撮影:今村拓馬、イラスト:Shutterstock
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。コロナウイルスがもたらしたパラダイムシフトによって不確実性がさらに高まった今、私たちはこれまで以上に「正解がない中でも意思決定するために、考え続ける」必要があります。
経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。「普遍性、汎用性、納得性のある世界標準の経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも参加してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
前回から引き続き、読者のみなさんから寄せられた声に、入山先生が経営理論を思考の軸にしながら答えていきます。この議論をラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
さて、今回取り上げるEさんは、経営陣がHRの重要性を理解していないことにモヤモヤされているようです。
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みなさんこんにちは。入山です。今回も引き続き、連載初回で僕が出したお題、「あなたがいまビジネスで抱えている課題やキャリアの悩みについて教えてください」という投げかけに対する読者のみなさんからの回答と、それに関連する経営理論を紹介していきたいと思います。
今回ご紹介するのは40代後半の男性会社員、Eさんからの回答です。EさんはHR(ヒューマンリソース)の重要性を周囲が理解していないことを嘆いておられます。
会社は人でできている
僕の著書『世界標準の経営理論』を読んでくださったのですね。ありがとうございます。
ちなみに「ティール型組織」とは未来の組織の理念型で、自律分散型の組織のことを言います。「心理的安全性」とは、グーグル等が調査の結果として発表したキーワードで、そこで働く人が「この職場では安心して発言・行動できる」と思えるかどうかが生産性を左右するというものです。心理的安全性の高いほうが、生産性は高くなるということです。
Eさんは人事あるいは組織開発あたりのご担当者かもしれませんね。そして「昭和的なオペレーション」というのは、新卒一括採用、終身雇用制度、メンバーシップ型雇用、失敗を許さない評価制度、あるいはダイバーシティの不在、などの旧態依然とした慣習を指すのだと思います。
僕は自分の本を経営者が読まないから悪いとは言いませんが、実際問題として、確かにEさんのおっしゃる通り、昭和時代のオペレーションやマインドが残っている経営者は厳しいでしょうね。
令和の時代になってもいまだ根強く残る「昭和的なオペレーション」。だがこの慣習が生む環境は、イノベーションが起きる条件とは真逆のものだ。
撮影:今村拓馬
これだけ変化のスピードが速く先の見えない時代ですから、いま日本企業は、すべて変化しなければいけない。そのとき一番の鍵を握るのは、当然ながら経営陣です。
ではあえて社内のファンクション(機能)に分けるとどこが重要かというと、僕は中でも人事の変革が重要と理解しています。理由は簡単で、「会社は人でできている」からです。
したがってこれからの時代こそ、人事がどんどん変化して、面白い仕掛けを入れていかなければなりません。実際、僕の周りでもいい変化が起きている会社は、だいたい人事の方が面白い。名前を挙げればユニリーバ・ジャパンの島田由香さん、それからソフトバンクの青野史寛さん、元SAPで最近グリコに移られた南和希さんなどです。
一方でいまだにバックオフィス的で、上から降ってきた仕事を粛々とこなして、エクセルで人事評価をして管理する企業の人事も多い。これでは変化が起きにくいのです。
イノベーションを起こすのは実は人事
最近よく「戦略人事」という言葉を耳にするようになりました。人事界で有名な元リクシル副社長の八木洋介さんが使われる言葉ですが、僕もこの「戦略人事」が必要だと理解しています。
会社は戦略が重要なわけですが、その戦略を遂行するのは人間。ということは、人事こそが戦略を理解しなければならない。人事担当者あるいは人事のトップこそ、経営者と同じ目線で、同じ方向感をもって進むことが重要なのです。
人事は本来、組織図の一機能にとどまらない。変化の時代には、経営者と同じ視点に立った「戦略人事」が必要だ。
