コロナ危機で在宅ワークとなったシマオ。通勤もなく、仕事のほとんどをオンラインでこなせる毎日は快適な一方、1人でいると不安や孤独感を感じる時間も多くなった。これまで以上に社会との繋がりを強く意識するようになったシマオは、佐藤さんに社会とは何かを教えてもらうため、オンラインで連絡をとった。
コロナウイルスで浮かび上がった「社会」の役割
シマオ:もしもし佐藤さん、聞こえますか……?(オンラインにて佐藤さんと話しかけるシマオ) 新型コロナウイルスの影響で大変ですね。僕の会社もすっかり在宅勤務になりました。さすがに最近は家にいるのも飽きてきちゃって……。
佐藤さん:私も大学の対面授業などがなくなったので、ほとんど自宅で過ごしていますよ。といっても、外出できないことに、さほどストレスは感じていません。512日間拘置所に入っていたことに比べればましですから。
シマオ:(比較の基準が違うな……)お仕事に影響は出ていますか?
佐藤さん:私は作家ですから、移動しない分、むしろ執筆の生産性は高まりましたし、取材はオンラインで受けられますからそれほど大きな影響はありません。
シマオ:そうですよね。医療関係者や運送業の方、スーパーなどで働いている方とかは大変ですけど、僕みたいな事務職もほとんどの仕事をオンラインですることができるんですよね。
佐藤さん:そのことにみんな気づいてしまいました。だから、コロナが収束しても、働き方がコロナ以前のものに戻ることはないでしょうね。
シマオ:もう、満員電車に乗れないような気がします……。実は、こういう大きな危機になって、最近はあらためて「社会」ということについて考えるようになりました。
佐藤さん:「社会」ですか。
仕事はほとんどリモートでできる環境だと言う佐藤さん。
シマオ:大学を出て“社会人”になったって言いますけど、「どうしたら会社の中でうまくやれるか」とか、結局“自分”のことしか考えてなかったような気がして……。 でも、こういう状況になると、そんなの小さいことなのかなって。僕は今のところ給料が減ることはないですけれど、世の中には雇い止めなどで困っている人たちがたくさんいます。
佐藤さん:それは、いま多くの人が感じていることですよね。イギリスのボリス・ジョンソン首相が、演説の中で「社会というものはある」と言ったことが大きな話題になっていることからも分かります。
シマオ:「社会はある」……? 当たり前のように思えますけど、どういうことですか?
佐藤さん:ジョンソン首相は「コロナウイルスの危機が証明したのは、社会というものがあるということだ(There really is such a thing as society)」と言いました。実は、これには元になる言葉があります。シマオ君はマーガレット・サッチャーを知っていますか?
シマオ:名前くらいは……。でも、よく知りません。
佐藤さん:サッチャーは1979年にイギリス初の女性首相となった人で、「鉄の女」の異名を取ったほど剛腕の政治家です。緊縮財政のいわゆる「小さい政府」路線で、社会保障費の削減や国有企業の民営化を推し進めました。
シマオ:「鉄の女」……。冷たくて強そうなイメージです。
佐藤さん:そのサッチャーが言ったのが、「(人々はさまざまな問題を社会のせいにするけれど)そんな社会なんていうものはない(There is no such thing as society)」という言葉なんです。この言葉は、彼女の個人主義的で新自由主義的な考え方をよく表したものとして知られています。
シマオ:ジョンソン首相は、それをもじって「社会はある」と言ったわけですね。確かに、イギリスは賃金の8割を政府が補償するなど、手厚い対応をしていますね。
個人の経済的自由を最大化する「サッチャリズム」を推進するなど、国家と国民の間に明確な境界線を作ったマーガレット・サッチャー元英首相。
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そもそも「社会」とは何か?
佐藤さん:サッチャーは国民に対して「“誰”が社会なのか?(Who is society?)」と問いかけたけれど、シマオ君は「社会」って何だと思いますか?
シマオ:そうやって訊かれると、難しいですね……。個人が寄り集まってできるのが社会ってことかな……?
