「武漢研究施設からのウイルス流出」トランプ政権が決定的証拠を握っていないと言えるこれだけの理由

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ポンペオ国務長官との一問一答を含む動画+テキストを掲載したABCニュース(5月3日)。

Screenshot of abc NEWS website

「ポンペオ国務長官が、新型コロナウイルスは中国・武漢の研究施設から漏えいしたかなりの証拠があると発言」「トランプ大統領が、その強力な証拠を公表すると発言」といったニュースが日本のメディアでも大きく報じられ、誤解が広がっているようだ。見出しだけだと、多くの人が「アメリカはついに証拠をつかんだのか」と思うのも無理はない。

だが、アメリカの情報機関がそこまでの証拠をつかんでいないのは明白だ。例えば、ABCニュースが報じた冒頭のポンペオ国務長官の発言(5月3日)。その前段で彼はこう言っている。

情報機関は仕事を続け、我々が確信できるように検証すべきだ

まだ確信していない。つまり、まだ証拠はないのだ。

FOXニュースが報じたトランプ大統領の発言(ホワイトハウスのウェブサイトに掲載)も同様だ。まったくもって曖昧な言い方である。

キャスター「ウイルスが武漢の研究施設由来だと確認できる証拠を見ましたか?」

大統領「まもなく出てくるだろう」(筆者補足=情報機関から政府に報告されることになっている)

キャスター「もう少し詳しく説明してください」

大統領「我々が想定しているまさにその出来事について、非常に説得力のある報告書が(情報機関から)まもなく出てくるだろう。それは非常に決定的なものになると思う」

この一連のやり取りのなかで、トランプ大統領は研究施設漏えい説について積極的に語っていない。その代わり、中国側が初期に情報を隠ぺいしたことをひたすら責めている。武漢の研究施設から漏えいした証拠があるなら、中国側の落ち度と悪意は決定的なので、そちらを前面に出すはずだ。しかし、実際にはそうしていない。

ポンペオ国務長官のABCニュースとのやり取りでも、研究施設からの漏えいの証拠についてはあまり触れず、中国の情報隠ぺいのさまざまな事例をあげて、隠ぺいの証拠はたくさんあると言っているにすぎない。

中国の責任を決定づけるウイルス漏えいの隠ぺいについては、トランプ大統領もポンペオ国務長官も「証拠がある」という割に、腰の引けた態度が目立つ。

そもそも、アメリカの主要メディアはこれらのコメントを大々的に報じていない。とくにトランプ発言については、むしろ他の部分に注目が集まっていて、ウイルス漏えいについてはさほど注目されていない。

スパイ工作で「証拠」を得られるか

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米アリゾナ州にあるハネウェルのマスク製造工場を視察したトランプ大統領。何もかも中国の責任とする一大キャンペーンを張ろうとしているようにみえる。

REUTERS/Tom Brenner

目下、証拠の有無が問題となっているわけだが、それは大して複雑な話ではない。

最初の感染者が確認された時点より先に、武漢の研究施設に新型コロナウイルスが存在していたことを証明できればいいのだ。

ただし、スパイ活動を通じて証明するとなると、それは至難の業だ。

例えば、研究施設内部の機密資料が必要だが、そのような「シルバー・ブリット」(=鉛の弾丸では倒せない狼男も銀の弾丸なら倒せるという寓話になぞらえた、決定的情報を意味するインテリジェンス用語)は、研究施設内部のコンピューターネットワークをハッキングするとか、研究所関係者が資料をもって亡命するとかでない限り、手に入らないだろう。

ちなみに、中国のウイルス学者が在仏アメリカ大使館に亡命したとの情報がネットに流れ(5月3日)、日本では著名人も拡散していたが、ありがちなフェイクニュースだった。

トランプ政権の命令を受けて米情報機関が調査を続けているのは間違いない。それでも、現段階で漏えいがあったと断定できる状況にないことは、各情報機関の収集・分析した情報をとりまとめる「国家情報長官室(ODNI)」が発表した声明文(4月30日)からも明らかだ。

わずか数日でシルバー・ブリットが入手できるほど、諜報の世界は甘くない。ODNIが声明を発表したのと同日、トランプ大統領は「証拠を見た」と記者会見で発言しているが、公の場で一度言ってしまったのだから、いまさら撤回できないという面もあるのだろう。

前回記事で解説したように、米ニューヨーク・タイムズがそのあたりの内部事情を詳報している(4月30日)。トランプ大統領の意向を受け、ポンペオ国務長官はじめ政権幹部が、情報機関に「何がなんでも証拠を探せ」と圧力をかけているのが実態のようだ。

