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3月以来の長引く休校で生じている学習の遅れの「ばん回策」として、入学や進学を4月から9月に移行する案が浮上している。社会全体が大変更を伴う案に教育現場からは反対の声が上がるものの、安倍首相も会見で「有力な選択肢の一つ」と述べるなど、前のめりになる国会議員や知事もいる。
実際、長引く休校で露呈した進まないICT教育や、学習の遅れにしびれを切らした保護者からは「9月新学期で遅れを取り戻してほしい」との声がある。緊急事態宣言は39の県で解除され、対象地域では学校も再開されるが、新型コロナウイルスは「第2波」のリスクもあり、学びの遅れは教育現場にのしかかる。
長引く休校期間で見えてきた、日本の教育の弱点の解決策は、本当に「9月入学」なのか。
フルスロットルの家庭学習に疲弊
小学生が自分で机に毎日5時間以上向かうのは困難だ。
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「これ、あまりに丸投げでは……」
東京都内の公立小学校3年生の母親であるミカさん(仮名)は、学校から送られてきた「今週の予定」に絶句した一人だ。予定とは、休校期間中の自宅学習の時間割り。
月曜から金曜まで5〜6時間授業が国語、算数、理科、社会、体育、図工、音楽までびっしり詰まっている。細かなページ指定もされており、相当な分量だ。
1人で5時間の自宅学習をやれる小学生がどれぐらいいるだろう。必然的につきっきりになるが、相当の時間が削られる。在宅ワークの仕事も降り積もり、シングルマザーのミカさんは心理的にも物理的にも苦しい。
「こんなフルスロットルで授業進めろなんて無理です。オンライン授業始まってほしい……」
現場の先生たちも前例のない事態に戸惑っている。
そんな中、相当時間をかけて、念入りなカリキュラムを組んだことは想像に難くないが、低学年ならば、1人で長時間の自宅学習はほとんど無理だ。文部科学省は「家庭学習は定着していれば授業から省略可」との通知を出す一方、「翌年への繰越も可」とする内容を追って通知しており、2020年度の扱いは判然としない。
そんな混乱の中で降って湧いてきた9月入学の議論に、ミカさんは前向きな気持ちだという。
「9月入学、個人的には賛成です。調整がたくさん必要とは思うのですが現状、一学期は消えたままになっている。学校からはプリントが郵送されるだけで、一度も連絡がありません。この先も(再開まで)特にフォローはなさそうなので、だったら半年、取り戻してほしい」
下駄箱で文通状態に感じるICT教育の遠さ
下駄箱での文通を求めるような学校に、すみやかにオンライン授業ができるとは思えない。
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大学教員はじめ教育現場が9月入学には反対を表明する動きが相次ぐのに対し、保護者には期待する向きもある。報道によると世論調査では9月入学は賛成が54%と過半数に。背景には学力低下への大きな不安がある。
親も子も3月以来の長引く休校に疲弊れ気味だ。当初は期待したICT教育も、「どうやら難しそう」とのムードが漂っている。別の都内の公立小学校の母親は言う。
「学校からのメール連絡で、封筒に入った課題を下駄箱に入れるので取りに来てほしいと。まさかの下駄箱で文通!これでオンライン授業は無理では……」
3カ月近くに渡る休校期間では、全市立小中学校でオンライン授業をいち早く始めた熊本市、マイクロソフトの最新のタブレットを全区立小中学校に配布する渋谷区など、自治体によっては先進的な動きが起きた。
休校がICT教育の前進になる期待もある。「中央区公立小中学校オンライン教育を考える有志の会」として1450人超のアンケート調査をまとめ、オンライン学習の導入を区教委に提言した平田麻莉さんは、休校と9月入学を巡る現状をこうみる。
「早生まれはどうする、入試はどうするなど9月入学の議論はすぐ結論の出るような話ではない。ただ、学習の遅れ以上に、どこにも子どもたちが帰属していない、ずっと構うこともできず親子関係にもストレスや亀裂が起きそうという状態が続いています。オンライン学習の導入など現状でもできることはあると思い、区にも声を届けました」
