「戦時下並み」需要減によるデフレか、「反グローバル化」国内回帰でインフレか。世界経済の厳しい先行き

マスク フェイスシールド 三越伊勢丹

マスクなど医療物資のように需要増による供給ひっ迫が伝えられる商品もあるが、真の問題は、感染抑制のために削られた他の需要の低迷のようだ。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

前回記事では、アフターコロナの世界において新型コロナウイルス感染拡大の第2波、第3波が警戒されるなかで、企業や家計は「お金を使わない正義」を貫こうとするという視点を提示した。

その裏で、政府部門は「お金を使わない」民間部門で失われる需要を穴埋めするため、大規模な財政出動を強いられるとも論じた。

そうした大規模な財政出動を放置すると、副作用として金利上昇が懸念されるので、それを抑制するために中央銀行は国債を購入し続けるとも予想した。結果としては、中央銀行のバランスシートだけが「身代わり地蔵」のように膨らんでいくことになる。

その際、中央銀行のバランスシートの健全性に疑念が生まれたとしても、それは「通貨の信認」とは本質的に関係がないという基本認識を示した。

とはいえ、直情的な為替市場の性格を踏まえると、テーマのひとつとして耳目を集め、(バランスシートに不安のある)特定の通貨が売り進められる可能性は否定できない。

それは物価の行く末、つまりインフレやデフレといった展開にも直接的に関係してくる大きな問題だ。アフターコロナの日本経済ははたしてどこに向かうのか。

日銀の債務超過によるインフレはあり得るか

中央銀行 バランスシート 比較

【図表1】日米欧の中央銀行の総資産比較(対名目GDP)。直近4カ月分のバランスシートを使用、日米欧それぞれ4月20日前後、GDPは2019年。

出典:出典:Macrobond、IMF資料より筆者作成

日本は長年物価が上がらないことに悩んできた。アベノミクスという「錦の御旗」のもと、日銀は未曽有(みぞう)の金融緩和に踏み込んだが、結局、日本経済の宿痾(しゅくあ)とも言える「デフレの粘着性」を完全に払拭することはできなかった。

そのような日本がもしこれからインフレに見舞われるとしたら、円安による輸入物価の上昇を契機とするコストプッシュ型(=原材料などコスト上昇を受けて企業が供給価格を引き上げることで始まる)のインフレが進む展開が一番想像しやすい。

日銀は世界の主要中央銀行において唯一、名目GDPを超える規模のバランスシートを有する(図表1)。そんな日銀が司るのが円なので、いつ何時、売られる側の通貨に転じても不思議はない。通貨安はもちろんインフレの一因になり得る。

しかし、すでに指摘したように、中央銀行のバランスシートが債務超過に陥ったからと言ってそれがすぐにその国の通貨の信認を貶める材料になるとは限らない。

それゆえ筆者は、日銀のバランスシートへの懸念→円安→輸入物価上昇→コストプッシュインフレといった流れが起きるとは考えていない。また、日本以外の主要国でもそのようなことが起きる可能性はいまのところ低いと考える。

コロナショックは「戦時下」並みとはいえ……

 新型コロナ マスク

ロックダウンが解除されたオーストリア・ウィーンにて。マスク需要は根強く、長期化するとみられるが、経済全体でみると局所的な受給ひっ迫に過ぎない。

REUTERS/Lisi Niesner

コストプッシュ型インフレはないとしても、需給がひっ迫してディマンドプル型(=好景気などで需要が増えて供給を超えることで始まる)のインフレが進む可能性はないだろうか。

しかし、こちらもやはり考えにくい。冒頭でも触れたように、アフターコロナの世界経済では企業や家計が「お金を使わない正義」を貫く公算が大きく、それは旺盛な需要がインフレをけん引する世界とはほど遠い。

多くの財・サービスの配分が効率化された現代において、ディマンドプル型のインフレが発生するとしたら、戦時下のように生産設備や社会インフラなどが大々的に破壊され、供給能力に大幅な制約が発生するような状況をおいてほかにない。

たしかに、今回のコロナショックはそのような状況に近いのかもしれない。

メディアなどでは「戦時中」との形容が散見され、生産活動が物理的に阻害されている。国境の検閲も厳しくなっている現実がある。こうなれば貿易取引が停滞し、供給能力に制約が出るのは必然だ。

生産設備やインフラに物理的な破損こそみられないが、それを操る人間が動いていないので、財の供給が需要に比べて不足し、実質的に戦時下と同じようなインフレ圧力が発生しやすいようにも思える。

しかし、それも行き過ぎた想定だと筆者は考えている。

マスクや消毒液が消費に占めるウェイト

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外出自粛や店舗閉鎖が部分解除されたオーストラリア・パースのアップルストア。テレワーク関連の需要は拡大中。

Will Russell/Getty Images

供給制約が常態化するなかで、物価上昇圧力に晒されている財は実際にあるものの、それらは物価全般を規定し得るだろうか。

卑近なところで言えば、マスクや消毒液などの医療物資、テレワーク関連の機材(PC、ヘッドセット、ウェブカメラなど)について局所的な物価上昇は確かに起きているが、それを起点として世界で広くあまねく物価上昇圧力が生まれる可能性はあるだろうか。