▽「トランプ政権高官が、ウイルスと武漢の研究所をつなげるよう、スパイに圧力をかけている模様

今回のトランプ大統領、ポンペオ国務長官の発言について、インテリジェンス分野に強い英ガーディアンが興味深い記事(5月4日)を発表している。

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英米など5カ国による共同情報活動「ファイブアイズ」の見解を報じる英ガーディアン(5月4日)。

Screenshot of Guardian website

▽「ファイブアイズのネットワークは、研究施設漏えい説とは矛盾する ~情報機関によれば、武漢の研究施設からコロナウイルスが流出したことを示す証拠はない

ファイブアイズ」は、アメリカ・イギリス・オーストラリア・カナダ・ニュージーランドの5カ国による共同情報活動を指す。ガーディアンはこれらの国の複数の情報筋(記事には少なくともイギリスとオーストラリアの情報筋が登場する)に取材し、「証拠はない」との見解を引き出している。

これらの情報筋は記事中で、オーストラリアの右派系タブロイド紙デイリー・テレグラフ(5月2日)が報じた、中国の情報隠ぺいを非難するファイブアイズの報告書抜粋をフェイクと断じ、対中情報工作としてアメリカで偽造された文書ではないかとの推測を語っている。

こうした情報戦(心理戦)がすでにメディアを舞台に始まっているようだ。

なお、米CNN(5月4日、翌日アップデート)も、情報筋の「研究施設漏えいの可能性は低いという評価をファイブアイズは共有している」と報じている。

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米CNNも「研究施設漏えいの可能性は低いという評価をファイブアイズは共有している」と報じている(5月4日)。

Screenshot of CNN politics website

▽「アメリカの同盟国間で共有されている情報機関の調査結果によれば、ウイルス発生源は中国の研究施設よりも市場の可能性が高い

こうした情報を総合して考えると、トランプ政権は正当な情報分析を逸脱し、政治的思惑で歪めようとしている可能性が高い。中国の情報隠ぺいを責め、その責任を追及する一大キャンペーンに乗り出そうとしている。大統領選挙をこの秋に控え、自身の対策不備への批判をかわす狙いもあるのだろう。

本当の発生源、残された可能性

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英ケンブリッジ大学の研究チームによる分析結果を掲載したサウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)のウェブサイト。

Screenshot of SCMP website

新型コロナウイルスの世界的大流行に、中国政府の負うべき責任は大きい。武漢で感染が広がった2019年12月から2020年1月にかけて、情報公開を徹底して行わなかったことは、全人類に対する罪と言っていいだろう。

その意味で、中国の責任を問うアメリカの姿勢は間違っているわけではないが、だからといって、証明されていない研究施設漏えい説をあたかも確認された事実であるかのように印象づけるのは、逆に中国に反論の機会を与えることにつながり、逆効果となる可能性すらある。

ただし、研究施設漏えい疑惑は可能性が高くないとされているものの、現時点で「可能性ゼロ」と断定されてもいない。もちろん、根拠となる情報がない現状では、可能性は低いとみていいのだが、いずれにしてもすべては根拠となる情報をもとに評価すべきだろう。

すでに世界中の研究者によって、新型コロナウイルスのゲノム配列から、自然的な変異であるとのコンセンサスが出ている。誰かが意図的な操作を加えた痕跡はない。だとすれば、自然な変異の可能性は、狭い研究施設内より広大な自然界で起きた可能性のほうがはるかに高い。研究施設漏えい説の根拠は、単に「施設が武漢にある」ことしかない。

英ケンブリッジ大学の研究チームは遺伝学的分析として、ウイルスの誕生はもっとずっと以前のことで、武漢以外の場所、例えば中国南部で発生した可能性も指摘している。

▽「ケンブリッジ大学の研究者、新型コロナウイルスは9月に発生した可能性を指摘」(4月17日、サウスチャイナ・モーニング・ポスト)

新型コロナウイルスは無症状者からも感染することがすでにわかっているが、そうなると、どこかから人間や動物を伝って武漢まで運ばれた可能性はいくらでもある。武漢の海鮮市場は発生源ではなく、最初のクラスターだったのかもしれないのだ。

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国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長のインタビューを掲載したナショナル・ジオグラフィックのウェブサイト。

Screenshot of NATIONAL GEOGRAPHIC website

5月4日、トランプ政権でコロナ感染対策の指揮をとるアンソニー・ファウチ国立アレルギー感染症研究所所長が、ナショナル・ジオグラフィックに登場している。

ファウチ所長はトランプ大統領に忖度することもなく、「ウイルスが研究施設で発生したとは考えていない」と語っている。発生源を特定するのは政治ではなく、根拠となる情報なのだ。


黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。

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