撮影:今村拓馬、イラスト: Devita ayu Silvianingtyas / Getty Images
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。コロナウイルスがもたらしたパラダイムシフトによって不確実性がさらに高まった今、私たちはこれまで以上に「正解がない中でも意思決定するために、考え続ける」必要があります。
経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。「普遍性、汎用性、納得性のある世界標準の経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも参加してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
今回も経営理論を思考の軸に、緊急企画「ウィズコロナ・アフターコロナの時代にビジネスや生活はどう変わるか」を考えていきます。この議論はラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:15分27秒)※クリックすると音声が流れます
こんにちは、入山です。
前々回、前回に引き続き、今回もアフターコロナの時代のビジネスや生き方について、経営理論を「思考の軸」として考えていきましょう。僕の話が「正解」というわけではないのですが、みなさんがご自身なりの考えを広げ、深める一助になれば幸いです。
さて、ちょうど読者の方から、こんなご質問をいただきました。
経営学的には「都市化」は止まらない…はずだった
みんみんさん、ありがとうございます。重要なご指摘ですね。官僚にとって不都合かどうかはわかりませんが、僕も今回のコロナ危機は東京一極集中を見直す契機になりうると思います。
この連載の第9回で、「コロナ危機には社会の課題を強制的に解消するプラスの面もある」という話をしました。
例えばオンラインを活用したテレワークとかオンライン教育の推進など、コロナ前の平常時には「必要」と言われながら後回しにされていた課題が、このコロナ危機でいま一斉に実用化されつつあります。東京一極集中の問題も、これと似た課題のひとつだと言えるでしょう。
実を言うと、僕はこの東京一極集中の問題について、コロナ危機前までは「少なくとも経営理論的には、東京一極集中の流れは止まりません」と言っていました。
なにしろ都市に人が集まる「都市化」の流れは世界的に見ても加速する一方でした。日本でも、実は人口が増えているのは東京だけ。他県は人口減少が止まらない。東京一極集中は問題視されているにもかかわらず、むしろ進行していたのです。
都市化が止まらない理由はいろいろありますが、僕が経営理論を使って説明するなら、至ってシンプルなものになります。つまり都市にいると、いろいろな人と会うことができて、そこでしか手に入らない情報があるから。人と人が直接会うメリットというのは、結構大きいのです。そのひとつが、人と直接会うことでしか得られない知識・情報があることです。
人や情報へのアクセスのしやすさは大都市ならでは。そのメリットを求めて人々が都市部へ移動する流れは止められない、とこれまでは考えられてきたが……。
Getty Images
経営学的に言うと、知識には2種類あります。1つは「形式知」と言って、言語化できる知識。これは文章にできるので、直接会わなくても本やインターネットで読めば得られる知識です。
しかし実際のビジネスは、それだけでは動きません。それどころか、文章にできる情報は、逆に言えば誰にでも手に入れられる情報なので、相対的に価値が低くなります。実際、インターネットの普及により、世界中で誰でも同じ形式知は手に入るようになりました。
ただ、逆に言えば、それは誰にでも手に入るから価値がないのであり、ここに「人が集まって、通常では手に入らない知識・情報を仕入れる」価値が相対的に高まるのです。
すなわちネット時代のこれからのビジネスの勝負を決めるのは、もう1つの、うまく言葉にできない知識のほうだと、経営学的には考えられます。これを「インフォーマルな知」「暗黙知」などと言います。
例えば、何度も直接食事をした上で信頼関係を築いてから、「俺とおまえの間柄だから、こんなこと言えるんだぜ」というような情報がそれです。
「俺の会社、ちょっとやばいんだよ」とか「俺、あいつを採用しようと思ってるんだ」とか、「あいつ、会社を辞めるらしいよ」というようなインフォーマルな情報は、絶対にネットには出てこない。信頼関係がなければ打ち明けられないし、「俺の本音は顔を見て察してくれよ」というような暗黙知の側面があるので、対面でないと言いにくい。
ネット全盛の時代だからこそ、検索しても出てこないこのような知見や情報が価値を持つのです。
ですから人と直接会うことにはやはり価値がある。だからこそ日本では東京に人が集積するわけです。アメリカのシリコンバレーとかベイエリア地区も、あれほど地価が上がっているのに、今も大勢の人が集まっている(少なくともコロナ危機前までは)。だから僕も、東京一極集中の流れは止まらないだろうと見ていたのです。
これからは「2拠点生活」が進む
過密な人口、在宅勤務には不向きな住宅事情……コロナ禍は大都市のリスクを改めて顕在化させた。
Unsplash
