中国の全人代で香港に関する国家安全法が提案され、香港でのデモは再び激しさをましている。
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米中攻防の舞台がまた香港に戻ってきた。
北京で開催中の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)は5月28日、香港独立や政権転覆、外部勢力の介入を禁じる国家安全法の制定を採択、アメリカの内政干渉排除を前面に打ち出した。
貿易戦争、台湾、新型コロナウイルスなど、トランプ政権の中国攻撃で守勢に立たされてきた中国が、主権という「最後の砦」にレッドラインを引いた形だ。
対米批判封じた李首相
コロナで延期された全人代の最大の注目点は、経済再建策と並びどんな対米政策を打ち出すかだった。
トランプ政権はコロナ後をにらんでサプライチェーン(部品調達・供給網)から中国を排除し、世界経済を中国と二分する「デカップリング」(切り離し)を進める。マイナス6.8%と落ち込んだ中国経済を建てなおす上で、対米関係は最重要課題だ。
しかし、開幕冒頭の政府活動報告で李克強首相は、対米批判を一切封じた。
そこに飛び出したのが、香港国家安全法。香港の分離独立や政権転覆を禁じ、外部勢力の介入を阻止する内容だ。あらゆる領域で中国攻撃を仕掛けてきたトランプ氏への、中国の回答と言っていい。
アメリカの香港投資は約9兆円
新型コロナウイルスの影響で、例年より約2カ月遅れて開かれた全人代。
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これに対しポンペオ米国務長官は27日、香港では「高度な自治」が維持されていないとして、アメリカの対香港優遇措置の見直しを議会に報告する制裁方針を示した。米議会も、中国・香港当局者の米渡航禁止など制裁法案を準備していると伝えられる。
トランプ政権は香港大規模デモのさなかの2019年11月、「香港人権・民主主義法」を成立させた。香港の人権・民主状況が悪化した場合、アメリカが関税・査証(ビザ)で、香港を本土より優遇する「香港政策法」(1992年)の見直しを示唆。ポンペオ長官の発言もこれを踏まえた内容である。典型的な「人権・民主外交」だ。
アメリカの香港投資は巨額だ。2018年に約825憶ドル(約8兆9000億円)。香港には約1400の米企業が進出し、香港在住アメリカ人は8万人と、約2万人の日本を上回る。香港経由の対中ビジネスだ。香港優遇措置を見直せば、アメリカ企業も不利益を被る「両刃の剣」。
ではどこにトランプ氏の本音はあるのか。
中国通信機器大手のファーウェイ排除や、中国主要企業に対する取引停止の動きを見れば、トランプ政権が中国と世界を二分するブロック化すら厭わない姿勢は明らかだ。米中「新冷戦」を仕掛けているのだ。
ドル体制支配のアメリカには勝てない
アメリカのトランプ政権は新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」と呼ぶなど、中国の責任を追及する姿勢を強めている。
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「新冷戦」に対する中国の反応をみよう。
王毅外相は24日の記者会見で、「中米間には多くの相違があるが協力の余地はある」と、関係改善への期待を表明し、「新型コロナは中米共通の敵。アメリカへマスクだけでも120億枚以上輸出した」と、防疫協力を強調した。
新冷戦は回避したい本音がうかがえる。なぜならアメリカは、国際基軸通貨のドルによって「グローバル金融システム」を支えている。そのシステムの中で発展してきた中国に、新冷戦を戦う自信はない。軍事力も圧倒的な差がある。
米中両国は2020年1月、貿易交渉で第1段階合意を達成した。だが経済・貿易では譲歩できても、中国の主権にかかわる内政にまで手出しされれば、核心利益を失ってしまう。米中戦略対立の図式から国家安全法制を考えれば、中国にとっては「守り」の答えと分かる。
「国家安全維持の法不在」という説明
香港は1997年7月1日に中国に返還された。行政、立法、司法の三権は香港政府に委ねる「一国二制度」のはずだったが……。
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そこで「国家安全法」の何が問題なのか、論点を整理する。
香港が中国に返還された1997年に施行された「香港基本法」(小憲法)は、行政、立法、司法の三権を香港政府に委ねる「高度な自治」を保証した。「一国二制度」の法的ツールだ。
