1981年生まれ。東京大学在学中に村田早耶香、青木健太と「かものはしプロジェクト」を立ち上げ、2004年からカンボジアで「子どもが売られる問題」に取り組む。2012年からはインドでも事業を本格スタート。2019年国際協力NGOセンター理事長に就任。
撮影:伊藤圭
「リーダーとしての成熟が、大きな挑戦だった」
かものはしプロジェクト理事長の本木恵介(38)は、苦悩の経験も交えながらそう語ってくれた。
そしてこのインタビューを実施した2020年春に、世界中を襲った新型コロナウイルス感染症という脅威は、かものはしプロジェクトが支援するインド事業にも多大なる影響を与えている。
インドでは、3月25日にモディ首相による全土封鎖、外出禁止令が発出され、解除の見通しはまだ立っていない。混沌と混乱の中で弱者の窮状はより深刻になると予想され、移動の規制から、かものはしプロジェクトがこれまで行ってきた活動のほとんどが中断を余儀なくされている。
かものはしプロジェクトは、現地の状況報告と今後の行動指針について、4月1日に緊急リリースを発表し、その後も最新情報を随時更新している。生活収入が絶たれるサバイバーへの緊急支援策として、月次給付金の支援を決めた。これらの活動はインド事業のディレクターである清水やパートナーNGO、サバイバーグループが話し合いながら自律的に決め、動いている。
“気持ちの共有”に時間をかける
インドのパートナーと団体のスタッフと。リーダーとしての成熟は、パートナーとの関係も変えた。
撮影:Siddhartha Hajra
同時に「急ぐことにこだわらない」という逆の姿勢も見せる。
「感染拡大のニュースが続く中で、うちの役員からも『もっと迅速に動いたほうがいい』というプレッシャーもありました。
でも、僕はまずは、自分たちの不安に適応することが大事だと思ったんです。怖い、悲しいといったネガティブな気持ちを個々が受け止めた上で、お互いに出し合う。
組織の意思決定の場はすぐにソリューションの議論に進みやすいのですが、本当は“気持ちの共有”に時間をかけたほうがいい。『世界がどうなってしまうのか、怖い』『僕も怖い。これから先、もっと不安になって、疑心暗鬼になるかもしれないよね』とお互いにすべてをさらけ出す。
そのステップを踏んでようやく、包み隠さずいろんな問題やアイディア、可能性を探求しやすくなる」
緊急事態の時にこそ心理的安全性の担保を重視するというスタンスだ。
実際に、3月半ばに開いた緊急理事会では、1時間半かけてメンバー全員の「不安のカミングアウト」を共有。さらに、「過去に乗り越えた個人的な危機体験」についても語り合った。
コロナ禍で増える虐待やDVへも対応
カンボジアのファクトリーは、NPOとして独立した。
提供:かものはしプロジェクト
どんな問題も解決できる“人類の力”や“社会の力”を、本木は信じる。同時に、冷静に今後のシナリオを描いている。
「移動制限の期間には、人身売買は一時的に減ります。しかし、閉鎖的な家庭空間の中で児童虐待やDVが増えるリスクは高まり、コロナが収束した後の社会では、経済優先政策の中で人身売買の被害は悪化すると予測しています。
その時に手を打つための準備を進めているところです。人の尊厳を守ることができる社会システム全体を育てるという意味で、僕たちの活動の本筋は何も変わらないです」
一方で、雑貨を制作・販売する事業で雇用を増やし、成長してきたカンボジアの拠点(2018年からNPOとして独立)では、仕事の提供がストップし、工房で働く村の女性たちは一時的な休業状態となっている。
閉鎖や倒産もあり得る状況だが、本木は悲観していない。
「工房を開けられないのは悲しいことだけれど、青木をはじめとするカンボジアのスタッフがやってきた仕事の本質というのは、貧しい人に雇用という形でお金を支給することではない。
雇用を通じて周りの人とコミュニケーションを取りながら、自分の力で問題解決していく“生きる力”を身につけてもらうこと。今回のコロナのような危機の下でこそ、発揮される力であるはず。みんなが現場で汗を流してやってきた仕事が本当に意味があったことなのか、今、問われている。
