新型コロナが直撃した2万人会議の「舞台裏」。アドビがイベントを2週間で「ネット化」できた理由

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Adobe Summitの基調講演動画で講演するアドビ CEO シャンタヌ・ナラヤン氏。

Adobe Summit基調講演よりキャプチャー

新型コロナウイルス感染症への懸念から、大規模イベントのオンライン移行や開催中止が相次いでいる。企業はいま、数千〜数万人規模の「大規模リアルイベントの価値」にどう向き合うのか。

アドビが毎年開催する自社イベント「Adobe Summit」(アドビサミット)は、同社のデジタルマーケティング向け製品「Adobe Experience Cloud」のロードマップや製品などに関する情報を、ユーザー企業などにシェアするイベントだ。参加人数は2019年時点で約1万7000人、名実ともに巨大イベントだ。

本来なら2020年も4月の上旬にアメリカ・ネバダ州ラスベガスで開催予定だったが、アメリカでのCOVID-19(いわゆる新型コロナウイルス)の急速な感染拡大によって、開催1カ月前に急きょ、オンラインの「デジタルカンファレンス」へと姿を変えることを余儀なくされた。

Adobe Summit

Adobe Summit公式サイトでは、まさに例年のサミットがフルオンライン化して放送されている様子がわかる。

撮影:伊藤有

オンライン版「Adobe Summit」の基調講演には、同社のCEOであるシャンタヌ・ナラヤン氏が登壇した。例年のAdobe Summitでは、ナラヤン氏の基調講演の運営に100人をくだらないスタッフが関わっていたが、ナラヤン氏のホームオフィスで収録された今年のAdobe Summitではゼロスタッフ、つまりスタッフが誰もいない形で収録された。

時価総額1600億ドル(4月29日時点)企業トップの基調講演が、ゼロスタッフで収録されるというのは、「ビフォー・コロナ」の常識では考えられないことだ。

本稿では、アドビ エクスペリエンスマーケティング担当バイスプレジデント アレックス・アマド氏への取材を通して、アドビが「初めてのデジタルカンファレンス」から学んだ事をみていこう。

実質2週間でAdobe Summitの「オンライン化」に対応したアドビ

アレックス・アマド氏

アドビ エクスペリエンスマーケティング担当バイスプレジデントのアレックス・アマド氏。

アドビ提供

開催の約1カ月前に基調講演などをデジタルで開催すると決めた。その時点ではアドビ本社のシアターなどで、CEOや担当重役が講演する姿を撮影し、それを編集して配信するというプランだった。

しかし、その2週間後になって、“人々が一緒にはいてはいけない”ということになり、出社が難しくなった。

このため、CEOや担当重役の家で、(自ら)撮影した動画を流すという形にプランを修正した」(アマド氏)

つまり、実質的にはわずか2週間で、刻々と変わりゆく状況に対応してつくられたのが、今年のオンライン版Adobe Summitだったわけだ。

「ありのままを見せるべき」というCEOの決断は結果的に高評価

シャンタヌ・ナラヤン氏

2019年のAdobe Summitでのナラヤン氏の基調講演。例年、左右数十メートルはある大きなステージに、豪華ゲストを招き、緻密に練り上げたプレゼンテーションとトークが繰り広げられる。

撮影:笠原一輝

では、その2週間でAdobe Summitの基調講演はどのような形になったのだろうか?

詳しくはAdobe SummitのWebサイトで確認できるが、シャンタヌ・ナラヤンCEOの基調講演は、自宅の白いドアの前でナラヤン氏が語り、時々別の動画が挟み込まれるという形で編集されている。

アマド氏によればこの部屋はナラヤン氏のホームオフィスであり、そこで、彼自身がカメラで撮影した動画だという。つまり、今風に言えば、CEO自ら「自撮り」で基調講演を行なったことになる。

この時に部屋に誰か他にアドビの社員はいなかったのか?とアマド氏に尋ねた。アマド氏の答えは、「彼とワイフだけだった」とのこと。この事実は非常に興味深い。

収録に先立って、アマド氏が事前にナラヤン氏にどうするか聞いたところ、

「他のCEOも自宅にいて、会議もオンラインでやっている。それが(新型コロナウイルス影響下の)今の働き方であって、我々がカスタマーに届けるべきメッセージだ」(ナラヤンCEO)

と返されて、この形になったそうだ。

だが、何よりもアマド氏が驚いたのは、基調講演終了後の参加者のフィードバックだった。

「当初は“家からの動画は(視聴体験の品質として)どうなのか”など、さまざまな懸念があった。例えばグリーンバックで撮影して背景はステージっぽく合成したらどうか、という意見などもあったが、最終的にはシャンタヌの判断で“ありのままでいこう”となった。

ところが蓋を開けてみたら、参加者からは“むしろよくやってくれた”、“この辛い状況の中でありがとう”というポジティブなメッセージが、SNSなどを通じて届けられた。その意味では正しい判断をしたと、今では評価している」(アマド氏)

こういう誰にとっても厳しい状況の中で、飾り立てないシンプルなメッセージが、同じように新型コロナウイルスでで困難な状況にある参加者に深く刺さった、そういうことだろう。

