なぜ、東大はどこよりも早くオンライン化できたのか? ウィズ・コロナ時代に淘汰されない組織の形

東京大学

東京大学の安田講堂。

cdrw/Shutterstock.com

5月25日をもって解除された緊急事態宣言。しかし、これですぐに生活が元に戻るわけではない。第2波への警戒から「新たな生活様式」が求められている。

東京大学では3月18日、五神真総長から、

「対面での講義は最小限とし、オンライン化を奨励し推進する」

とのメッセージが出されたあと、緊急事態宣言が発出される前日の4月6日には、当初のスケジュール通りに講義をオンラインでスタートさせた。

現状、実験や実習といった物理環境が必要な講義以外は、ほぼすべての講義をオンライン上で実現できているという。

講義をオンライン化するにも新学期の開始日程を延期する大学が多かった中、なぜ東大はこれほど早く対応できたのか。

東大のオンライン化を主導する立場を担った、東京大学情報基盤センター長・田浦健次朗教授に話を聞くと、大きな組織が変化するために必要なヒントが見えてきた。

「事前体制は不十分」も、順調な滑り出し

田浦

東京大学情報基盤センター長の田浦健次朗教授。緊急事態宣言下の5月中旬、オンラインでインタビューを行った。

撮影:三ツ村崇志

名実ともに日本のトップ大学である東京大学。オンライン講義をスムーズに導入できたと言っても、「豊富な資金力にものを言わせて、以前からオンライン講義の体制を整備していたのだろう」と、考える人もいるかもしれない。

しかし実際のところ、コロナ前のオンライン講義体制はそれほど充実していたわけではなかった。

「講義で使うコンテンツ(パワーポイントやPDF)の共有などはこれまでも普通に行われていましたが、オンライン上で100人規模の講義を行うといった取り組みはさすがにやってきませんでした。

(従来の)オンライン講義については、研究倫理や情報セキュリティの初歩など、分野を問わず多くの人に必須の内容をいつでもアーカイブから見直せるようにする目的のものが主でした」(田浦教授)

東大五月祭

東京大学の五月祭のようす(2015年)。2020年の五月祭は5月16日、17日に開催される予定だったが、中止と発表された。

YMZK-Photo/Shutterstock.com

教員のITリテラシーはまちまちで、これまでツールがあってもうまく活用できる人は限られていた。また、仮にオンライン化を推し進めようとしても、各部局がそれぞれの事情を抱える中で、具体的にどんなツールをどのように運用するのかを決めるには、内部調整や意思決定のために多くの時間を割かなければならない。

総長の鶴の一声があったとしても、約3週間という短期間で全学のオンライン化を混乱なく実現するのはほとんど至難の技といえるだろう。

にもかかわらず、このコロナ禍では実際にスムースなオンライン講義を実現できている。現場で何が起きているのか。田浦教授はまず現状を次のように話した。

「基本的にリアルで受けるときと同じ時間、コマ数なども変わらずに講義が行われています。オンライン講義にもパターンはいくつかあると思いますが、東大ではほとんどがいわゆる『双方向型』の授業です。結局それが一番シンプルなんです」(田浦教授)

「Zoomにうまく入れない」といった想定内のトラブルは一定数起きているものの、予期せぬ大きな問題はこれまでのところ起きていないという。

少なくとも、滑り出しは順調だといえるだろう。

「旗振り役」が、複雑な組織に共通認識をもたらした

東大

東京大学は、10の学部に15の研究科、11の研究所など、さまざまな部署からなる超巨大組織だ。

Postmodern Studio/Shutterstock.com

中小企業などでは、トップダウンで新事業を進めやすいという話をよく耳にする。

東大のオンライン化の試みも、一見すると五神総長の鶴の一声で一気に推し進められた結果のように見えるが、実情はどうやら異なるようだ。そもそも東大は、10の学部、15の研究科ほか、さまざまな部局からなる巨大組織。トップダウンで物事を進めるには、組織として複雑すぎる。

責任の所在が不透明な中で全体の方針だけが独り歩きしてしまうと、部局ごとに異なるルールで運用が始まってしまいかねない。それは結果的に、学生にとっても教員にとっても大きな混乱の種となる。

田浦教授は、当時についてこう語る。

「我々もその点は気をつけなければいけないと考えていて、だからこそ『先導』しなければならないと感じていました。

実は、私たちが講義のオンライン化を真剣に進めよう考え始めたのは3月初旬で、総長によるオンライン化推奨のメッセージが発表される前だったのです。世の中の情勢を見るとこういう流れになっていく可能性が高いだろうと判断して、準備を始めていました」

田浦教授が所属する情報基盤センターは、大学全体の意思決定を行う機関ではないものの、必要なサポートをする部署と位置づけられている。そこで、全学の方針が決まる前の3月13日に、教員に向けて簡単な説明会を実施した。

サポートページ

3月13日に行われた説明会用のWebページ。当時はまだオンライン化の方針が未確定だったため「オンライン化を念頭に置いた」との表記に留められている。

撮影:三ツ村崇志

「『どうなるか分からないけど、こういう風にやれば(講義のオンライン化は)なんとかなります』というニュアンスで説明会を実施しました。オンラインでの参加も可能にして、確か300〜400人程度集まったと思います。大学の方針として示される前に、教員の間で『意外となんとかなりそう』ということを実感してもらえたのではないかと思います」(田浦教授)