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さらに、これは最近僕が言っていることですが、近年の企業の戦略はほぼイコール、「イノベーション」になってきています。つまり事業環境の変化が激しさを増しているので、きちんと計画して、実行して、チェックして、というように、いわゆるPDCAを悠長に回している時代ではない。どんどん新しいことを打ち出さなくてはならないからです。
このような時代においては、「人事=戦略=イノベーション」、すなわち「イノベーション人事」が必要と言えるのです。Eさんは、このような視点に共感してくださったのかもしれません。
ただし、「イノベーションを起こすには人事が重要」と口で言うのは簡単ですが、従来からの経営者の多くはそこまで追いついていない。だから「昭和的なオペレーション」が幅を利かせているのでしょう。
しかし昭和的なオペレーションは、この連載で何度も述べてきた「知の探索」を阻むものなので、イノベーションが起こる条件とは真逆です。Eさんが「肝心要の経営陣が理解していないことに猛烈な違和感を持っている」とおっしゃるのは、そこにいら立っているからなのでしょうね。
今のままでは、若者に支持されなくなる
このような会社は、今はまだいいとしても、いずれ若い世代から支持されなくなる可能性があるはずです。果たしてこのような会社で若い人たちが働きたいと思うかどうか。ミレニアル世代の代表として、Business Insider Japan編集部の横山耕太郎さんに意見を聞いてみました。
いま横山さんから「憧れ」という言葉がありました。ティール型組織に憧れるということは、裏を返せば、経営陣の顔が見えない会社は、これからミレニアル世代やさらに若い世代の方々は避けて通るということです。
また横山さんは、Business Insider Japan編集部に移ってきて、経営陣との距離の近さに驚いたと言います。
この連載をBusiness Insider Japanでやっているから言うわけではありませんが、ここはそれだけ若手と経営陣の距離が近いということでしょう。このような会社であれば、「社長、いまはHRについて、こういう考え方もありますよね」と話しかけたりできそうです。
解決策は“役員・ゲリラ・読書会”
最後に、ではEさんが経営陣に対してどういう働きかけをすればいいかというと、いくつかの方法があると僕は思います。
まず1つめは、『世界標準の経営理論』をこっそり手渡して読んでもらうという方法(笑)。実際、僕の本は多くの主要企業の経営者が読んでくださっているので、それを理由にすればいいかもしれません。
とはいえ、この本は800ページを超える大著で、全部読んでいただくのは難しい。そうであれば、第12章、第13章の「知の探索と知の深化」の理論と、第23章の「センスメイキング理論」、そして第34章の「組織行動・人事と経営理論」だけ読んでもらうのでも、まずは十分かもしれません。
社内の意識合わせをするうえで「読書会」は効果的。なかには先生の『世界標準の経営理論』を使ってさっそく実践している企業も。
撮影:今村拓馬
2つめの方法は、Eさんが「話の通じる経営幹部」をつかまえることです。
比較的規模の大きな会社では、経営者と直接話すのは難しいかもしれないけれど、それより階層が1つか2つ下の幹部の中に、意外と面白い感性の持ち主がいたりするものです。そういう方と対話をして、こちらの主張を社長に「通訳」してもらうという方法があります。実際、僕はそんなふうにして大企業を動かしている方を何人か知っています。
そして3つめの方法は、「上の言うことを上手に無視しながら、自分で勝手に動くこと」です。
実は僕の知り合いの大手企業の人事担当者には、社内の人間関係とか、稟議とか、そういう面倒くさいことを上手にかいくぐりながら、ゲリラ的に活動している方がいます。僕は、こういう方々を「ゲリラ人事」と呼んでいます。もし会社を変えたいという思いがあるのであれば、ゲリラ的に地道に活動するという手もあるのです。
ところで、最後に編集担当の常盤亜由子さんから、「入山先生の本をテキストにして、社内で勉強会や読書会を開くといいかもしれませんね」という意見が出てきました。
これはおすすめですね。『世界標準の経営理論』をテキストに使った勉強会を行ってくれている方々もいるようですが、もちろん僕の本でなくてもかまいません。社長や上司を巻き込んでの社内勉強会は、共通の目線で議論できるのでとてもいいと思います。
社長や経営陣を誘ってみた結果どうなったか、ぜひとも続報をお待ちしています。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。