1981年生まれ。東京大学在学中に村田早耶香、青木健太と「かものはしプロジェクト」を立ち上げ、2004年からカンボジアで「子どもが売られる問題」に取り組む。2012年からはインドでも事業を本格スタート。2019年国際協力NGOセンター理事長に就任。
撮影:伊藤圭
「周りからこれほど劇的に変わったリーダーを見たことがない」と言われる認定NPO法人「かものはしプロジェクト」理事長の本木恵介さん(38)。なぜ自らをそこまで変えることができたのか。28歳当時の自分に今かけたい言葉とは……。
僕が28歳の頃と言えば、ちょうどカンボジア事業に注力していた頃。同時に自分のリーダーとしての未熟さを知って、内省へと転換した頃です。その前後の体験については、これまでに述べてきたとおりです。
20代の頃の自分を振り返ると、“価値を出せる人間”になろうと必死だった気がします。
人から「すごい」と評価されるために勉強したり努力したりすることに意味があると思っていたし、周りにもそれを求めていました。
でも、それは今考えてみると、ひもじい生き方でした。価値を出せる人間にならなければと常に焦り、満たされることはなかったからです。
友達をつくるのも苦手で、誰かと楽しく過ごすのが難しかったのは、いつも評価を気にしていたからかもしれません。
一番感動しているのは自分の変化の発見
かものはしプロジェクトのメンバーたちと。
今の僕はずいぶんと変わりました。
例えば、何でもない週末に、友人たちを自宅に呼んで、僕の手料理(自動調理器で作った簡単料理ですが)を振る舞って、「ただそこにいる時間」を楽しむようになりました。
何一つ、背伸びせずに自分のままで、その時を楽しめるようになった自分に、ありがとうと言いたい気持ちです。
家族ができたこともきっと大きいですね。僕がいるだけで喜んでくれる子どもたちの存在に、どれだけ満たされたことか。
かものはしプロジェクトをやってきてよかったと思える理由はたくさんあります。重い体験を乗り越えたサバイバーが心の傷を癒やし、内なるエネルギーを開花させようとする瞬間に立ち会うと、心が震えます。サバイバーの補償を裁判で勝ち取れた時も最高にうれしいです。
でも、ひょっとしたら、一番感動しているのは、僕自身の変化を発見したときなのかもしれません。
それは、僕にとって、とても大切な確信につながるものだからです。
NPOの役割は突き詰めれば「愛」
一人ひとりがありのままでいながら、幸せになれる社会。これが、本当にやさしい社会。
そして、そんな社会をつくれる力が、人間にはあるという希望。
言葉にすると少し気恥ずかしいですが、僕はNPOやNGOができる役割は突き詰めれば「愛」だと思っています。
人が、人として大切にされる感覚を提供していく「愛」を育むことは、ビジネスや行政では難しいけれど、市民が集ったソーシャルセクターだからこそできることではないかと。
これを読んでくださっている皆さんの中にも、社会課題の解決に挑もうとしている人がいるはずです。ソーシャルセクターで働くことをごく自然に選択肢に入れる若い層が増えていると、日頃から感じています。
撮影:伊藤圭
それでも、立ちすくむことはあるでしょう。
知れば知るほど、問題の複雑さや困難さに愕然とし、登れそうと思ったはずの山が近づくほどに、とてつもない高さであることを知る。
しかし、「山の高さを知る」というのもまた確実な進歩であるはずです。山が高く見えるのは、それだけ自分の足を使って山へと近づいたということだから。
もっと言えば、その地点までたどり着く道を作ってくれたのは、無数の先人たちのおかげなのです。
先人たちがここまで連れてきてくれたのだと思えば、勇気が湧いてきませんか。そこから一歩ずつ踏み出して、道をつくり、後に続く人にバトンを渡していく。そうした大いなる連なりの一部であることに、僕は誇りを持っています。
(敬称略、完)
(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。