佐藤さん:「個人」の対極にあるのは「国」です。「社会」は、個人と国との中間でみんなが助け合うことを意味しています。
シマオ:なるほど。サッチャー首相が「社会はない」と言ったのは、個人の問題は個人で解決しろ、ってことなんですね。
佐藤さん:そう。「サッチャリズム」と呼ばれた新自由主義的な経済政策は、平たく言えば、個人の力で稼いで、お金の力で自分の問題は解決しなさいということでした。 逆に社会を大きくしていくことは、福祉を厚くしたりして平等を目指すことで、これを突き詰めると社会主義・共産主義になっていきます。
シマオ:どちらも極端ですね……。ある程度は自分の力で稼いで、どうにもならなくなったら社会が助けてくれるのが理想ですけど。
佐藤さん:もちろん、サッチャーは「ない」と言ったけれど、社会がまったくない国というのは、基本的には存在しません。個人と国の間にある社会の範囲は、虹のスペクトルみたいなものでグラデーションです。
シマオ:虹の色は徐々に変化してるから、青と藍の境い目と言われても分からないということですね。
佐藤さん:その中で、その時々の状況に応じて社会は大きくなったり小さくなったりするわけです。
シマオ:今回のコロナみたいな危機が起こると、個人の力ではどうしようもないことが増えるから、社会の力が大きくなってくるということですね。
佐藤さん:そういうことです。日本でも80年代以降は、バブル崩壊による停滞や東日本大震災での揺り戻しはあったものの、基本的には個人主義に振れた時代が続いてきました。今回の世界的なコロナの影響は、その転換を迫るものです。
なぜ「買い占め」は起こるのか
シマオ:大きな危機があると、社会という助け合いが必要になってくる。やっぱり、あまり行き過ぎた個人主義は間違いだったということでしょうか?
佐藤さん:格差が大きくならないようにするという意味ではそうですが、社会が大きければいいと一概に言うことはできません。社会は別の言い方では「世間」です。それが強くなれば、ある種の同調圧力が生まれて窮屈になります。
シマオ:確かに、「自粛」にしても、一歩間違えると圧力になりかねないですよね。感染を避けるのは重要ですけれど、例えば緊急時にはエンターテインメントなんてすべてやめるべき、みたいに……。
佐藤さん:それは誤った考え方ですよね。むしろこんな状況だからこそ、エンタメは人々に活力を与えたり、リラックスさせることができる。
シマオ:社会に貢献しているってことですね。
佐藤さん:ドイツなどはそれが分かっているから、文化事業にちゃんと助成金を出しています。ドイツの文化相は、「アーティストは生命の維持に不可欠な存在」と明言しました。
シマオ:さすがヨーロッパって感じがします。ところで、こういう危機になると、必ず「買い占め」って起きますよね。マスクとかトイレットペーパーとか……。
佐藤さん:そうですね。ただ、「買い占め」と「備蓄」は分けて考えるべきだと思います。
シマオ:どう違うんでしょう?
佐藤さん:例えば普段はお米を5kg買っていたのを、何が起こるか分からないから20kg買ったというのが買い占めかといえば、そうではないと思います。これは備蓄の範囲内で、むしろ今のような状況では必要なことです。
シマオ:じゃあ、マスクがなくなったのも買い占めではない……?
佐藤さん:はい。ほとんどの人の行動は、備蓄の範囲内だと思います。買い占めに当たるのは、それによって儲けようとする行為、いわゆる「転売ヤー」みたいなものです。
シマオ:一時期、ネットオークションでマスクが高値で売られていたけど、すぐに規制されましたね。
佐藤さん:トイレットペーパーはほとんどが国内生産だから、すぐに売り切れは解消されました。マスクは国内生産の割合が低いので、もう少し時間はかかるでしょうけれど、数カ月で解消されると思います。
シマオ:じゃあ、慌てなくてもいいということですね。
佐藤さん:はい。緊急事態だからと過度に備蓄する必要もありません。私は、1カ月分が備蓄の目安と考えています。それ以上備蓄が必要なほど配給不足になるような事態は、もう国による物価統制や配給の世界ですから、私たちが考えても仕方ありません。粛々と必要な分だけを用意することを心がけると良いでしょう。
シマオ:分かりました!
※本連載の第14回は、5月13日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)