いま、小泉の能力が最大化される「好き」は、何だろう。
「インターネットが好き。今は、サッカーやスポーツビジネスが面白い。それ以外だと、そもそもモチベーションが上がらない」
なぜ、スポーツビジネスに惹きつけられたのか。次回はそこにフォーカスする。
(敬称略、明日に続く)
(文・島沢優子、写真・今村拓馬)
島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。