「フルリモートでのイベント準備」がアドビの働き方に与えた影響

Adobe Summitの公式サイト

Adobe Summitの公式サイト(タップすると遷移します)。

出典:Adobe Summit公式サイト

そうしたデジタルイベントとなったSummitを開催してみて、アマド氏もいくつかのことを学んだという。

例えば、テレワーク中の従業員の家庭用回線の品質は大きな課題だった。

例えば、ナラヤン氏が夫人と撮影した基調講演の映像には、関連動画が挟み込まれて、公開されている。その編集は、担当の従業員が、動画編集ツール「Premiere Pro」(Creative Cloudに含まれている自社製ソフト)を利用して編集した。

もちろん自社ソフトだから、従業員がPremiere Proを使いこなすことには、何ら問題がなかった。一方、顕在化したのはネット回線の速度問題だった。

「従業員が使っているインターネットの速度、特に上りの速度が足りずに作業が滞る事が多々発生した」(アマド氏)

従業員が家庭に引いているインターネット回線の速度、特にインターネットへのアップロード時の「上り」の速度が十分でないことがテレワーク時の障害になった。

アメリカの家庭の固定回線(ケーブルTVと一緒に提供されることが多い)や、携帯電話回線などは、下り(インターネットからのダウンロード)の速度は十分だが、上りは絞られていることが多い。そうしたことも含めて、テレワーク時に従業員の生産性を下げないように、「快適なインターネット回線をどのように確保するか」という課題を、他企業同様にアドビも認識することになった。

アマド氏によれば、もう1つの気付きは、Adobe Summi公式サイトのコンテンツ設計についてだ。

「実際に(デジタルカンファレンスを)開催してデータを確認すると、参加者は長い動画をスキップして見る傾向があることがわかった。このため、長い動画を提供するよりは、細かく分割したビデオを提供した方が結局はしっかり見てもらえるということだ」(アマド氏)

実際、アドビのサイトでは、基調講演が分割して提供されており、好きなところから見ることができるように配慮されている。

デジタルカンファレンスは、データ分析によって成功に近づく

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この収録も、音声はクリアで編集もすばらしいが、よく見ると左の人物はAirPods Proを装着して収録しているように見える。

Adobe Summit「あらゆる規模で進化するコマース体験」よりキャプチャー

アドビが「細かく分割したビデオのほうが良い」という気付きを得られたのは、今回のオンライン版Adobe Summitの開催を、自社のデジタルマーケティング・プラットフォーム「Experience Cloud」の上で実行したからだという。

アドビはオンライン版Adobe Summitで、従来から提唱しているDDOM(Data-Driven Operating Model、データ・ドリブン・オペレーティング・モデル)というデータ重視型の評価指標を活用した。

DDOMとは、ユーザーのタッチポイント全てを数値化して分析する仕組み。例えばオンライン版Adobe Summitであれば、ユーザーIDの登録数や、どのセッションが見られているのかなどを全てデータとして可視化できる。そのフィードバックから、短い動画を参加者は好み、長い動画は敬遠される、ということがわかってきたのだ。

「どんな種類のイベントであろうが、(DDOMのような手法を利用すれば)すべての側面を数値として計測することができる。そこから次回イベントをよりよくしていくことを学ぶことができる」(アマド氏)

データを活用することこそがデジタルカンファレンスで成功し、そして次回よりよいイベントを作るための鍵だと説明した。

アドビが学んだ「アフター・コロナの世界」の巨大イベントのあり方

sneaks

アドビの自社イベントで恒例の、研究開発中の機能を披露する「Sneaks」もオンライン披露。上の写真は、スマホのカメラとARを組み合わせて、実物の本の見出しなどを校正して、データ上に同期する機能のデモ。日本語字幕もついているのでみやすい。

Adobe Summit「Sneaks」よりキャプチャー

このように非常に短期間でのオンライン化とコンテンツの最適化を実行したAdobe Summitだが、今後、新型コロナウイルスが収束に向かったあと、こうした企業が行なうプライベートカンファレンスはどうなっていくのだろうか?

「未来はどうなっていくかは誰にもわからないので、今後もデジタルカンファレンスだけになるのか、そうでないのか予想することは難しい。しかし、1つだけ言えることは、しっかりとしたデジタルイベントを短期間で作り上げることは不可能ではない。

将来物理的なイベントが再開されていくことに疑いはないが、状況によっては引き続きデジタルイベントを続ける可能性もある。それをより優れたイベントにしていくことは可能だ。大事なことはそれを実現できる、DDOMのような(需要分析し、改善を進められる)デジタルプラットフォームを用意しておくこと。それこそが今回我々が自ら学んだことだ」(アマド氏)

「アフター・コロナ」や「withコロナ」、「ニューノーマル」という呼び方が日本でも始まっているが、このコメントの示唆は大きい。

新型コロナが早期に収束しようが、長期化しようが、アフター・コロナの世界では、「リアルな業務が中断されるリスク」は企業にとって必須の想定事項になった。

また、参加者たちも「オンラインでのイベント参加」を体験して、多かれ少なかれメリットを知ってしまった。この流れは不可逆で、もはや、時間を逆転させることはできないのだ。

アドビは、おそらくビジネスの増幅装置として「2万人規模の巨大イベント」を続ける上で、今後はデジタルカンファレンスへの取り組みは欠かせないものになる、と認識したはずだ。

アフター・コロナの世界を見据え、いつ何時でもオンライン対応を可能にする……そのために、顧客体験を分析し、デジタルカンファレンスを裏側で支えるプラットフォームの重要度は、今後ますますが上がっていくはずだ。

(文・笠原一輝)

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