結果的に、3月18日に総長から「オンライン化」というメッセージが出た段階で、大学全体で(事前の説明会で共有されたような)モデルケースをイメージできたことになる。

これが、全学共通フレームのオンライン講義をそれほど大きな混乱なく導入できた一番の背景だといえるだろう。

また、田浦教授は、現在の東大総長が情報化などの取り組みに熱心であったことも大きかったと話す。

「総長のアナウンスが出たころには、オンライン授業をやっていくという雰囲気がすでに共有されており、ほかの部局からみても『方針だけが示された』という感じではなかったのではないかと思います。

この間、担当の理事ともよくコミュニケーションでき、理事を通じ総長が授業のオンライン化に積極的であるとも聞いていました。説明会の雰囲気などは、総長に伝わっていたのではないかと思います」(田浦教授)

潤沢なサポート体制の必要性

ポータル

東京大学のオンライン授業・Web会議ポータルサイト。3月に公開されて以降、順次情報がアップデートされている。

東京大学

東大では、講義のオンライン化を進めるにあたり、必要な学内システムやオンライン会議ツールについての説明、大学のサポート体制、トラブル対応などに関する情報が集約されたポータルサイトを公開している。

田浦教授は「突貫でつくりました」と話すが、内容は順次アップデートされ、細かな設定の手順動画や、5月初旬にはチャットbotによるサポート体制も完備されるなど、かなりの充実ぶりだ。

こういったサイトの開発やコンテンツの充実は、田浦教授ら情報基盤センターの教員や職員、大学総合教育研究センターや東京大学駒場キャンパスの初年次部門といった学内の横断的な協力があってこそ実現したものだという。

実は、講義のオンライン化にともない、新たに導入したソフトなどはそれほど多くはない。田浦教授はこう説明する。

システムの7割くらいはもともと大学にあったものです。ただし、使っていない人や知らない人が多かった。利用されていなかったのは、分かりやすい説明がなかったからではないかと思いました。だからこそ、オンライン講義受講のためのマニュアルなどを大幅に書き足しました」

短期間で未知の取り組みを実施する上で、ある程度のトラブルが生じるのは仕方のないことだ。そうした事態に備えて、サポート体制を当初から拡充し続けてきたことは、東大がここまで大きなトラブルなくオンライン講義を進められたもう一つの要因といえるだろう。

東大駒場

4月に入学する新入生は、東大の既存の学内システムなどにも慣れていない。

Wiennat M/Shutterstock.com

また、このポータルサイトは、この4月に入学する新入生に対するサポート体制の構築という文脈でも、大きな役割を果たした。

「もともと、新入生に向けて入学に関する情報を伝達するタイミングが3月19日に設定されていたのですが、このアナウンスに間に合うように、急遽1年生向けのページを準備することにしました。作業は相当大変でした」(田浦教授)

ウィズ・コロナ時代に淘汰されない組織の必須条件

パソコン

オンライン講義によってパソコンに集中する時間が増え、一部の学生からは疲労の声もあがっている。

Egoreichenkov Evgenii/Shutterstock.com

「学生にとって、オンライン講義の開始当初は、新鮮さもあったと思います。朝から学校に行かずに済むなど『意外と良い』と思える部分も目立ったのではないでしょうか。

しかし、講義開始から1カ月が過ぎ、オンライン講義に飽きたり、家にこもりっきりで気分が落ち込んだりする学生が、これから出てくるんじゃないかと思っています。オンライン講義を実施する期間中は、ずっと注意していかなければいけない問題です」(田浦教授)

と、田浦教授はこの先表面化するであろう、オンライン講義の課題をあげる。

また、緊急事態宣言が解除されたことで、今後はおそらく徐々にオンラインからリアルの場への回帰が起きるだろう。それと同時に、

「教材のデジタル化や講義のアーカイブなど、オンライン化のために実施した取り組みとはいえ、もともとやっておくべきだったことも見えてきました」(田浦教授)

というように、組織の形も、緊急事態宣言下で強制的に実行したスタイルと、従来のスタイルが入り混じったハイブリッドな形へと進化していくことになるだろう。

通勤

新型コロナウイルスの流行によって、テレワークや時差通勤などが大きく進んだ。流行の収束後、元に戻ってしまう組織と、ウィズ・コロナを意識したハイブリッドの組織では、どちらが時代に取り残されるのかは明白だ。

撮影:今村拓馬

この進化は、コロナと共生せざるを得ない環境で生き残る組織になるために必須の条件ともいえる。逆にいうと、このように状況が変化する小さな兆しを見逃してしまえば、これまでの積み重ねが水泡に帰する可能性もある。

緊急事態宣言は、ある意味、変われる組織とそうではない組織を見分けるリトマス紙の役割を果たしたともいえる。

もちろんこれは、大学だけの問題にはとどまらないはずだ。

(文・三ツ村崇志)

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