ここで、供給のひっ迫する財が、日本の消費者物価指数(CPI)に占めるウェイトに注目してみたい。

マスクを含む「保健医療用品・器具」は0.72%、風邪薬などを含む「医薬品・健康保持用摂取品」は1.21%、診療代などを含む「保険医療サービス」は2.37%。最も大きな分類である「保健医療関連」全体でようやく4.3%だ。

パソコン、テレビ、ビデオレコーダーなどを含む「教養娯楽用耐久財」は0.59%しかない。電子レンジや電気炊飯器、冷暖房用器具を含む「家庭用耐久財」でも1.11%。

かたや、今回のコロナショックで需要の失われた、宿泊料やパック旅行費、習いごとの月謝、映画館やテーマパークなどの入場料を含む「教養娯楽サービス」は5.92%。「外食」の分類だけで5.21%にもなる。

要するに、ひっ迫している財・サービスが消費全体に占めるウェイトはさほど大きくない。むしろ不要不急の名のもとで人工的につくられた需要減のほうが大きく、それゆえ物価が持続的に上がる筋合いはない。

もちろん、CPIのウェイトと現在起きている事象だけをもとに物価の帰趨を占うのは単純に過ぎる話だ。

とはいえ、そこにこれまで論じてきたような、マクロ経済全体で企業や家計が「お金を使わない正義」を貫こうとする世界のトレンドを合わせて考えれば、これから続く需要低迷に由来するデフレの懸念を抱くほうが整合的ではないか。

「グローバリゼーションの巻き戻し」にインフレの火種

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「サヨナラEU」のプラカードを抱えるロンドンの市民。高コストな自国生産を志向する「グローバリゼーションの巻き戻し」の流れが強まっている。

REUTERS/Simon Dawson

グローバル化した世界では、あらゆるものがリンクし、効率的に配分される。しかし、その脆さが今回のコロナショックによって露呈したとの指摘がある。

例えば、マスクのような医療物資を中国での生産に依存していたため、今回は社会的混乱が起きた。その経験を踏まえ、多少のコストアップに目をつぶっても「国内でさまざまな財をまかなえるほうが国家のリスクマネジメントとして適切」という判断はあり得る。

アフターコロナの世界ではデフレの可能性のほうが高いとしてきた本論考だが、仮にインフレがあるとすれば、リスク回避のために医療物資を国内生産するような「グローバリゼーションの巻き戻し」が世界経済の非効率化を進め、コスト高の世界が到来するシナリオではないかと、筆者は想像している。

多くの財が国内での高コストな代替生産へと切り替われば、物価も上昇基調に転じるかもしれない。コストが安いから海外で生産していたのだとすれば、国内でつくったその代替財は価格上昇しなければ筋が通らない。

ただし、グローバリゼーションの巻き戻しはいまに始まったことではない。過去10年で少しずつ強まってきたトレンドだ。おそらく多くの人々がそれを意識し始めたのが、イギリスのEU離脱やトランプ米大統領の当選といった政治的大事件の続いた2016年だろう。

とりわけトランプ大統領は就任前から先鋭化した保護主義を露わにし、主要貿易相手国に対して矢継ぎ早に関税・非関税障壁を押しつけ、反グローバルの象徴と言っていい存在だ。

だが、関連データに目をやれば、グローバリゼーションの巻き戻しはもっと前からあった。

グローバリゼーションの趨勢が非常に強い局面であれば、貿易取引はもちろん、企業は生産や物流、販売のための海外拠点を構える投資行動を積極化するはずだ。そしてそのような動きは統計上、「対外直接投資(FDI)」として可視化される。それを表したのが図表2だ。

対外直接投資 残高 グラフ

【図表2】世界の対外直接投資残高の推移。

出典:Macrobond資料より筆者作成

2008〜19年の12年間をみると、FDI残高が前年より「増えた」(=投資行動が積極化した)のは2010年、2011年、2015年の3回だけだった。

その前の1996〜2007年の12年間でみると、逆に、前年より「増えなかった」(=投資行動が消極化した)のが3回しかない。これは2001~03年の3年間であり、米同時多発テロ事件の後遺症が大きかったと考えられる。

グローバリゼーションの流れは、2008年の金融危機(リーマンショック)を区切りとして、巻き戻しとまでは言わないが、歯止めがかかり始めたとするのがマクロ的に正しい理解になる。

「第三のショック」の帰結

こうやって考えると、今回のコロナショックは、リーマンショック、ブレグジット+トランプ大統領就任に次ぐ、グローバリゼーションに対する「第三のショック」と見ることもできる。全世界の人命にかかわる深刻な危機だったこともあり、企業経営や政策の変容を一段と加速する可能性がある。

その動きが極まって、「国内でまかなえるものはできるだけ国内で」という方針が突き詰められていってしまうと、そのコスト高がインフレ圧力として顕現化するおそれもある。

アフターコロナの世界に待ち受ける変化は、いまだ想像の域を出ないものが多いが、流動的ないまだからこそさまざまなシナリオに思索を巡らせ、不測の事態に身構える準備を怠らないようにしたい。

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。


唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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