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ニューノーマル時代のテクノロジーをテーマにした後編。京都芸術大学でも教鞭をとる小笠原治さんだからこそ語れるオンライン教育の現状と将来から始まり、話はこの変化をどう捉えるかによってテクノロジーへの向き合い方も違ってくる、と話は進んでいった。
小笠原さん。背景画像は六本木などで自身が手掛けるスタンディングバー「awabar」の店内。同店は5月25日に、VR SNRのambr内にVR店舗「awabar .vr」をオープンする。
提供:小笠原さん
——小笠原さんは京都芸術大学で教鞭もとってらっしゃいます。オンライン教育をどう進めていくのか、いま小中高大、あらゆる学校の課題です。一部の大学では、学生たちから施設を使っていないのだから学費の返金を訴える声も上がっています(注:京都芸術大学は4月23日に、施設・設備費の一部返還の実施を発表している)。
いまいまは難しい問題ですが、これって本質的には、何が「本来あるべき状態」なのか、というある種の「満足感」の話だと思っていて。僕の投資先で、リモート環境でもそこに存在する「雰囲気」を伝える技術を作ろうとしているtonariというスタートアップがありますが、こうした将来のテクノロジーに行き着くまでの間に、先に「新しい満足感」生まれる気がしてるんですよ。
東京大学の川原圭博先生もおっしゃってましたが、普段なら大学の講義で前列に座らないと見えなかったものまで、オンライン学習なら見せてもらえるわけです。
例えば、学校に行って誰しも全部の授業を真面目に受けていたわけじゃないという実態のなかで、学生側も意識的に授業への向き合い方が少し変わってきたような感触が現時点でもある、とおっしゃってます。
一方で、オンライン化では解決できない課題もあります。
例えば京都芸術大学で言うと、自宅では創れないような大きな制作物や、ダンスの授業もあります。そういう意味では、絶対に「場」が必要なことと、そうではない事柄が、いま急速に選別されてきてると思います。
——近頃言及する人が増えてきた「オフィス不要論」にも通じるものがありますね。オフィスが不要なのではなく、「オフィスでもオンラインでもよかった機能」の選別が進んでいる、とも考えられます。
はい。これによって何が起こるかというと、「リアルの場の価値観」というものが、より正しく認識されていくはずなんですよ。そして、リアルの場の価値が上がっていく。それが新しい満足感が浸透していくための助走になるんじゃないかな、と思ってます。
——教室やキャンパスの「場」の価値が変わると、授業の方法も変わりますか?
そう思います。例えば先ほどのダンスの授業だと、例えば50人の生徒対1人の先生だとしたら、生徒の動きを見ながら、俗人的に「この子いいな、逆にこの子は指導しないとな」とやってきたわけです。
でも、カメラ越しだと、テクノロジーが介入する余地がありますよね。骨格推定の技術などを使って、動きが解離している生徒をピックアップして、先生がちゃんと教えてあげるとか。あるいは声をかけるのはもっと適切なタイミングがあるとか、そういう指導方法の改善もあるかもしれない。
オンライン教育の遅れも白日のもとに晒された日本。大切なのは「学びを止めなくても良い仕組み」だと小笠原さん。
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——日本のオンライン教育はいま各教育機関が試行錯誤をしている最中です。今、どういう優先順位で話が進んでいますか?
