氷河期世代・東大卒タクシードライバーがみる「コロナで死んだ街」東京に残る希望

タクシー

緊急事態宣言が発令された4月7日の前夜には、タクシーの顧客は大きな荷物を持ったサラリーマンでいっぱいだった。

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新宿区にある大きなオフィスビルの前で、スーツ姿の男性が大声でタクシーを呼び込んでいる。台数を確保するのに苦戦しているようであった。少し待っていると、大きなデスクトップPCとモニターを台車に乗せた人が次々と出てきた。

どうやら明日からは完全にリモートワークへと移行するようだ。お客様を自宅まで運んではオフィスビルに戻るのを何度か繰り返したところ、なかなかの売り上げになった。しかし、喜んでばかりはいられない。

明日からの新宿はさらに人がいなくなるからだ ——。それは緊急事態宣言が出た4月7日から数日経った頃であった。

繁華街はゴーストタウン

歌舞伎町

緊急事態宣言が出てから、都内の繁華街は閑散としていた。

撮影:竹井俊晴

緊急事態宣言が出て以来、新宿、渋谷、六本木、銀座など東京が誇る主要な繁華街がゴーストタウンと化した。

まるでSF小説に登場する滅亡した都市のように、誰もいない街を走り続けた。タクシー運転手の給与は、ほとんどの場合は歩合制である。

つまり、お客さんを乗せれば乗せるほど、遠くまで運べば運ぶほど自分の給料も高くなる。従って、タクシードライバーからすると、自粛期間中の東京はまさしく死んだ街であった。

お客さんは極めて少なく、たまにいたとしても新型コロナの感染者である可能性もあるのだ。

非常にストレスのがかかる状況で、運転が荒くなっているドライバーもいたし、戦意喪失をしたのか、誰も来るはずのない場所に延々と停車しているタクシーもいた。

東京も姿を変える、タクシードライバーも変わる

5月になり、そんな街に少しずつ活気が戻ってきた。最初は「自粛してられなくてね……」と照れながら乗り込んでくるお客さんがちらほらいる程度であったが、GWの最終日などはエリアによっては買い物客があふれていた。

ぼくが見た範囲では麻布十番や大久保のあたりは賑わっていた。六本木から高級ブランドの紙袋を持った女性が乗り込んでくることもあり、明らかに流れが変わってきたように思えた。

緊急事態宣言の解除よりも前に、東京が元の姿を取り戻そうとしていた。ただ、すべてが元に戻るわけではないだろう。

東京も姿を変えるし、東京のタクシードライバーのあり方も変わるかもしれない。

氷河期世代、東大卒のタクシードライバー

東京大学

東大出身のタクシードライバーとして筆者は働いている。

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「運転手さん、大学にも通われていたんですか?」「ええっと……。うーん、そうですね。すごく言いづらいんですけど、実は東京大学に行っていたんですよ」

「えええええええ!!!!!????」

学歴を告げたことはまだ3回しかないのだが、どのお客様も大声を上げて驚いていた。東大卒のタクシードライバーであり、旅とサッカーのウェブマガジンを主催するなど、ライター活動も継続している。

僕としては東大卒だろうが何だろうが、タクシードライバーという魅力的な職業を選ぶことに何ら違和感はないのだが、お客様としてはまったく想定していなかったのだろう。

驚かせてしまうのは申し訳ないのだが、聞かれた以上お答えしたほうがいいかなとも思うので、悩ましいところなのである。

少し著者の話をさせて頂きたい。東京大学文科Ⅱ類(経済学系)に入学し、どうも面白くないと思い文学部倫理学専攻へと移った。その後、凶悪なまでの就職氷河期の中、新聞社からIT系の企業まで何社も面接に行ったのだが、一つも受からなかった。

