気鋭の広告クリエイター、三浦崇宏。彼の熱く鋭いメッセージは若者を魅了してやまない。今回の道場相手は企業の正社員でいながら、株式会社ハピキラFACTORYの代表取締役でもある正能茉優さん。博報堂時代の先輩後輩という旧知の仲である2人。中編では正能さんが、「令和時代の妻の役割」に関して、GO三浦に意見を求める。
「フロー」は入り口にすぎない
三浦さんの言う、「フローによる成果をアウトプットとして積み上げていくことが、フロー型人材がストック型人材に変わるステップ」になること、よく分かります。
今の正能だってさ、複数の仕事に就いて……ごめん、すごく失礼な言い方だったら申し訳ないんだけど、「若い女の子」っていうのを掛け算して仕事を……。
いや、むしろ、「若い女の子」っていうのが入り口なんですよね、多分。もう28歳だから若くもないけれど(笑)。
だね。その「入り口」を利用した人との出会いを経て、こういう論文を書きました、こういう法案の変更に関わりましたってなったら、それがストックじゃん。それは正能が年取ろうが、今の副業文化が終わろうが、「その変化を起こしたのは私です」という実績は変えようがない。つまりフロー型人材はフローを利用してストックを持てる。
私、学生時代に友人から言われてすごく励まされたことがあるんです。大学生で起業して、お仕事をさせてもらっている時に、周りの人から「若い女の子だからできるよね」って言われることがちらほらあって。でも一方で私にもその自覚はあったから、いちいちそれに傷付いて……。そんな時、「茉優が若い女の子であることは、あくまでも“ドアオープナー”。それを着地させてるのは、実力だよ」って言ってくれたんです。
ドアオープナー、きっかけ作りにすぎないと。
フロー要素は新しいステージのきっかけとなる重要な武器、と正能さんは友だちの言葉を思い返す。
若いことも、女性であることも、それがきっかけとなっていろんなご縁ができたりすることも、全てはチャンスの入り口。そういう意味では、フロー入り口でストック型人材を目指すことは一つの武器ですよね。ただ一方で、ストックが全くないフローの型人材が一時的にでも活躍するこの世の中って、どうなんだろうという違和感もあります。あ、自分のことも含めてですよ。
もちろん好き嫌いは自由だから、自分がフロー型の人材であることに無自覚である大人たちを「全然好きじゃねーな」と思ってもいいけど、「今この瞬間に能力は何もないけど妙に注目される」ってことが、その時代を象徴しているという意味ですごく重要だったりもするよ。史料的存在っていうのかな。史料的価値があるフロー型人材ってのは確実にいる。
うん、うん、うん。
ただ正能も含めて、おれより若くて「やっぱりフローは駄目だ」って思っている人たちが多いのは事実。この連載の第2回に出てくれたくつざわさんの危機感も、正能の持っている危機感とほぼ同じだった。
くつざわさんの記事、読みました! すごく面白かった!
くつざわさんが有名になったバズ映像がフローで、彼女が書きたいのはテキスト情報、つまりストック。まさに、フローからストックに変わりたいのが彼女の悩みだった。
ただ、この願望って、世代論も関係しているでしょうね。例えば私より15から20歳くらい上の、大きな企業で活躍している女性役員の方々って、もうれっきとしたストック型人材じゃないですか。いつ何どきでも活躍できる実績があって、他の業界に引っ張られても、そのままの立場で行けちゃう。そこまでの道のりは大変だったに違いないけど、かっこいいですよね。
でも、そこまでして戦えないな、あるいは戦いたくないなと思ったもう1つ下の世代が、32歳〜38歳くらいの自分の名前で戦っている私より1つ上の世代のお姉さんたちなんじゃないかな。
そこまで頑張らずに、自分の生活とのバランスを考えた結果、自分の生活や、日々の生活での目線を切り売りしていくフロー型の存在になっちゃった。その両方の世代を見て、さてどうしようと言っているのが私たち、令和に働く女たちです。
ストック型とフロー型は女性の生き方でも見ることができる。令和の時代の「働く女性」はどのような道を選ぶのか?
