撮影:今村拓馬、イラスト: Devita ayu Silvianingtyas / Getty Images
これからの世の中は複雑で変化も早く「完全な正解」がない時代。コロナウイルスがもたらしたパラダイムシフトによって不確実性がさらに高まった今、私たちはこれまで以上に「正解がない中でも意思決定するために、考え続ける」必要があります。
経営学のフロントランナーである入山章栄先生は、こう言います。「普遍性、汎用性、納得性のある世界標準の経営理論は、考え続けなければならない現代人に『思考の軸・コンパス』を提供するもの」だと。
この連載では、企業やビジネスパーソンが抱える課題の論点を、入山先生が経営理論を使って整理。「思考の軸」をつくるトレーニングに、ぜひあなたも参加してみてください。参考図書は入山先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし本を手にしなくても、この連載は気軽に読めるようになっています。
経営理論を思考の軸に「ウィズコロナ・アフターコロナの時代にビジネスや生活はどう変わるか」を考える緊急企画、今回のテーマは「雑談の効能」です。在宅勤務によって同僚同士の雑談が減ると、どんなことが起こるのでしょうか?
この議論はラジオ形式収録した音声でも聴けますので、そちらも併せてお楽しみください。
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こんにちは、入山です。コロナウイルスによる外出自粛生活もようやく出口が見えましたが、そこに、この連載の担当編集者である常盤亜由子さんから、こんな悲鳴のような声が届きました。
もともと編集部ではみんな同じオフィスにいて、ワイワイガヤガヤやりながら仕事をする環境だった。だけど今は在宅勤務だから、そういう雑談がなくなっているんですね。同じくBusiness Insider Japan編集部でミレニアル世代の横山耕太郎さんはどう感じているのでしょうか。
経営学も認める「雑談」の大切さ
お2人とも今回のコロナ危機をきっかけに、職場での雑談の重要性を指摘されています。今はコロナの収束が多少見えてきて、徐々に在宅勤務・テレワークが解かれる会社も出てくるでしょう。他方で、多くのビジネスパーソンが在宅勤務の継続を希望している、という報道もあります。
では、このような中で我々は「雑談」をどう考えればいいのでしょうか。
雑談にはさまざまな効能があります。例えば、孤独を紛らわせる効果もありますよね。ただ、ここではより経営学で重視されている、「組織の記憶」における雑談の効能について解説しましょう。
経営学では、雑談の効能は以前から指摘されていました。ここで重要なのは、組織の強さというのは何かというと、“Who knows what(誰が何を知っているか)”であるという考え方です。
この連載でも繰り返しお話ししてきたことですが、イノベーションには「知の探索」が重要です。つまりイノベーションの源泉とは、遠くから持ってきた「知」と、すでにある「知」が新しく組み合わさることです。ということは社内などの組織内で、さまざまな社員同士の「知」の情報共有がされないといけない。
そこで情報共有というと、「組織のメンバー全員が同じことを覚えているのが情報共有だ」と誤解しがちです。しかし2~3人の小さな組織ならまだしも、ある程度の大きさの組織になると、組織の全員がまったく同じ知識を共有するなんて無理ですよね。
世界標準の経営学の知見によれば、そこで組織に重要なのは、「誰が何を知っているかを知っている」になります。つまり知識そのものではなく、「あの人はこういうことが得意だよね」「彼女はこういうことが詳しい」ということなら、大きな組織でも誰でも覚えやすいはずです。
そしてそれが分かっていれば、何か仕事で分からないことが出てきたら、「彼に声をかけてみようか」となり、新しい「知」の組み合わせがしやすくなる。
要するに組織にとって重要なのは、whatを共有化することではなく、“Who knows what”、「誰が何を知っているか」についての情報を共有化することなのです。これを経営学では「トランザクティブ・メモリー」(transactive memory)と言います。トランザクティブ・メモリーが豊かな組織はパフォーマンスが優れているということが、さまざまな実験で示されています。
「タバコ部屋」の効用
「大切なことはタバコ部屋で決まる」と言われるほど、タバコ部屋は憩いの場という以上に情報交換の場として機能していた。