何の就業経験もないのに、志望動機と自己PRだけで合否が決まっていくシステムが未だに理解できないので、氷河期ではなくても就職はできなかったかもしれない。

ポスドクも熾烈な椅子取りゲーム

就活

東大生でさえも就職が難しい就職氷河期。大学院に進学やライターなど様々な道を経て、家計を支えるためにタクシードライバーを始めたという。

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行くところがないので大学院に進学した。東京大学の農学系で、アワビ類の行動生態の比較というテーマで博士課程2年まで研究をした。

専攻内で最も優秀な成績をおさめたので奨学金が返還免除になったことから、決して落ちこぼれていたわけではないのだが、次に立ちはだかったのがポスドク問題であった。

大学院を出た後のポストも熾烈な椅子取りゲームになっていたのだ。震災などの影響で研究プランが狂った影響もあり、とても研究業界で生きていける気がしなかった。

なので、大学院をやめてフリーライターになった。職業経験がなかったので1記事を70円で請け負ってしまうなど酷い目にもあったのだが、物書きは性に合っていたらしく著書『サポーターをめぐる冒険』(ころから)を上梓し、サッカー本大賞2015を獲得するなどそれなりにうまくいった。

フリーランスに40歳の壁

しかし、細々ときていた仕事の依頼も40歳が近づくにつれて激減していった。どうやらフリーランスには40歳の壁というものがあるらしい。

家庭もあり、3歳と7歳の子どももいるため、このままではどうにもならない。そんな時に思いついたのがタクシードライバーになることだった。

仕事としてのタクシードライバーの特徴は、都市部での勤務であれば高収入が期待できることと、かなり時間の自由がきくこと。そして、同僚や上司と話す時間は非常に短く、個人の裁量で仕事をすることが出来る。

また、運転中も脳は自由に動かすことが出来るので、物書きにとっては最高の思索の時間が取れる。町並みやお客さまから常に刺激を受け続けるので、アイデアが泉のように湧き出てくるのだ。

難点は腰痛になりやすいことで、今も試行錯誤しながら対策をしている。

消えていく、タクシー客たち

出勤

社会が変わり始めている今。タクシードライバーの営業は難しくなってきている。

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東京には少しずつ活気が戻ってきているが、本格的に街が蘇るのにはまだ時間がかかりそうだ。

あくまでも不要不急ではない買い物などをする人が、出てきているだけである。渋谷のスクランブル交差点であっても人はまばらで、錯綜する人間を撮影する観光客もいなければ、得体のしれないアンケート活動をしているおばさまたちも戻ってきていない。

そして、昼間の活気が嘘のように午後8時以降は完全に眠ってしまう。

それでも、少しずつは目を覚ましていくだろうと思う。ただ、タクシードライバーの収入が元通りになるとは限らない。

taxi

コロナ禍でタクシーをめぐる状況は激変している(写真はイメージです)。

撮影:吉川慧

タクシーを使うお客様の用途は様々だが、5000円以上、時には1万円以上の高単価になるのは、ビジネスパーソンの移動か飲酒後の帰宅である。

しかし、リモートワークが定着し、オフィス機能を縮小させていく企業もあることだろう。営業職しか出勤しなくてもいいのだが、営業先もリモートワークなのでどこへ行ったらいいのかわからないという笑えない話も聞いたことがある。

また、同僚との懇親会のために居酒屋を予約する機会も減っていくことだろう。

丸の内から乗って頂いたお客様は「自分のポジションだと色んな人の飲食代を出さないといけないことが多いのだが、それがなくなったので随分とお金が浮くようになった」と仰っていた。

そういうお客様は帰宅時にタクシーを使ってくれていたことだろうが、これからはその仕事もなくなっていく。

もうタクシードライバーは駄目なのか

もうタクシードライバーは駄目だなと思い、退職する人も出ていると聞く。確かに、これまでのように飲酒後の長距離客を狙うやり方は難しくなってくるかもしれない。

ビジネスパーソンを狙おうとしても、そもそもオフィス街に人がいないということもありえるのだ。

余談だが、今一番残業している人方が多いのは厚生労働省なのだそうだ。そのため、深夜まで働く官僚諸氏を待ち構えるタクシードライバーが夜の霞が関に集結している。

これまで通りの営業が通用しなくなり、ありていに言うとタクシードライバーが暇になったこともあり、暫定的な措置としてタクシードライバーによるフードの配達や買い物代行などをすることも許可された。

こちらの方向性も面白いとは思うのだが、僕の考えていることは別だ。

道を知らないタクシードライバーを通報?!