撮影:伊藤圭
○○○○さんと○○○○さんのこと言ってる?(笑)
どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、全く違う形で活躍する彼女たちを見ていると、自分が消費財として消費される機会を生かしながら一体どうやって価値を貯めていくんだろう、フロー型人材として使われながらどうストック型に切り替えて行くんだろうって、私たち世代は思ってるのかもしれません。
ライトなファンがわちゃわちゃ騒いでるうちに、批評家もびっくりするようなまともなアウトプットを打てるかどうか、だよ。こういう言い方はアレだけど、古市(憲寿)さんはテレビ学者として毒舌吐いてフローの象徴だったけど、芥川賞候補になる小説を書いた。ストックに変わりたいっていう欲望の表れじゃん。蜷川実花さんが映画賞を獲ろうとするのも一緒。人は一定数フローを極めるとストックが欲しいって思う。
令和時代の「妻」のあり方
自らをストック化したいフロー型人材の話に関連付けると、どうしたって男性より女性の方がキャリアは短期決戦になると私は考えています。今のところ生物として子を産むのは女の人だし、育てるのだって夫と一緒にやるにせよ、やっぱりね、と。親の介護のことも考える。そうすると女性って、子どもを産む前の30代前半くらいまでの期間しか、仕事にフルコミットできるタイミングがないことが多いのかなと想像しちゃうんです。
だから、それまでにストック型人材になっておかないと、戻る場所がなくなっちゃうし、それどころか、その先どうしていい分からなくなっちゃう。そんなこともあって、最近私は、考えるところが結構あったのかもしれません。
そう言えば、この間結婚したよね。おめでとう!
ありがとうございます(笑)。結婚してみて、令和の妻のあり方について考えるようになりました。私は、平成3(1991)年生まれなんですが、この年って、共働き世帯より専業主婦世帯が多かった最後の年なんですよ。私の母も専業主婦だし、友達も専業主婦家庭の子たちが多かった。つまり私が慣れ親しんだ家族像って、「夫が社会で活躍して、それを支える妻がいる」。
そういう、いわゆる古き良き家族像から抜け出し切れないのは、実は自分なんです。もっと言うと、抜け出したくない自分もいるんですよ。自分の仕事はもちろん大切だし楽しいしありがたいけれど、でも夫のことも支えたいし、家族との時間も大切にしたいなって。自分の知っている家族像を否定することに、違和感があるんです。
なるほどね。
昭和の「妻」像は令和の時代にも色濃く残っている。家族を一番に考える妻としての役目も否定はしたくないと言う正能さん。
Shutterstock
一方で、そうは言っても、多くの人が夫の稼ぎに甘えて、暮らせるような時代でもない。じゃあ令和時代の妻ってどういうふうになっていくんだろうって。
つまり、心の中では家で奥さん・お母さんをしっかりやり切りたいと思ってるんだけど、もう表に出ちゃってるし、それもやめられない。どうすりゃいいんだっけってこと?
うーん、そこまでは思わないけど、自分の知っている古き良き家族像には肯定的だし、夫を支えるという役割は妻として果たしたい。でも社会を見渡すと、女性の社会進出は進んでいるし、もっと言うと進出しなきゃいけない空気感まである。でもその空気感が嫌かというとそうでもなくて、活躍できてしまう世の中だからこそ、社会で活躍したいとも思っている。どっちも欲しいんですよね。
結局、グラデーションじゃない? そこはもう、正能が作っていくしかないんじゃないかな。役割の配分を。
こうしていろんな女性が悩んで、動いて、また新しい価値観の基準ができていくんですかね。
今はすごくいい時代なんだよ。選べるし、グレーゾーンが生まれたし。昭和の時代は選べなかったんだよ。平塚雷鳥や与謝野晶子だってそういうことをやりたかったけど、やったら変な奴って思われたわけじゃん。それが平成の終わりになって、田嶋陽子さん、上野千鶴子さん的なね、素晴らしい彼女たちの戦いによって、「あなた、女性が家の中にいるなんて女性の進歩を後退させる気ですか!」って、極めてこう、すごいとは思うんだけど、過激派としていかないといけない状況だったわけじゃん。
はい、そうですよね。
昭和の先輩方の苦労、あるいは忍耐。そして平成の方々の捨て身の突撃があって、ようやく令和のあなた方が選べる時代が来た。そこはやっぱ、グラデーションを駆使して正能たちが、いや、男女関係なくデザインしなきゃいけないんじゃないの。昭和も平成も両方知ってる、令和の女性たちが新しいポジション、新しいバランスを作るってことが、受け継いだバトンなんじゃない。
令和は「選べる時代」だと言う三浦さん。その時々によって、やりたい役割の割合は自分で変えていくことができる。
令和のママタレになれる!?
