撮影:伊藤圭
1日に平均で38万人が乗り降りするJR品川駅。東京都内屈指のターミナルは朝の通勤ラッシュの時間帯に人の洪水が押し寄せる。
多くの企業のオフィスがある港南口に向かう人たちの流れの中に、もう一つ別の流れがある。
品川埠頭行きのバスに乗って、東京出入国在留管理局(東京入管)に向かう外国人たちの流れだ。
品川駅から東京入管まで徒歩では30分近くかかるため、朝のバスは超満員。さまざまな国籍の人たちが、バスで埠頭に向かう。国際都市東京を実感させる風景だ。
目的は、日本に滞在したり働いたりするのに必要なビザ(査証)の手続きをすることだ。
午前9時の開庁前から、窓口周辺は順番待ちの外国人たちで混雑する。手続きが終わるまでに4、5時間待たされることも少なくない。
新型コロナウイルス感染症の拡大が加速していた2020年3月末、入管は密集を避ける対策を打ち出してはいたが、それでもビザの更新などを求める外国人が建物内で長い列をつくっていた。
すぐ受理できる申請書は3%
品川埠頭にある東京出入国在留管理局。アジア、欧米、アフリカなど世界中の人々がビザ関連の手続きのため、集まる。3月末には在留期間の延長を求める外国人たちで長蛇の列ができた。
撮影:小島寛明
こうした煩雑な手続きの流れを変えようとする若い会社がある。5年前に岡村アルベルト(28)が立ち上げたone visa(ワンビザ)だ。
岡村は、甲南大(神戸市)でマネジメントを学び、新卒で行政機関や企業の窓口に多言語対応ができる担当者を送る企業に入社した。配属先は、東京入管だった。
これまで区市町村や国の機関での窓口は公務員の仕事だったが、近年、民間企業から派遣された人たちへと代替が進んでいる。
岡村が担当したのも、ビザの更新や変更といった手続きで外国人に対応する窓口だった。当時の仕事を岡村はこう振り返る。
「さまざまな国籍の人たちに対応する多言語対応が僕たちの仕事。むちゃくちゃ残業が多くて、いつもは午前7時半ごろに出勤して、仕事場を出るのは午後10時ごろが多かった。忙しいと、日付が変わることもありました」
午前8時45分に入管の扉が開くと、順番待ちの番号札を受け取るため、待っていた外国人たちが足早に庁舎に入ってくる。
母親がペルー人、父親が日本人の岡村はスペイン語を話す。しかし、多言語対応といっても窓口に来る人がどの国の人かは分からない。
世界各地の人たちが提出するビザ申請の書類には、不備が多い。
「完璧な申請書と完璧な添付書類がセットになっていたら、手続きは1人1分半で終わる。でも、ほとんどに不備がある。『これでOKです』とすぐに受理できる申請書は3%ぐらい。これが入管が混雑する原因なんです」
付箋に電話や家の絵を描いて対応
撮影:伊藤圭
窓口の担当者たちは、書類に不備があれば一つひとつ指摘をして、本人が誤っている部分に二重線を引き、書き直す。窓口担当者が代わりに書くことはできない。
窓口には日本語や英語、スペイン語、中国語、韓国語といった言語を話す担当者がいるが、こうした言葉ではコミュニケーションができないアジアなどからの来庁者も多い。
そこで窓口の担当者たちが活用しているのが、付箋だ。
修正が必要なところにはバツを書く。自宅の住所を記載する必要があれば家、電話番号なら電話のマークが描かれた付箋を貼り付ける。岡村らは丁寧に書類を修正するよう努めたが、そうした対応そのものがジレンマでもあった。
岡村は入管の窓口業務をしていたころ、日本語やスペイン語でコミュニケーションが難しい申請者には、付箋に修正内容を書いて直してもらっていた。
提供:one visa
「言葉にとらわれずサポートをすれば、たいていの場合は修正できますが、めちゃくちゃ待ち時間が長くなる。窓口業務を委託されている民間企業は、入管から待ち時間を短縮するという宿題ももらっています」
窓口の業務は午後4時に終わるが、仕事は終わらない。岡村らの仕事は、ビザの発給や延長などを認めるかどうかを決める審査官がスムーズに審査を進められるよう書類を整えることだ。
申請は、1日に平均で1000件を超える。ビザの新規取得、更新、日本での活動内容の変更など、申請の内容に合わせて書類を整理しているうちに、残業時間が伸びていく。
ボールペンを置くかどうかに1時間
窓口業務の経験を重ねながら、岡村はさまざまな改善案を頭に描いていた。責任者になれば、入管の職員たちとの会議にも出席できる。上司に掛け合ったところ、入社5カ月で現場責任者になった。
岡村がone visaで進めている事業の原型は、この時期に生まれたものだ。
例えば、窓口にパソコンとプリンターを置いて、必要事項を入力すれば自動的に申請書が生成される。窓口に来た人はサインをすれば、申請の手続きは完了する。
撮影:伊藤圭
そんな仕組みが実現できれば、申請者も入管側もかなりラクになるが、そう簡単にいかないのが役所との仕事だ。
現場責任者たちと入管職員との会議に出席しても、窓口にボールペンを置くべきかどうか、じっくり1時間かけて話し合っている。
「会議に出るようになって、これでは、どうしても新しいシステムの導入なんていう大きな話ができる場ではないことがよく分かりました」
そう振り返る岡村は入管での仕事を始めてから1年で会社を辞め、自らの会社を立ち上げた。
設立当初の会社の名は「在留」を意味する、Residence(レジデンス)だった。
(敬称略、明日に続く)
(文・小島寛明、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
小島寛明:上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事。2017年6月よりBusiness Insider Japanなどで執筆。取材テーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(Business Insider Japanとの共著)。