その23条は香港独立や反乱、国家転覆活動を禁止し、政治団体が外国と連携することを禁ずる国家安全条文である。香港政府は2003年、23条に基づき「国家安全条例」を導入しようとしたが、50万人規模の反対デモに遭い頓挫した。
今回の全人代で、法案の背景説明をした王晨・全人代副委員長は、これまで条例がなかったため、「反中央・香港かく乱勢力が『香港独立』『自決』『住民投票』などを主張し、国家の統一破壊と国家分裂の活動を進めた」と説明した。
国家安全維持に必要な条例が「棚上げ」状態になっているため、中央政府が香港政府を飛び越えて直接、法制定に乗り出したというのである。
1.中央政府に制定権限はあるか
そこで第1論点。中央政府が基本法の条文にかかわる法律を直接制定するのは、「高度な自治」の精神に反しないか。香港の弁護士団体は5月25日、「基本法では香港自らが立法すると規定しており、全人代常務委に立法権限はない」と批判した。
これに対し、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は26日、「国家安全についての立法は中央の権利」と反論。王晨氏も、基本法には国防や外交、主権に関しては、中国本土の法律を香港に適用できる「付属文書3」という例外規定があり、国家安全法も全人代が制定し、香港政府が交付・実施するという手続きは合法と主張した。
2.情報機関の香港設置
論点の第2。国家安全法第4条は「中央政府の国家安全維持関係機関は必要に応じて香港特別行政区に機構を設置し、法に基づいて国家安全維持の関連職責を履行する」と規定する。
これについて民主派リーダーの1人アグネス・チョウさんは、「中国が気に入らないことがあれば、直接香港で機関を設立して、直接処理する。香港が普通に中国の一部になってしまう~中略~『一国一制度』になる」と強い懸念を表した。
「国家安全維持機関」とは何か。
一般的に考えれば、中国情報機関とは「国家安全部」を指し、香港にその出先機関を設けることを意味する。筆者はコメンテーターとして出演したテレビ番組で「秘密警察を潜入させるのか」と聞かれ、「中国諜報機関はすでに香港に潜入しているはず。むしろ法律に明文化する狙いは威嚇効果でしょう」と答えた。
3.「阻止、処罰」の主体はどこか
コロナの感染拡大前まで、香港では大規模なデモが続いていた(写真は2019年11月)。
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第3論点は、デモが過激化し香港警察の手に負えなくなった場合、「阻止、処罰する」主体は何か。2019年の大規模デモでは、香港駐留の人民解放軍部隊による鎮圧が大きな話題になった。安全法第3条は「香港政府が国家安全を害する行為を防止、処罰する」と規定し、主体は中央政府ではなく香港政府としている。
疑えばキリはない。ただ中国にとって、直接介入は避けたい選択肢だ。
かつて香港は「金の卵」と呼ばれた。改革開放を支える資金導入の窓口だからだ。しかし香港の経済規模は、中国の急速な経済成長によって、大陸の18.4%(返還時)から2.7%(19年)まで低下した。
とはいえアメリカ、日本、EU諸国など外国企業は、依然として香港を大陸に進出する足掛かりにする。対中直接投資の約7割は香港経由であり、中国にとっても新規株式公開を通じた資金調達の半分は香港上場企業が担う。
金融自由化が進んでいない中国にとり、香港の地位は依然として「代替不能」。戦車で抗議デモを鎮圧した1989年の「天安門事件」の二の舞は避けなければならないのが本音だろう。
主な狙いは中国本土への波及阻止
法制の狙いは、内政干渉しようとするアメリカと、それに連携する民主派への「防波堤」を構築することにある。王副委員長は「香港を利用して内地への浸透・破壊活動を行う」こともレッドラインとし、内地への波及を警戒していることを示した。大規模デモが共産党指導部をいかに動揺させたかその衝撃度が分かる。
香港立法会は、中国国歌の侮辱を禁じる国歌条例案の審議を5月27日、1年ぶりに再開した。これに抗議するため、中高生団体が授業ボイコットを呼び掛けた。香港政府は新型コロナ感染対策として、6月4日まで9人以上の集会を禁止し、デモには厳しく対応する構えだ。
国家安全法の制定で変化するのは2019年のデモの標的が香港政府だったのに対し、今後は中央政府になることだ。運動の性格も自ずと「反体制化」する。
米中攻防の舞台となる香港で、天安門事件31周年の6月4日がどのような展開をみせるか、アメリカと中国、香港のそれぞれの思惑と本音が交差する。
岡田充:共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。