新型コロナウイルスの感染拡大もピークアウトの雰囲気が出始めてきて、企業からは「日本型の保守的な姿勢があったから何とかなった」といった声もちらほら聞こえてくるが……。
撮影:竹井俊晴
全国に出された緊急事態宣言は5月20日現在、東京を含む9都道府県でいまだ解除されるに至っていない。しかし、感染者数のピークアウトが見えてきたこともあり、ひと頃に比べて「次」を模索する論調が増えてきたように感じる。
筆者も「アフターコロナの経済・金融情勢はどうなるのか」という照会を多くいただくようになってきた。もちろん、その問いに答えるのは非常に難しい。
国際通貨基金(IMF)ですら、定期公表している「世界経済見通し」のフルバージョン公表を控えるほどの複雑怪奇な経済情勢であり、シナリオを決め打ちするのは適切ではない。ただ、現在入手可能な情報をもとに、合理的に主張できそうな経済・金融動向の未来はある。
「お金を使わない正義」が肯定される時代に
緊急事態措置のもとで人足の少ない大阪。経済活動のアクセルを踏むにはまだまだリスクのハードルが高い。
Carl Court/Getty Images
結論から言えば、アフターコロナの経済・金融情勢は「お金を使わない正義」が跋扈(ばっこ)するのではないかと、筆者は危惧している。
感染の第2波、第3波が懸念される中、はたして家計や企業といった民間部門の消費・投資意欲はもとに戻るものだろうか。ワクチンが開発され、新型コロナ感染症(COVID-19)が「ふつうの風邪」になるまで、経済活動がアクセルを踏むのは難しいのではないか。
成長をけん引するのは、あくまで民間部門の消費・投資意欲であるべきだ。しかし、当面はそれが難しいように思えてならない。
明るい展望がないのに、経済成長のために自腹を切って消費・投資をする人はいないだろう。
その点、これまでの日本の企業行動を正当化する流れになるかもしれない。
日本企業は「内部留保をため込み過ぎ」と批判されてきた。2012年以降、政府と日銀はアベノミクスの名のもと、なりふり構わず景気刺激に勤(いそ)しんできたが、内部留保は積み上がる一方で、賃金の引き上げに回されることはついになかった。
日本企業に根づく行動規範はそれほどまでに強固なものだったのだ。
しかし、今回のコロナショックによって、むしろ「そうした保守的な姿勢(あるいは行動規範)があったから助かった」という成功体験が語られやすくなる可能性もある。
決して適切な考えだと言うつもりはないが、悪とされてきた「内部留保の蓄積」がアフターコロナの世界で正義と見なされるような変化がないか、注目しておきたい。
それはつまり、「お金を使わない正義が肯定される」世界の到来だからである。
世界も日本のような「貯蓄過剰」社会に
こうした問題は、経済分析の世界では「貯蓄・投資バランス」という計数から議論されることが多い。
貯蓄・投資バランス……Investment/Savingの頭文字から「ISバランス」とも呼ばれる。一国における各経済部門(家計・企業・政府・海外)の最終的な資金過不足(貯蓄と投資の差額)を示すもので、国内3部門(家計・企業・政府)の貯蓄過不足の合計は、海外部門の貯蓄過不足(=経常収支)と一致するようになっている。
日本の「失われた20年」を振り返ると、後述するように、民間部門(家計・企業)の貯蓄過剰を、政府部門が借り入れる構図が続いてきた。リーマンショック後は、ユーロ圏でもこの兆候が強まっており、それに伴って物価の趨勢が衰え、金利も成長率も緩やかにしか動かなくなった。
アメリカでも、リーマンショック後は家計部門が貯蓄過剰に陥っている。それまで長らく貯蓄不足だったことを思えば大きな変化だ。
企業部門は何とか投資過剰を維持して実体経済を支えているものの、感染の第2波、第3波が不安視されるなかで、はたして積極的な消費・投資行動を取り続けることができるだろうか。
真っ当に考えれば、企業は「完全終息まで力を温存」という判断になるのではないか。
いずれにせよ、アメリカも民間部門(家計・企業)を総じてみればやはり貯蓄過剰であって、結局、もはや日・米・欧の三極ともその状態に陥っていることがわかる【図表1】。
【図表1】日米欧の民間部門の貯蓄・投資(IS)バランス。4四半期平均で計算した「民間企業部門+家計部門」の対名目GDP比を合計している。
出典:Macrobond資料より筆者作成
マクロで見ると、貯蓄過剰が常態化する世界では金利は下がる。貯蓄がたくさんあるので、消費・投資のための資金需要は減り、それに応じて金利が低下するのは当然のことだ。