そう話したら、現地のカンボジア人マネジャーが『確かにそうだ。5年前から働く村の女性は、見違えるほど頼もしく成長した』と笑顔を見せてくれました」
未曾有の危機に対しても、等身大かつ冷静なリーダーシップが光る。
肩の力を抜いて生きることが大切
©Natsuki Yasuda / Dialogue for People
本木はそもそも「リーダー」というものを、どのような存在として捉えているのだろうか。そう問うと、本木はちょっと困ったような表情になった。
「正直、リーダーになるのは面倒臭いです。“理想のリーダー像”とかを考えること自体が大変だし……。
娘が生まれ、育てるプロセスの中で父親になっていくのと同じように、たくさんの人ともに道を歩む過程でリーダーになるのかもしれません。それぐらい大変で、でも肩の力を抜いて日々を生きることが大切なのかもしれないなあと、最近、よく思います」
かものはしプロジェクトを共同代表体制になったのは、設立2年後の2004年からのことだ。
設立した当初は、児童買春問題解消というテーマを持ち込んだ村田早耶香が1人で代表を務める体制で、本木と青木健太は副代表という立場だった。
しかし、具体的な準備を進める中でさまざまな問題と対峙し、その重圧に耐えきれなくなった村田は、ある日、居酒屋に本木と青木を呼び出した。
「私は力不足で代表失格です。降りさせてほしい」と泣いて頭を下げる村田を見て、本木は「そんなにつらいのなら、僕たちも一緒にそのつらさを担っていくべきだ」と考えたという。さらに時を経て2016年に本木は理事長に就いた。
これほど劇的に変化したリーダーを知らない
1年前、国際協力NGOセンター(JANIC)の新代表に就任した時も、「組織として難しい状況だし、自分にできることがあるのなら」と、どちらかというと受け身の姿勢だった。結果的に、前代表の30歳近い若返りとなって「世代交代」とも注目されたが、本木はその表現はピンと来ないという。
「20代から60代まで多世代構成の経営体制になった、という表現のほうが正しいと思います。価値観の違いを乗り越えて、一緒に協力していこうと新しいエネルギーが生まれようとしている。その中にいられることがとても幸せです」
と、本木は控えめに語るが、この時の理事会の場に同席していたクロスフィールズ代表理事の小沼大地(38)は「歴史の1ページを自らの手でめくる本木さんを見た」と証言する。
「経験の長さが評価や信頼に結びつきやすいNGO・NPOの世界で、30代のリーダーがトップにつくのは異例中の異例のこと。重鎮と呼ばれる諸先輩方の後押しを得て、決して受け身では起こせない変化を、彼自身の力で起こしたのだと感じました」
小沼もまた、本木のリーダーシップの変遷を目撃していた1人だ。
忘れもしない14年前だった。小沼が青年海外協力隊から戻ってマッキンゼーに内定が決まった頃、初めて会った本木からいきなり言われた。
「君の弱みは何なの?」
隙を見せないような凄味のある人だったと小沼は振り返る。
それが数年後、本木がインド事業を始める頃に日本で会ったときには、まるで世捨て人の哲学者のような空気をまとっていて。“自我”を一切消した話し方になっていたので驚いたという。
「さらに10年ほど経った今は、周りと協調しながら“自分にしか果たせない役割”を全うしようという静かな積極性を備えている。これほどまで劇的な変化を遂げたリーダーを、僕は見たことがありません」
かつて「君の弱みは?」と小沼に迫った本木は、今はどんな言葉を使うようになったのかと、小沼に聞いてみた。
「難しいテーマに直面した時に、“心の内面”について聞かれることが増えました。『今はどういう気持ち?』『僕は少し悲しいんだけれど、大地はどう感じている?』というふうに。これからの時代に求められるオーセンティック・リーダーシップの手本のような人です」
オーセンティックとは「ありのまま」「本物で信頼できる」といった意味だ。本木は、日本のソーシャルセクターの新たな流れをつくる一滴にもなろうとしている。
(敬称略、明日に続く)
(文・宮本恵理子、写真・伊藤圭)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。