直近で大切なことは、とにかく「学びを止めなくても良い仕組み」を浸透させることです。幸い、京都芸術大学の僕のコースでは2年前から、グーグルの「G Suite」とSlack、Zoomは入れていました、だから、今回のオンライン授業化に関しても、実はそれを全学に広げるだけよかったんです。教員・学生全員をG Suiteのプロアカウントにしました。
京都芸術大学の場合、入学時にパソコンはほぼ全員買うので、特に環境に困ることがなかったのも幸いでした。
オンライン授業に使える配信スタジオを今つくってますが、登校する学生が少ないので、緊急事態宣言解除後は、教員が教室から配信しても良い、ということになってます。
2020年度下期についてまだ決まりきってないですが、オンラインの授業とリアルの授業をうまく併用していく形を目指すはずです。
この備えがあれば、仮に今後何度か感染症が広がる局面が来たとしても、「それでは実技を伴う授業は、このコマと組み換えて進めましょう」とやるだけです。
「とにかく学びを止めなくて良いように」それだけは、絶対にしようと職員たちで話し合っています。
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最近思うんですが、ニューノーマルへの変化を良いと捉えるか、嫌なこと、純粋な危機だととらえるかは見方次第です。例えば、従来、日本の賃貸住宅の空室率って2033年に30%だって言われてました。
重要なのは、「日本全体が空室率30%」なのではなくて、都心部は1桁台、地方は50%みたいな話で、非常に危機感のあるテーマだったはずです。
でも、この数カ月で急にオンライン前提社会になってしまった。
例えば1年の半分は実家で授業が受けられて、制作が必要なら大学に行く、となると住宅事情もまったく変わりませんか。これは企業に出勤する社会人に関しても、近いものがあります。
「嫌なことを、良いことに変える」「今ある資産をうまく使って、先端的な課題解決をする」こういうことを可能にするのが、テクノロジーの役目……そう思うと、テクノロジー企業が世の中に対してできることは山ほどあります。
大きな変化を目の前にしている日本の社会。ニューノーマルを受け入れていくのに大切なこととは?
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——日本の社会はどのように変わっていくんでしょう。いきなり全部が変わるのは到底無理にしても、1割変わる程度じゃダメだろうとも思います。変化していくためには、「変化の仕方のイメージ」も大事じゃないですか。
僕も考えながら走ってるので漠然とした実感ですが、この危機的な状況の中で、全体の3割くらいがまず変わる、それが受け入れられたらあと2割くらいが付いてきてくれて、そうすると全体の5割くらいが比較的早く変わる。
そうすると、いろいろな基盤がニューノーマルの状態になって、それがだんだん広がる、みたいな風景じゃないでしょうか。
つまり、世の中3割変わっただけでも、すごく大きな変化の土台だということです。
過去の反省もこめて取りこぼしてはいけないと思うのは、ガラケーからスマホへのシフトの時のことです。やっぱり日本はスマホがすごく遅れたじゃないですか(初代iPhoneの世界発売が2007年、ソニーの初代Android版Xperiaが国内登場したのは2010年)。
結果として、高齢者の方やキッズ携帯は、ずっとガラケーの時代が続いてしまいました。
——このタイミングで取りこぼすと、あとあと引きずるかもしれない、と。
一気に3割が変われば、5割くらいも早く動く。仮に5割がニューノーマルに変わったら、7割、8割変わるかもしれない。だから、その「新しい規範」をいかに魅力的なものにするかが必要だと思ってます。
——すごく回答が難しい質問かもしれないですが、「ニューノーマルの時代」にテクノロジーはどんな価値をもつでしょうか?