しかし今回のコロナ危機で、人口の集中する都市の危険性が浮き彫りになりました。加えて浮かび上がったのが、大都市の住宅事情です。僕だけでなく、多くの方々も含めて外出自粛生活を送ったことで分かったのは、東京の家は狭く、個室も少なく、家族全員が長期間自宅で過ごすことを前提として設計されていないということでした。
僕は普段から家で仕事をするため、小さいながらも書斎があります。ところが僕の奥さんも在宅勤務になったので、僕と同じ書斎で仕事をするようになった。
僕が1人で使う分には悠々自適だったけれど、もう1人増えると狭いし、しかも向こうはいろいろな人と電話で打ち合わせをする仕事です。その会話が聞こえてくると、僕は仕事に集中できない。結局、僕がノートパソコンを持って、ダイニングに移動することになりました。「家庭内領土紛争」に敗れたわけです(笑)。
おそらくこのような家庭は、我が家だけではないと思います。同じダイニングテーブルで夫と妻が向かい合って仕事をしていて、お互いにZoom会議の時間が重なってしまうと、うるさくて仕方がないという話も聞きました。
つまり都心の住環境は、在宅勤務をするようにはできていないのです。これからリモートワークが増えるとするならば、家賃が高い東京を避け、都心から多少遠くても広い家で暮らそうと思う人も多いことでしょう。しかし東京をはじめとする都市の魅力には捨てがたいものがある。
そこで僕が予測するのは、地方にもう1カ所、自分の拠点を持つ人が増えるのではないかということです。僕の周りでもコロナ前から、「平日は東京のウィークリーマンションから都心の会社に通い、週末は海や山の近くにあるもう1軒の家で家族と過ごす」という複数拠点生活を送る人の話をよく聞いていました。
都市部の他にもう1拠点を持ち、柔軟に行き来する。そんな新しいライフスタイルを選ぶ人が徐々に増えてきた。
Shutterstock
最近、「関係人口」という言葉を耳にするようになりました。これは定住人口ではなく、例えばふるさと納税をしたことがある、というようにその土地になんらかの関係を持つ人の数を表すものです。この関係人口がこれからは急増する可能性があると思います。
その時に問題になるのが、もうひとつの家がある地方の社会インフラです。
2020年3月末に、軽井沢の隣の佐久市の柳田清二市長が、「首都圏から長野への人の移動が増えているが、首都圏の人は自宅で過ごしてほしい」というような発言をされました。
実は僕の親戚が軽井沢に拠点を持っているので、僕もたまに行くのですが、軽井沢には昔から別荘を構える人が多い。そういう人は、今回のように東京が危険だということになれば、当面の間は軽井沢で生活することを選びます。そのためいま軽井沢では急に人が増えてしまい、地元のスーパーが大混雑してしまっている。
医療機関の問題もあります。万が一コロナの感染者が出てしまったら、軽井沢には病院がないので、佐久の病院に行くしかない。でも佐久もそれほどたくさんの病院があるわけではないし、病床数も少ない。
今までの都市のインフラは、居住人口に合わせたインフラでした。しかし今後、関係人口が増えれば、片方の土地に何かあった時、もう一方に人がワッと押し寄せて、社会インフラが耐えきれなくなる可能性があるのです。
それを解決するひとつの方法は、地域間連携でしょう。今回のように佐久だけでは病床が足りないのであれば、佐久周辺のいろいろな地域が連携して、「うちもベッドを貸すよ」とか「うちのスーパーにも人が来るように誘導するよ」と、インフラを融通し合うことが求められる。そのためにも地方の行政能力が、より問われる時代になるのではないでしょうか。
コロナ危機で露呈したリーダーの力量
「今回のコロナ危機は、大きな社会実験のようなもの」と語る入山先生。
撮影:今村拓馬
行政能力が問われるといえば、今回のコロナ危機で、都道府県や市町村まで、各自治体の首長の力量が図らずも露呈してしまったところがありますよね。「この自治体・この首長はすごいな」とか「この人、鈍いな」ということが如実に分かってしまった印象です。
前回、「ウイルスという人類共通の敵に対して、国と国との信頼関係が重要だ」という話をしましたが、一方でわれわれ市民と政府の信頼関係も、より重要な時代になってきています。
中国のように政府が国民全員のデータを捕捉し、誰がどこで何をしたかを監視して感染をコントロールするのもひとつのやり方ですが、民主主義ではそんなことはできません。
民主主義のもとでは、われわれ1人ひとりが責任をもって行動の意思決定をしないといけない。そのために必要になるのは情報であり、今回のような場合、どこが情報を出してくれるかというと、それは政府や自治体です。いかにクリーンで速報性があり、分かりやすい情報を出してもらえるかが重要になります。
その意味で、台湾は素晴らしいと思いました。デジタル担当大臣のオードリー・タン氏が、情報の重要性をよく理解して的確な施策を実行している。日本の政府や自治体も、単純に「こう決めました」と伝えるだけでなく、その背景にあるデータと、その決断を下すに至ったストーリーをきちんと伝えてくれるといいと思います。
今回のコロナ危機は、大きな社会実験のようなものかもしれません。いろいろなことを考える契機になったという意味では、得がたい体験をしているとも言えます。
【音声版フルバージョン】(再生時間:27分40秒)※クリックすると音声が流れます
回答フォームが表示されない場合はこちら
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。