そうですよね。ただ、それらのバトンを同時に受け継いだ私たちの世代にとっては、ある種の自己矛盾になっているのかもしれません。酒井順子先生が『男尊女子』で書かれていたような「男性を立てたい、あるいは無意識的にも立ててしまう女性」という感覚がある。
その一方で、社会で何者かになれたらいいな、貢献できたらいいな、自分のアウトプットが認められたら嬉しいなという気持ちもある。この2つの気持ちは、これまでは相反するものとして語られてきて、どちらかを選ぶものだったんです、きっと。
相反しててもいいんじゃない、別にもう。
いや、もっと言うと、本当は相反してないはずなんですよね。全然違う種類の欲望だから、両立できてもおかしくない。食欲と睡眠欲みたいな。
正能が世の中で何か成し遂げたいってことと、旦那や子供を守りたいって気持ちは一緒のことだよ、普通に。辻希美さんとか、ママタレが外で活動してると、「この人は子育てをしてないはず」とか言ってくる奴がいるけど、なんという想像力の欠如だ! って思うじゃん。両立させるためにテクノロジーは進化したんだし。
これって、ジャンヌ・ダルクはママタレになり得たのかって話だと思うんですよ。家族の中での役割を果たしながら、でも社会での活動も続けるママタレに。令和という今の時代なら、ジャンヌ・ダルクはママタレにはなれるのかな?
なれる。っていうのを信じようぜってことじゃない。
「そう信じて、持てるカードを駆使して実現していこうぜ、周りの協力を得ながら」ってことですよね。
そう。そういう実験をどんどんしていかないといけない。
ですね。ごにょごにょ言う前に、そういうときに持てるカードを今のうちに家族や会社の人と考えてみます。
※本連載の後編は、6月5日(金)の更新を予定しています。
(構成・稲田豊史、 連載ロゴデザイン・星野美緒、 編集・松田祐子)
三浦崇宏:The Breakthrough Company GO 代表取締役。博報堂を経て2017年に独立。 「表現を作るのではなく、現象を創るのが仕事」が信条。日本PR大賞をはじめ、CampaignASIA Young Achiever of the Year、グッドデザイン賞、カンヌライオンズクリエイティビティフェスティバル ゴールドなど国内外数々の賞を受賞。広告やPRの領域を超えて、クリエイティブの力で企業や社会のあらゆる変革と挑戦を支援する。2冊目の著書『人脈なんてクソだ。 変化の時代の生存戦略 』が発売中。
正能茉優: ハピキラFACTORY代表取締役/大手電機メーカー正社員/慶應義塾大学大学院 特任助教。1991年生まれ。 慶應義塾大学在学中、地方の商材をかわいくプロデュースし発信・販売する(株)ハピキラFACTORYを創業。大学卒業後は、広告代理店でプラナーとして活動。現在は、大手電機メーカーの正社員でありながら、自社の経営も行う。 その「副業」という働き方の経験を活かし、2016年度、経済産業省「兼業・副業を通じた創業・新事業創出に関する研究会」の委員にも。2018年度からは「自らの手で、働き方の選択肢を増やせる人を育てたい」という想いから、慶應義塾大学大学院特任助教として新事業創造プログラムも担当。 内閣官房「まち・ひと・しごと創生会議」最年少有識者委員。