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「デジタルトランスフォーメーション(DX)を実行できるかが、あらゆる産業において、各企業の競争力ひいては存続の可否を決する」
2018年9月、経済産業省の研究会が公表したレポートは、DXの必要性を強い言葉で表現した。
それから1年半後の2020年5月、パナソニックコネクティッドソリューションズ社(CNS社)が、アメリカのブルーヨンダーの発行済み株式の20%を約860億円で取得すると発表した。同社は、機械学習を用いたサプライチェーンマネジメントで知られるソフトウェア会社だ。
パナソニックは今後、ブルーヨンダーのシステムを軸に日本企業に対し、サプライチェーンのデジタル化や自動化を促していく考えだ。
一方、パナソニック自身もこうしたDXをめぐる課題を抱えている。その一例が、壊れにくさでビジネスマンたちの支持を得るノートパソコンの製造現場だ。
「ダントツの顧客密着度」が強み
ビジネスパーソンたちから支持されるレッツノートは、神戸工場で生産されている。この製造現場にもデジタルトランスフォーメーションに絡む課題は存在する。
提供:CNS社
パナソニックが製造するノートパソコンには、大きく2つのブランドがある。オフィスビジネス向けを強く意識したレッツノートと、工場や工事現場といった精密機械には過酷な環境向けのタフブックだ。
2018年度、両ブランドは全世界合計で96万台を売り上げた。
製品には最新の処理装置が搭載されているが、その営業手法は昔ながらの「密着」型だ。CNS社でデジタル化を担当する常務の榊原洋(49)は、こう説明する。
「ダントツの顧客密着度、ダントツの商品力の実現を掲げて、お客さまに寄り添う営業体制をやらせていただいている」
タフブックは、いわゆる頑丈なノートパソコンだ。顧客企業の業務内容により、ノートパソコンに求める仕様も大きく異なる。
工場で使用する場合、ホコリが多く作業中に落とす可能性もある。ニューヨーク市警察(NYPD)でもタフブックが採用されているが、パトカーは振動が多い。販売を担う営業マンは繰り返し顧客のもとを訪れて、多岐にわたるニーズを把握する。必要があれば、開発担当者も海外の客先まで出かけていく。
開発担当者は実際に車両に乗り込み、車載用のノートパソコンにどのような振動が加わるかを計測してデータを持ち帰る。持ち帰ったデータから車内の振動を再現し、ノートパソコンのカスタマイズを進めていく。
1000行を超えるエクセルのファイル
ニューヨーク市警察の車両でもタフブックが採用されている。
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高熱になる環境で作業をする、GPSを搭載したい、バーコードリーダーもつけてほしい —— 。さまざまな顧客の求めに応える上で、課題となっているのは生産工程をどう管理するかだ。
用途に応じてさまざまな部品を組み合わせて最終的な製品に仕上げるため、材料は数千種類に及ぶ。
榊原はこう話す。
「お客様のためではあるが、数千品番の材料があると、どうしても手作業が多くなったり、エクセルで管理をしたりといった悩みはある」
顧客からの注文は日々、営業を担う販売会社に入ってくる。販売会社側は、表計算ソフトのエクセルで一覧表をつくり、工場の担当者らに毎日メールを送る。工場側は販売会社からの注文に対して、対応可能な納期などをエクセルに書き込んで返事をする。
注文の情報は別のシステムでも共有されているが、顧客企業の情報や、希望する納期など細かな情報をやり取りするうえで、いまのところエクセルを介した担当者間のコミュニケーションが欠かせない。販売会社と工場を行き交うエクセルのファイルは、すぐに1000行を超える。
CNS社IT革新推進部で総括担当を務める菅晃(51)は、
「1000を超えるレコードを人が目で追うのはしんどいし、非効率と言わざるを得ない。そこは何とか変えていきたい」
と話す。
感染症の影響で納期を先送りしてほしいといった顧客の事情の変化や、ある部品が品質基準を満たしていないといった問題は毎日降ってくる。
刻々と変わる状況に対応する生産管理は、いわば職人の仕事だ。IT化や省人化が進む工場の現場でも、生産管理はこうした職人たちの経験やカンが支えてきた面がある。
日本マイクロソフトやベネッセを経て、2018年にCNS社に移った榊原は、こう指摘する。
「パナソニックには顧客への密着などいいところがあるが、けっこう属人的になっている。日本企業をシビアに見ると、DXが進んでいると言える企業は少ない。それはパナソニックも同じだ」
現場支える“職人”に求められる変化
撮影:小林貞弘
パナソニックの内部でも工場の生産を管理するシステムや、販売会社が顧客との関係を管理するシステムなど、長年の蓄積をもとに磨き上げてきたツールは存在する。
しかし、工場と販売会社、倉庫、店舗などサプライチェーン全体を見渡す仕組みには課題が多い。個別には一定の最適化がなされているが、全体を見ると最適化されているとは言えないというのがパナソニックの現状だろう。
榊原には
「業務を支えるインフラがどこまで統合的にデザインされているかというと、フラグメンテーション(分断)が起きている」
と映る。
CNS社がいま進めているのは、ノートパソコンの生産現場で、これまでの仕組みをブルーヨンダーのシステムへと置き換えていく取り組みだ。
近い将来ブルーヨンダーのシステムが、サプライチェーンの上流から下流までを一体的に管理し、高い精度で需要を予測し、経営判断に必要な情報も提供するという構想はサプライチェーン全体のDXを目指すということにほかならない。
それは工場や営業の現場を支えてきた、さまざまな領域の職人たちにも変化を迫ることにつながる。菅はこう話す。
「現場には、僕の仕事はなくなるのかなと不安そうな顔をしているメンバーもいるだろう」
新たなデジタル人材の確保が課題
デジタルトランスフォーメーションが加速する産業界の中で、パナソニックも変化を迫られている。
撮影:今村拓馬
少子高齢化が進む日本では、若い世代の採用が難しい現状がある。特に、多くの企業がIT人材の確保に苦しんでいる。
レガシーシステムと呼ばれる既存のシステムから、AIをはじめとした新しいデジタル技術を駆使するDXには、人材の入れ替えや配置の変更が伴う。
冒頭で触れた経産省研究会のDX報告書は、次のように指摘している。
「既存システムの運用・保守にかかる業務が多く、ベンダー企業の人材・資金を目指すべき領域に十分にシフトできないでいる。このため、既存システムのメンテナンスに興味のない若い人材をはじめ、新たなデジタル技術を駆使する人材を確保・維持することが困難となっており、早晩、競争力を失っていく危機に直面している」
新型コロナウイルスの拡大をきっかけに、デジタル化を進め、製造現場に関わる人の数を最小化しようとする流れは、世界規模で加速を始めている。
菅は、失われる仕事もあれば、新たに生まれる仕事もあると考えている。
「新しい仕組みを入れることで、なくなる仕事はたくさんあるだろう。でも、ブルーヨンダーの事例を見ても、きっちり準備をしたデータがないと、システムは正しく動かない。こうしたデータを整備する業務など、新しい仕事は必ず生まれてくる」
(敬称略・明日に続く)
(文・小島寛明)
小島寛明:上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。2000年に朝日新聞社に入社、社会部記者を経て、2012年退社。同年より開発コンサルティング会社に勤務し、モザンビークやラテンアメリカ、東北の被災地などで国際協力分野の技術協力プロジェクトや調査に従事。2017年6月よりBusiness Insider Japanなどに執筆。取材のテーマは「テクノロジーと社会」「アフリカと日本」「東北」など。著書に『仮想通貨の新ルール』(Business Insider Japanとの共著)。