1985年生まれ。有名フレンチレストランでシェフを務めた後、趣味作り始めたチーズケーキが大ヒット。2018年、シェフを辞めて独立。
撮影:鈴木愛子
LINEのみで販売、数分で売り切れるとSNSで話題の「Mr. CHEESECAKE」。シェフとして王道を歩んできた田村浩二(34)は、有名なグルメガイドで「期待の若手賞」を獲ったことでシェフとしての違和感を抱き始める。
銀の保冷バックに手書きで
「玄人のための料理」しか作れなくなっていく自分に、田村は疑問を抱いていた。誰にとってもおいしい料理を作りたかったはずなのに、このままでいいのだろうか。
思い出したのは幼い頃の母が作ってくれたチーズケーキの味だった。フルコースの最後に添えられるような繊細なデザートの食感を、自宅で食べられるようにできないか。
前回触れたように、田村の周辺にはシェフとして働くかたわら商品開発に携わる先輩たちがいた。実は田村も、チーズケーキ以前にもいくつかのプロジェクトを立ち上げている。ハーブとフルーツとスパイスを組み合わせて作るアロマティー。香りにこだわったアイスクリーム。干物をフレンチの技術で開発した「アタラシイヒモノ」。
干物をフレンチの技術で再開発した「アタラシイヒモノ」。アクアパッツァにもなる。
画像:©︎ .science Inc.
この経験から、自分はレシピのマニュアル化が得意だと自覚していた。持ち運びに耐えうるデザートを作ってみるという発想は、突飛なものではなかった。
シェフの仕事の後、当時勤めていたレストランの厨房に毎晩こもった。こだわりは、口の中のとろける食感。小麦粉などを使わずに、生地をギリギリまでとろとろにさせてから焼き、すぐに冷凍することで、瞬間の柔らかさを封じ込めることに成功。2カ月試作を繰り返し、納得のいくものが完成した。
すぐにインスタグラムに渾身のケーキの画像をアップした。すると問い合わせが舞い込んだ。「これ、買えないんですか?」
「買えますよ。では住所を教えてもらえますか?」
DMを通じてメッセージを交わした。銀の保冷バッグに黒のマジックペンで「Mr. CHEESECAKE」と書いて送った。21センチという大きさで4000円(現在は17センチ3200円)。2018年4月のことだった。
売り上げが月給の10倍に
そこからは、自分でも予想のつかない展開だった。
数個売った時点で、口コミが一気に広がった。「とろっとろすぎて包丁じゃ切れない!」「忘れられないほどおいしい」……Twitterでグルメなインフルエンサーたちが拡散し、注文は殺到した。初月の売り上げは90万円。発送などの作業に追われるようになり、紹介されてネットショップ「BASE」を使うことに。
「料理人だったから、売り方も何も分からなかった」
当初は登録された住所を、ヤマト運輸のサイトに手で打ち込んでいた。それでも4月から7月にかけて、副業としてのチーズケーキは毎月200万円の売り上げになった。当時のシェフとしての給料は手取りで27万円だった。
朝4時に起き、8時までケーキの作業をしてから、レストランへ向かう日々。買いたい人がこれだけいるのに、彼らの期待に応えないという選択肢はあり得ない ── 睡眠時間は2時間という生活が3カ月続き、思い切ってシェフを辞めた。
「周りのシェフたちからは『どうせ片手間でしょ?』って思われていたと思います。(辞めた時は)かなり驚かれましたね」
秘伝のレシピに興味はない
撮影:鈴木愛子
チーズケーキで独立したとき、いくつか決めたことがある。まず、価格競争に巻き込まれないこと。
「Mr. CHEESECAKE」は、決して安くない。ボックス入りで4320円、シンプルなクーラーバッグ入りのものでも3456円。配送料が上乗せされると、手軽にはとても買えない値段だ。
田村はその価格の理由を隠さない。レシピは無料で公開されており、それに沿って作ればほぼ同じものができるとまでいう。そうすることで「買ったほうが安くて早い」と分かる、その感覚こそを体験してほしいと考えるからだ。
4000円以上するケーキを売る背景には、料理人を取り巻く過酷な労働環境もある。長時間労働の結果、身体やメンタルを壊して辞める仲間たちを何人も目にしてきた。
田村は「健全な環境」という言葉を繰り返した。
「人が辞めたら結局何も生み出せなくなるじゃないですか。ものづくりはしたいけど18時間は働けない、そういう人ってこの業界、すっごく多いんですよ」
指名買いされるブランドの作り方
公式サイトのイメージ画像にも、田村がこだわる「シンプルさ」が貫かれている。
画像:MR. CHEESECAKE
味見もできない小分けもない、4000円以上のケーキに注文が殺到する。その第一の理由は「余計なものを皿に乗せない」という田村のこだわりだ。
写真撮影中、雑談交じりに、田村がこうつぶやいたのが印象的だった。
「人と同じものが嫌いなんです。写真だってそうじゃないですか。どの雑誌見ても白いコックコート着て短髪で腕組みして。この人たち個性はないのかなって」
インスタ映えと言う言葉が流行してから、レストランでも見かけるようになったパフォーマンス料理にも興味を示さない。開けたら煙が出てくるものや、チョコレートのドームを溶かすものなどは、「1回目は良くても、2回目以降ってただの作業になりません?」
さらに「●●産の牛乳」といった産地のアピールにも疑問を呈する。「シェフなんだからいい食材を使うのは当たり前。いい食材を使ったからおいしくなるわけじゃない」。
要らないものは載せない。究極にシンプルに、ミニマルに ── それが「ブランディング戦略」というマーケティング用語で呼ばれていることを、シェフだった田村は知らなかった。
「おはよう」ツイートがファンを作る
一方で、田村はシェフには珍しく、SNSでの情報発信に積極的だ。Twitterを始めたのはチーズケーキを作る直前の2017年末。
「僕が働いていたレストランは、シェフが僕で3人目という新しい店。グルメメディアからの注目度も高くはなかったから、自分で発信するしかなかったんですよね」
ケーキを売り始めて1000人ほどになったフォロワーは、その後ケーキが話題になるにつれて、雪だるま式に増えていった。中でも「この1ツイートで1万フォロワー以上がついた」というのが、以下のツイートだ。
「シェフなのにこんな事言うのなんなんですが、ブルガリアヨーグルトにドライマンゴーをそのまま刺すと、マンゴーがヨーグルトの水分を吸ってフレッシュ感が戻り、ヨーグルトは水分が抜けてギリシャヨーグルトみたいになるので最高にうまいデザートができます。寝る前に刺しておけば、朝には最高の朝食にも」
分かりやすい言葉で、簡単なレシピや食べ物の豆知識をつぶやけば、ツイートは「バズる」。そうして少しずつ、Twitterでも自分の存在が知られるようになっていった。
2018年7月、本格的に「Mr. CHEESECAKE」を販売する体制を整えるため、4カ月販売を休止することに決めた。空白期間にファンが離れてしまうのでは、という不安もあった。そんな時、ファンとのコミュニケーションが田村を支えた。
「僕は毎朝4時に起きてチーズケーキを作る前に、おはよう、ってツイートしていたんです」
自分の起床時間を知らせることで、4時から作っているということが自然にファンに伝わり、ファンのなかなか買えないという不満が熱量に変わっていたのだ。
「こんなに早くからやってくれてありがとう」「健康に気を付けてください」……そうメッセージをくれる人も多くなっていた。
(敬称略、明日に続く)
(文・西山里緒)