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ここで当然気になるのが、「トランザクティブ・メモリーが豊富なのはどういう組織か」ということです。そして多くの実証研究で判明しているのは、顔と顔を合わせた直接のコミュニケーションが多い組織なのです。つまり人というのは、直接会って、顔を突き合わせて話すことで、「あいつはああいうことが得意だったよな」という記憶が脳に染み込んでいく可能性が高いのです。
Business Insider Japanを読んでいるミレニアル世代にはピンとこないかもしれませんが、以前はだいたいどの日本企業のオフィスにも「タバコ部屋」がありました。そこにいろいろな部署から喫煙者たちが集まってきて、全社横断でどうでもいい雑談をするわけです。トランザクティブ・メモリーの視点からは、実はこれが重要だったのです。
他愛のない話ばかりだけれど、顔を突き合わせて四方山話をすることで、「えっ、おまえ、今そういうクライアントと付き合ってるのか」とか、「へえ、うちの総務は今こういうことをやってるんだ!」という情報を得て、それをなんとなく頭に入れていた。
タバコは健康に良くないので推奨はしませんが、でも実は、あの仕組みがかつての日本企業のトランザクティブ・メモリーを高めていた可能性があるのです。
一方、今のオフィスでは多くの場合タバコ部屋が撤去されています。そうであれば、(タバコ部屋を戻すのではなく)、それに代わる機能を置くべきなのです。実際、だからこそグーグルには素敵なカフェテリアがあり、ビリヤード台が置いてあったりする。あれはタバコ部屋と同じ機能を担っているのです。
トランザクティブ・メモリーが多い組織ほど成果が出せる
もうひとつ、研究事例を紹介しましょう。「トランザクティブ・メモリー」を提唱したのはダニエル・ウェグナーというハーバード大学の教授です。彼が初期にやった研究の実験は、カップルを被験者としています。
この実験では、男女のカップルに多く集まってもらって、例えば記憶力ゲームをやってもらいます。これら男女カップルのうち半数は本物のカップルですが、残りの半分は人を入れ替えて、赤の他人同士のカップルになってもらいます。
そしてカップルはそれぞれ男女で別の部屋にいて、「植物」「文学」「スポーツ」など複数のジャンルについて、その専門用語をできるだけ多く暗記して、その後でどれだけの言葉を暗記できていたかを検証して、男女のペアで合計点を競うのです。各組の男女はそれぞれ別の部屋にいるので、相談はできません。
ウェグナーが行った実験では、赤の他人のペアよりも本物のカップルのほうがスコアが高かった。カップルはトランザクティブ・メモリーを武器にした「知の分業」が進むからだ。
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この実験をすると、点数が高くなるのは、赤の他人のペアよりも恋人同士のペアの方なのです。
なぜでしょうか。それは、カップルは日頃から互いを雑談などでよく知っているので、互いの「得意なもの」「苦手なもの」が分かっているからです。
すなわち、先の実験で互いの得意なジャンルを知っているカップルなら、「僕は文学に詳しくないけれど、彼女は詳しいから、この単語は彼女に覚えておいてもらおう。その代わり僕は自分の得意なスポーツ関連の言葉を優先的に覚えよう」というように、相談しなくても自然と分業ができるからなのです。だからカップル全体として成績が良くなる。
一方、赤の他人はお互いの苦手や得意分野を知らないので、「知の分業」ができずに成績が劣るのです。
つまり日頃から雑談などをして相手のことを知っていると、やはりトランザクティブ・メモリーが多くなるというわけです。仕事仲間についても同じことが言えるでしょう。
撮影:今村拓馬
日々の仕事が忙しい会社では、雑談をしていると「サボっている」「真面目に仕事をしていない」と思われることもあるかもしれません。しかし組織全体の成果を長期的に見れば、みんなで他愛もない話をするというのは、実は欠かせない習慣だと分かると思います。
一方で、今は長引くリモートワークで孤独感が増すだけでなく、雑談の時間がなくなっています。もしそうであれば、オンライン会議で定期的に「雑談タイム」を設けてみるといいかもしれません。もし大きな組織にお勤めなのなら、理想的にはさまざまな部署を横断した雑談タイムがあるといいですね。
毎日だと負担になるかもしれないけれど、3日に1回とか1週間に1回とか、「この時間はなるべくオンライン会議に参加してください」と申し合わせをしておく。そこでみんなお茶やお菓子を片手に雑談をする、というのはアフターコロナの時代にも重要なはずです。
読者の皆さんも外出自粛生活で工夫していることがあれば、ぜひ教えていただきたいと思います。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。