1991年、ペルーで生まれる。6歳で母、妹と父親の住む日本に移住。大学卒業後に入管の窓口業務を請け負う企業に就職。2015年、ビザの手続きを簡単にするために起業。
撮影:伊藤圭
煩雑で非効率なビザの取得や更新の手続きを、デジタルで簡単にすることを目指すone visa。創業者の岡村アルベルト(28)は、ペルーの南部の都市アレキパで生まれた。
100万人ほどが暮らすアレキパは、首都リマに次ぐペルー第二の都市だ。
日本人の父と、ペルー人の母を持つ岡村は幼少期、アレキパで育った。大阪に移り住んだのは、日本で小学校に上がる年齢に当たる6歳の時だ。
空港を出て、車で移動する日本の風景を今もはっきりと記憶している。
「白くて、とにかく明るい。ゲームセンターみたいに、いろんな色が反射している。街中がそんな感じ。すごい世界だなと。トイザらスの建物が大きくて、僕が見たことのある一番大きな建物と同じくらい。すごく興奮しました」
隣になると泣き出す子も。消えたいじめの記憶
日本の小学校の新学期はすでに始まっていた。大阪市内の小学校に転校した岡村は、日本語の会話ができなかったため、当初は、特別支援学級で学んだ。
朝は、他の子どもたちと一緒にホームルームに出席し、終わると別の教室に向かう。岡村は、状況をよく理解していなかったと振り返る。
「小学生なのにがちがちにポマードで髪を固めて登校したので、格好から浮いた存在でした。そして授業開始のベルが鳴ると、僕だけが移動する。でも、嫌だという気持ちが芽生えるほどの情報量がなくて、当たり前だと思っていた。体育とか、日本語が分からなくてもついていける科目にはクラスの授業に参加できた」
家庭では母とスペイン語、父とは日本語でコミュニケーションを取る。父と母は英語でコミュニケーションを取っていた。
岡村は「もののけ姫」などジブリのアニメを何度も見続け、日本語を覚えた。
「覚えたのはちょっと変わった日本語だったけど、日本語が話せなくて苦労した記憶はそんなにないんです」
そう話す岡村だが、変わった日本語を話す新しい同級生に、子どもたちは敏感に反応した。
岡村自身の記憶はおぼろげだが、小学校時代は、とっくみ合いや殴り合いが絶えなかったようだ。
いじめの標的になるのを恐れたのか、岡村が隣に座ると泣き出す子もいた。
「僕はあまり覚えていないのですが、いじめはありました。お母さんに聞くと、小学校のときはすごくつらそうで、病んでたって。記憶を改ざんしているだけなのかもしれないけど」
「自分で価値を提供できる人に」という母
岡村の家族写真。ペルー人の母は、学生時代に日本に留学していた経験もある。
提供:one visa
時間が経つうちに、岡村に対する攻撃は少しずつ減っていった。
学校の勉強は嫌いだった。岡村が、来日して間もない1999年、ゲームボーイカラー向けのソフト『ポケットモンスター金・銀』が発売された。岡村はゲームに夢中になる。
「ペルーでは白黒のテレビを見ていたから、当然、勉強よりもゲームがやりたくなるよね」
勉強に身が入らない息子を見かねて、母は、岡村に言い聞かせた。
「勉強しないと仕事のできる人になれない。勉強をすれば、社長さんになれるよ」
年齢を重ねた岡村は今、母の言葉をこう理解している。
「お母さんもペルーで自分の旅行会社を経営していたから、息子を、自分で何かをつくり上げて価値を提供できる人に育てたいと思ったんでしょうね」
撮影:伊藤圭
父の仕事の都合もあって、中学からは神戸市内の中学校に通った。その頃、母が1冊の分厚い本をくれた。村上龍の『13歳のハローワーク』だ。
本には、13歳たちの好きなものに応じて、辞書のように数百種類の職業が紹介されている。岡村は「ペルーに同じような本があったとして、これだけの分厚さになったのか」と思う。
「日本に暮らしてるからこそ、これだけ多くの選択肢がある。生まれた場所を変えることはできないが、僕たちは移動することができる。別の国に移動することで、その人自身の可能性を変えることができるかもしれない」
その頃から、いつの日か自分の会社を興すことを意識し始めた。高校の頃から、会社で提供するサービスのアイデアを、メモ帳に書き込んでいた。
当時、夢想していた会社の名前は「スカイコスモスコーポレーション」。会社の売り上げが空を超え、宇宙を超えていくという意味が込められている。
卒論では飲食店メニューの多言語化ビジネス
one visaの企業ミッションは「世界から国境をなくす」。
撮影:伊藤圭
高校を卒業した岡村が進んだのは、甲南大学のマネジメント創造学部だった。
大学生が企業に協力して、課題解決を図るといった実践的なカリキュラムは、岡村には楽しかった。
大学の卒業論文でも、ビジネスアイデアの提案書をつくった。当時も、日本で暮らす外国人を強く意識したサービスを考案している。
街の飲食店の店主に、店のメニューをスマホで撮影し、ウェブサイトにアップロードしてもらう。その画像を基に、翻訳者がメニューを多言語化するという内容だ。
実際にウェブサイトもつくって、指導教官に提出した。
「自分のクラスから、ザッカーバーグを出したい」という指導教官の言葉を、岡村は今も覚えている。
one visaが開発したサービスのベースには、6歳で母に連れられて来日した、岡村自身の体験がある。
「自分の人生を見つめ直して、考えた結果、移住をしたい、日本に来たいということであれば、そのため機会を提供する。最終的に自分の国に残るという選択があってもいいけど、日本で外国から来た方たちが快適に暮らしていくための基盤を提供できる会社でありたい」
(敬称略、明日に続く)
(文・小島寛明、写真・伊藤圭)
小島寛明:上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事。2017年6月よりBusiness Insider Japanなどで執筆。取材テーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(Business Insider Japanとの共著)。