それを踏まえると、アメリカやイギリスでマイナス金利が導入されるとの観測が浮上していることに、まったく根拠がないわけではない。
これまで日本を中心に指摘されてきた「お金を使わない正義」が、こうして世界でまかり通るようになれば、必然的に世界の成長率は鈍化することになる。
「身代わり地蔵」としての中央銀行
各国政府が巨額の財政出動を決めているが、それで失われた民間需要を埋められるかは不透明だ(写真はイメージです)。
Spencer Platt/Getty Images
当然だが、民間部門が貯蓄過剰のままでは経済は縮小するしかない。そうならないように、政府部門は民間部門の貯蓄を借り入れて、実体経済を支えるわけだ。
さまざまなメディアが報じているように、各国とも巨額の財政出動に積極姿勢を示しており、その額は全世界で8兆ドル(約864兆円)にものぼるとされている。
前節で示したISバランスの話に置き換えれば、世界の民間部門が手控えた消費・投資を、この8兆ドルでどれほど埋められるかが問われている局面ということになる。
それにしても、これほど大規模な財政出動を、民間部門の貯蓄からの借り入れだけでまかない切れるのか。
結論として、そのことはおそらく大きな問題にはならないだろう。というのも、仮にまかない切れなくて、それにより金利が上昇して実体経済が困るようなことがあったとしても、中央銀行がすぐさま国債の購入に踏み切るからだ。
政策判断の正否はさておき、それが昨今の標準的な対応になっていることはもはや誰も否定できない。
そんなわけで、アフターコロナの世界で、少なくとも先進国が持続的な「悪い」金利上昇に困窮する可能性は低いと筆者は考えている(くり返しになるが、金融政策の正否はここで議論するつもりはない)。
だが、それは中央銀行が金利上昇を防ぐために「身代わり地蔵」の役目を果たしただけに過ぎない。
「中銀バランスシートの健全性」と「通貨の信認」の関係
国債大量買い入れが中央銀行のバランスシートの健全性にもたらす影響、さらにそれが通貨の信認を毀損するかどうか、金融市場には不透明なことも多い。写真は2019年春に開催されたG20 財務大臣・中央銀行総裁会議での公式カット。
Stephen Jaffe/IMF via Getty Images
金利上昇を防ぐ「身代わり地蔵」になるのはいいとして、そのための国債買い入れによって中央銀行のバランスシートが膨らみ、健全性が失われるとすれば大きな問題である。さらに、その健全性の問題が「通貨の信認」にどう影響してくるのかも気になるところだ。
しかし筆者としては、中央銀行のバランスシートの健全性と通貨の信認は、一直線でつながるとは限らないと考えている。
例えば、スイス国立銀行(SNB)はかつて自国の通貨高を止めるために、多額の為替差損を被って債務超過の疑いが強まったことがある。また、ドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)も1970年代に通貨高によって外貨準備が減少し、債務超過に陥った。
このように、通貨の信認を強く求めたことで債務超過に陥った例があるのだから、中央銀行が多額の国債を買うことが、すなわちバランスシートの健全性を損ねるという話にはならないだろう。
仮に健全性を損ねたとしてもそれがただちに通貨の信認を棄損し、自国通貨の下落に直結するとも言えない。
とはいえ、金融市場、とりわけ為替相場はフェアバリュー(=適正、公正な価格)がない世界だ。その直情的な性格を踏まえれば、中央銀行のバランスシートの健全性と通貨の信認の関係性に突如として関心が移る可能性は否定できない。
そうなった場合、主要国で唯一GDPを超える規模まで膨張したバランスシートを抱える日銀、その司る円は槍玉に上がりやすい面もある【図表2】。
こうしたシナリオをメインとするつもりはないが、念頭に置いておく必要はあるだろう。
【図表2】日米欧の中央銀行の総資産比較(対名目GDP)。直近4カ月分のバランスシートを使用、日米欧それぞれ4月20日前後、GDPは2019年。
出典:Macrobond、IMF資料より筆者作成
いずれにせよ、本稿で強調したいのは、アフターコロナの世界において「お金を使わない正義」が幅を利かせ、それがマクロ経済のさまざまな面において悪さをする可能性があるという点だ。
自粛思考が行き過ぎて、社会的に問題のある行動が散発的に報じられているミクロの現状を見ると、マクロの将来においても、そのようなことが起きるのではないかと暗澹たる気持ちになってしまう。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。