そうですね(笑)。これまで、テクノロジーというのは、極論すれば一部の人だけが使いこなしていた。それが(流行り言葉でいえば)「民主化」されて、あとから考えたら「なんで昔、テクノロジーと聞いてそんな苦手そうにしてたんだろう」という感覚に、ニューノーマルの世界ではなるんじゃないかって。
テクノロジーが今、なぜ非常に重要なのかというと、……僕の私見ですが……今後世界はなめらかな鎖国状態になっていくんじゃないか、と思ってるんですよ。つまり、普段は普通にやりとりしているけど、(感染の再拡大など)ある状況が発生したら、交流をガツンと停止させる。それでも持続性を持っている柔軟な社会は、テクノロジーベースじゃないと実現できません。
問題は、緩やかな鎖国とグローバルの交流を共存させる必要があること。全部を実現させるテクノロジーは、まだどこも作っていません。こういった世界の土台となるような、「変化前提の社会」を実現するためのテクノロジーが、今後いくつか出るんじゃないかなと思っています。
「変化前提の社会」と向き合うために、よりコミュニケーションがカギになるという。
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——「変化前提の社会」というのは1つのキーワードですね。単に継続を前提とした積み上げと信頼で発展していくのとは違う、停止・再開を容認していく社会。
そうなると結局、(既に気づいている人も多いとおり)ニューノーマル社会の問題は、「リレーション」と「コミュニケーション」がカギになってくるはずです。職場だろうが、教育の現場だろうが、国際間の交流だろうが。
そのとき、先ほどの世界共通の標準的な土台のテクノロジーと、加えて例えば自国内だけで進化する、「各国の文化に寄り添ったテクノロジー」というのが、それぞれの地域で独自に発展していくのかもしれない。
本当にそうなったとして……まだ僕の想像でしかありませんが……この状況って、いま日本がずっと「ガラバゴス」だって言われていたような状況と、かなり近いような気がしませんか。
——ある種、全世界が一部ずつ「ガラパゴス化」していくとも言えるのかも。実は日本にとっては、得意な社会になっていく、という見方もありますね。
そう考えれば、日本は自信を持って、どんどん独自進化していっていいんです。もともと細かな改善をしていくのは得意なんだから、その得意なことでもっとガラパゴスになっていい。
——「変化前提の社会」と「世の中を支えるインフラ技術」聞いて思い出すのは、インターネットです。
10年周期でテクノロジーには大きな「発明」がある、という説を起業家の知り合いたちと時々するんですけど、それによると1990年代の発明は「インターネット」、2000年代は「検索」、2010年代は「AI」かもしれない。
2020年代が何の時代になるのか、まだわかりません。ネットの上で動く「アプリ」や「サービス」は、まだ人によってはハードルがあるものが、インターネットと同じ水準まで「空気のようになる」のかもしれない。
「変化前提の社会」をキーワードに、次の発明ができてくる、と考えると腹落ちするところがあります。
僕はインターネットで1番好きなのは、「インター」って言う部分なんです。テクノロジーとテクノロジーがインターになっていくことで、みんなにとっても当たり前になっていく。
よく、ファンタジー小説とかで魔法が当たり前にある世界観ってあるじゃないですか。あの魔法のように受け入れられるのが、現代のテクノロジーっていうそんな感覚です。
—— SF作家のアーサー・C・クラークは、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と言ってましたね。
何より、テクノロジーの進歩って止まらないし、止めないじゃないですか。という事は、動き続けるのと同時に、常に変化し続けてるんですよね。
——そういう意味でも、変化前提の社会には、テクノロジーは欠かせない道具になる、と。
ニューノーマルを考えるにあたっては、変化前提社会と、「新しい制限の中での思考」というのが非常に大事です。
制限の中の様式美だったり、それをより良くしようという考え方って、日本の文化圏が得意とすることだと思うんです。
例えば、俳句は五・七・五の制限があるからこそ美しい。
でも、俳句の持つ雰囲気を英語でうまく人に伝えようと思うと、半端ではない知識と労力が必要。そうして考えると知識のうまい組み合わせって、つまり技術(テクノロジー)のことじゃないですか。
そのテクノロジーを生かすには、一定の制限が必要で。その制限が、今だと在宅とかオンライン前提とかって言うことなんだろうと。
もちろん、答えを探すのは難しいです。誰しも預言者ではないから。
みんな今、走りながら考えてます。ニューノーマルに向かうこの時期は、とにかく問いを立て続けることです。新たな制限と、変化の仮説を立てる。そして、いろいろな能力とテクノロジーをもつ企業や個人が集まって、力を合わせて答えを見つけ出していくんです。
提供:小笠原さん
(聞き手、構成・伊藤有)
小笠原治:1971年京都市生まれ。さくらインターネットの共同ファウンダーを経て、ネット系事業会社の代表を歴任。2013年、ABBALabとしてIoTスタートアップのプロトタイピングに特化した投資事業を開始。2014年にはDMM.make AKIBAを設立。2017年、京都芸術大学教授、mercari R4Dのシニア・フェローに就任。内閣府SIP構造化チーム 委員、経済産業省データポータビリティに関する検討会委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ理事なども務める。