ヨーイドンでやり直しは乱暴
教育現場のアドバイザーを務める妹尾昌俊さん。Zoomインタビューにて撮影。
撮影:滝川麻衣子
全国で学校や教育委員会向けに研修や講演を手がけ、各地の教育委員会のアドバイザーも務める妹尾昌俊さんは「9月入学をコロナ禍の中で進めるべきではない」と表明する一人だ。
「長引く休校と先行き不透明の中で、学習に遅れが生じ、保護者にも学校にも不安があるのは事実。しかし、保育園児から大学生まで一斉にヨーイドンでやり直す発想は、すでにオンライン教育を進めている学校もある中で、あまりに乱暴」
性急な判断に警鐘を鳴らす。
「⑴休校で遅れの生じた学習を(今年であっても来年であっても)9月新学期で全員がやり直すとなると、8月までの目の前の学習にモチベーションが下がるのは間違いない。⑵次に9月が新学期という制度改正には文部科学省、教育委員会、学校現場の多大なリソース(人手や時間)を割くことになる」
9月入学の検討に力を割くより「もっと子どものためになることはたくさんある」と妹尾さんは言う。
「例えば、少子化で余っている教室があれば、少人数教育に移行し、密を避けて感染リスクを避けた授業を行う(教員増が必要)。完全でなくても、オンラインのコミュニケーションを行う体制を今から作ることもできる」
休校期間にむき出しになった乏しいつながり
休校期間、学校と子供と保護者が繋がる手段は乏しい。
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その上で妹尾さんは、休校中の対応に保護者から悲鳴の上がる現実を指摘する。
「休校期間でむき出しになったのは、学校と子ども、保護者をつなぐ共有手段があまりにも細く、乏しいということ。オンラインでもネット以外でもいいから、学校からの子どもへの励ましや関わりが欲しかったという声は多いです」
妹尾さんが5月にインターネット上で小・中学生の保護者を対象に実施した調査(回答数551)では「休校中の課題・宿題に対してフォローアップがなかった。放置に近い」との回答がどの学年でも4〜5割に上った。
妹尾さんは「学校現場は予算もなく、ウェブ環境も非常にプリミティブな状態。決して先生たちばかりを責めるつもりはありません」とした上でこう示す。
「たとえ子どもたちのインターネット環境がすべてそろっていなかったとしても、ゼロか100かで考える必要はありません。オンラインで交流、ケアできる子にはして、それができない子たちには、ちょっとしたコメントを紙でやりとりしたり、少人数を対象に図書室や教室を開放したり。9月入学で一気に遅れを取り戻す以外にも、もっと手の打ちようはあるはずです」
コロナ休校で大人に問われていること
コロナでも災害でも学びを止めないために必要なのは、適切な介入や学び合いを実現する「つながりだ」と妹尾さんは言う。
「休校期間中、一斉配信メールと学級便りだけという状況も珍しくありません。一旦、対面授業ができない教室に来られないとなると、学びがストップしかねない。子どもたちを支援するコミュニケーションツールも方法も、あまりに脆弱と言うことが分かりました。
インターネット環境の整備、登校できなくても学ぶ機会を作るための先生たちのスキルアップなど、今からできることはあります」
コロナがもたらした休校による混乱は、教育行政にはびこる前例踏襲や事なかれ主義を、取っ払うべき最後のチャンスとも言える。
「学校が再開しても、夏休みの大幅短縮などをして、ともかく教科書を最後まで終わればいいという話ではありません。それはともすれば、子どもたちの学習意欲や好奇心をそぐことになりかねない。コロナのような非常事態は、社会がどう問題解決するかを、学ぶチャンスでもあります。問われているのは、わたしたち大人が、主体的に問題解決していけるかどうか。反面教師な部分もあるかもしれませんが、今般のコロナ対策や世界の状況なども教材にしながら、子どもたちも学んでいくのではないでしょうか」
多大なコストと教育現場への負荷を伴う「9月入学」よりも先に、やるべきことは山積している。
(文・滝川麻衣子)