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ポストコロナを生き抜くための新たな指針「ニューノーマル」とは何か。各界の有識者にインタビューをしていくシリーズ。今回は思想家で出版社「ゲンロン」創業者の東浩紀さん。
前編では、日本のコロナ対策において欠けていた視点、それによる社会の分断の加速について話してもらったが、後編ではビッグデータと個人のプライバシーや監視についての問題点を指摘する。さらにグローバルの文脈において、このコロナ禍をどう捉えれば良いのか? まで話は及んだ。
コロナ禍から世界が学ぶべき教訓とは? 思想家の東浩紀さんが語る。
提供:ゲンロン
—— 日本以外の国の対応はいかがでしたか。
どの国でも「命のためにはとりあえず監視だ」と進んで受け入れ、情報技術がそれを強力に組織してしまった。イタリアでも韓国でも、GPSを付けた感染者の追跡が政府によって強力に推し進められました。
アメリカでは、ユダヤ教の聖職者の葬儀が、市長によって強制的に止められたこともありました。これは宗教の自由のとんでもない侵害です。
こうした封じ込め政策が“成功”事例として語られていますが、命という口実が万能になってよいのか、とは問わねばなりません。
「GAFA対中国」という図式もコロナで壊れたと思います。「情報技術をどう使うか?」について、GAFAは自由と人権を守る情報社会をつくり、中国は抑圧と監視の情報社会をつくるとずっと言われてきましたが、その構図ではもはや捉えられないでしょう。
—— 情報技術と監視の関係性については、グローバルで議論が進められるべきですね。
4月、アップルとグーグルが共同で、感染者と接触した可能性がある人をBluetoothで記録するシステムを開発すると発表しました。
それがどこまで有効か分かりませんが、こんな未来もあり得る、と僕は思っています。例えばスマホに過去2週間の移動履歴を記録させ、感染者と接触した可能性のある場合は当局にそのデータを提出する。提出の同意をしなければ公共空間にも入れないし、公共交通機関にも乗れない。
そういった未来が実現すれば「公共」の意味さえ変わってしまう。
僕としては起こってほしくないけれど、人々が望めばそうなります。
—— GAFAのビッグデータやアルゴリズムを使ってコロナを収束させるんだと言われると納得しそうです。
しかし、GAFAは感染予防にたいして役立っていないでしょう。
感染症の問題というのは、要は、主体(エージェント)が多数あり、その群れがどう動くかのシミュレーションの問題です。だからビッグデータはいかにもその予測に向いていると思われた。
でも、現実はほとんど役立たなかった。新宿駅の人で何割減った、とかぐらいなんです。それもこのコロナ禍で分かった。
GAFAは感染予防に役に立たなかった?
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人類はまだ複雑系を制御できない。これはコロナ以前に、フェイクニュースの問題から分かり切っていたことでもあります。フェイクニュースもウイルスみたいなもんです。複雑なコミュニケーション・ネットワークを人類が持ってしまった結果生まれた情報のウイルスですね。
そんな「SNS上のウイルス」すら人類はまだ駆逐できていないのに、オフライン空間の身体を持った人間たちが拡大させるウイルスの挙動を予測し、抑え込めるわけがない。
—— このコロナ禍で、私たちはどのような教訓が得られるのでしょうか。
日本にしても欧米の議論にしても、共通して言えるのは、ここ数年盛り上がっていた「テクノロジー万能論」を振り返り、見直すべきなのではないかということです。
本来哲学はそういうものを戒めるはずですが、こうしたテクノロジー万能論は人文学の分野でも最近は人気でした。
人工知能でシンギュラリティが起こるとか、加速主義(テクノロジーの発展によって資本主義をさらに推し進め、資本主義の次の社会システムに移行しようとする哲学の一派)とか、スマートシティとか……。
でも、何をもって僕たちは加速していたのか? 騒いでいた人たちは反省したほうがいいと思います。
『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で有名な哲学者のユヴァル・ノア・ハラリがフィナンシャル・タイムズ紙に寄せていた寄稿文には驚きました。
「人類は進歩し続けている。手洗いが発見されたからこそ公衆衛生が大幅に上昇した。これこそが科学の成果だ」
そこで「進歩」を誇るのかと。実際は、21世紀になってもまだ外出禁止や手洗いぐらいしか対策がない、そっちに驚くべきです。そもそも西洋人はかつて手を洗わなかったかもしれないけど、日本人は前から手を洗っていたかもしれない。
ハラリはシンギュラリティや人工知能論の頂点にある哲学者ですが、人間には力がある、自然を制御できるという議論を無理やりしたいように思えました。
本当は、世の中は分からないことだらけなんです。調べれば調べるほど、ハッキリしたことは言えなくなる。その事実にもっと謙虚になるべきです。
—— なるほど……。謙虚になること以外に教訓はありますか?
グローバリゼーションは試されています。僕たちはグローバル社会を作ったつもりだったけれども、さまざまな法整備がうまくいってなかった。それはクルーズ船の例で明らかになったと思います。
クルーズ船は数千人が一隻の船に乗り、世界中を周航する一大産業です。今回、そのクルーズ船内で感染者が出た途端、各国が寄港を拒否することが分かった。これは大変な問題です。
この点、日本がアメリカ企業の運営する「ダイヤモンド・プリンセス号」を受け入れたのは良かったと思います。
2020年2月、3711人の乗客を乗せたダイヤモンド・プリンセス号内で集団感染が発生した。
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しかし、受け入れた国に対して他国が批判をしたケースもあった。
クルーズ船は一つの例にすぎません。観光産業はこんなにも脆弱であることが分かった。裏返せば、観光客が安心して国をまたいで旅行できる時が、本当のグローバル化が達成された時なのだと思います。
今回、国と国との制度の狭間になって行き場所を失ってしまった人は多くいます。外国人労働者の人たち、留学生、移民、難民……彼らの受け皿を作っていかなければ、真のグローバル社会とはとても言えないでしょう。
(聞き手・構成、西山里緒)
東浩紀(あずま・ひろき):1971年生まれ。哲学者・作家。株式会社ゲンロン前代表、同社で批評誌『ゲンロン』を刊行。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『ゲンロン0観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』『テーマパーク化する地球』他多数。4月に『新対話篇』『哲学の誤配』の2冊をゲンロンより同時発売。