酔っ払い

酔っぱらったサラリーマンでも快適に目的地まで送り届けるタクシー。背中を向けながらも、面白い話題を提供することが重要だ。

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タクシーとは、ホテルのような快適なプライベート空間をお客様に提供しながら目的地へと運ぶサービスである。しかし、快適なはずの空間でイライラしてしまうお客様も多いようだ。

タクシー運転手の離職理由で多いのが「接客のストレス」である。密室の中で、初見のお客様に対して、背中越しに接客するのはそもそも難しい。

それに加えて、お客様は急いでいたり、泥酔していたり、虫の居所が悪かったりすることもある。

道を確認しただけで突然激怒して「タクシー運転手が不勉強である」という理由で警察を呼ばれるという理不尽な目にあったこともある。気の弱い人なら翌日に退職届を出していたかもしれない。

車内での「軋轢(あつれき)」というものは、タクシー業界が解消しなければならない課題であると同時に、お客様にとっても機会の損失となっている。乗車している15分の間に、もしかしたら有意義な話が出来るかもしれないのだ。

実際に、ビジネスパーソンの中には街の様子や景況感などを知るために、タクシードライバーから積極的に情報を取るようにしている方もいる。

もちろん、「いい天気ですね」から始まる雑談程度では面白くない。ビジネスや教養、あるいはエンターテイメントの分野、あるいはグルメやショッピングなどのタウン情報などドライバーの興味や適性に応じた話をすることが出来れば、車内空間は非常に面白いものとなる。

こういったタクシー車内の話題に魅力を持たせることで、タクシードライバーとしてもこの仕事が面白くなるし、お客様としてもタクシーに乗ろうというモチベーションが上がるのではないかと考えている。

もちろん、シールドを使う換気、消毒など可能な限りの感染症対策をした上でだ。

コロナ自粛で疲れた街に生まれる新たなビジネスとは

東京タワー

コミュニケーションを忘れなければ、タクシー業界のこれからの可能性も期待できる。

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例えば、後部座席に最近興味のある話題として「北極海航路」「Jリーグのアジアプロモーション」「不動産投資」「つけ麺」などを見えるところに貼っておく。それを見てお客様が興味を持った時は、その話題について聞くことが出来るのだ。

「運転手さん、渋谷の道玄坂まで!あ、あのへんって美味しいつけ麺屋さんある?」「そうですね。道玄坂だとマンモス亭が人気ですね。濃厚なつけ汁と食べ応えのある胚芽麺が美味しいですよ。ただお昼時はちょっと並びますが……。この時間ならすぐ入れると思います。」

タクシードライバーが詳しく話せる領域を明示することで、お互いの興味を模索する手間を省くことが出来るのだ。

withコロナで人の動きが制限される東京では、車内空間をより有意義にしていくことが求められるのではないかと考えている。 

タクシーは生身の人間と閉じた空間で接する乗り物である。タクシーが移動だけではなく、エンターテインメントや情報蒐集の空間になれたら、そこに新しい需要が生まれるはずだ。それは、タクシー空間に限らない。コロナ自粛で疲れた街には、新たな渇きと需要がビジネスチャンスとして眠っている

(文・中村慎太郎)


中村慎太郎:東京大学を卒業後、東京大学大気海洋研究所でアワビ類の行動研究。博士課程で中退後、フリーライターへ。著書『サポーターをめぐる冒険』(ころから)がサッカー本大賞2015を受賞。旅とサッカーをつむぐウェブ雑誌OWL magazineを主催。現在はタクシードライバーと文筆業を兼業している。

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