Lintao Zhang / Getty Images
「病院を汚染エリアとそうでないエリアに分け、汚染エリアを担当する医療スタッフは仕事が終わった後、家に帰らず隔離スペースに移動するようにした。新型コロナの患者を担当するスタッフは、病室と隔離スペースしか出入りせず、定期的にPCR検査も受けている。病室に入る際も感染防止対策を徹底し、対策ができているか監督するスタッフも1人配置した」
1268人の感染者が出た中国・浙江省の新型コロナ旗艦病院として、重篤患者の95%を受け入れながら、現時点まで「院内感染ゼロ」「患者の死亡ゼロ」「誤診ゼロ」を維持している浙江⼤学医学院附属第⼀病院の梁廷波理事長は、日本の医療専門家に院内感染防止の取り組みを聞かれ、そう説明した。
ジャック・マーとアリババが設立したプラットフォーム
ジャックマー公益基金会とアリババ基金会が発案して設立された、新型コロナの国際協力を促すプラットフォームGMCC(Global MediXchange for Fighting COVID-19)は5月29日、日中医療従事者が臨床経験を共有するオンライン交流会を開催。中国からは梁理事長ら浙江⼤学医学院附属第⼀病院の医師団、日本からは健康・医療の国際展開推進組織Medical Excellence JAPAN(MEJ)や筑波大学附属病院、順天堂浦安病院の医師ら参加した。
質疑応答では専門用語が飛び交い、日中の専門家が通訳を介さず直接英語でやり取りすることもあった。マイクが作動しない、スライドが表示されないといった小さなトラブルのほか、交流会にもかかわらず中国人同士でディスカッションを始めてしまう場面も見られた。
とはいえ、日中の医療専門家がオンラインで経験を共有し、誰もがリアルタイムで閲覧できる環境が実現したのは、新型コロナのポジティブな副産物とも言える。
ヒーローでマーは3位、ビル・ゲイツは10位
オンライン交流会では、浙江⼤学医学院附属第⼀病院と日本の2病院の感染症対策が共有された。
日中医療従事者向けオンライン交流会より
アリババによると、GMCCはこれまで世界の医療機関と18回のオンライン交流会を実施した。5月29日の日中交流会にはアリババ創業者で前会長のジャック・マー氏も顔を出し、
「ウイルスが国を越えるにはビザもパスポートもいらない。ウイルスと戦う上で最も重要なのは隔離でもワクチンでもなく、情報のシェアと協力だ」
と強調。新型コロナの発生源や世界保健機関(WHO)の対応をめぐり、米中の対立が激化していることを意識したようなマー氏の発言に、MEJの行岡哲男理事も、「ウイルスに対処するには、我々も多様性が必要」と応じた。
マー氏は2019年9月、「教育の分野に力を注ぎたい」とアリババ会長を退任。行動の自由度が広がったところに新型コロナウイルスが発生し、感染症対策に前のめりに取り組むようになった。米メディアのフォーチュンは「パンデミックのリーダー、ヒーローベスト25(2020年版)」でマー氏を3位に選出し、10位のビル・ゲイツ氏より貢献度が高いと評価した。
アフリカ54カ国に医療用具の支援
日本は政府や行政がコロナ対策を主導しているが、中国では初動が遅れて批判された政府より、専門家とIT企業が前面に出て、主役を担っている。
特にアリババとジャック・マー氏は海外も含めた政府機関、医療機関とのパイプ役も果たし、「新型コロナの総合商社」のような活躍を見せている。
浙江⼤学医学院附属第⼀病院は39カ国の医療機関をリモートで支援したと説明した。
日中医療従事者向けオンライン交流会より
3月に中国の感染が収束に向かうと、ジャック・マー氏は新型コロナが拡大した海外の支援に舵を切ったが、実は最初に選んだ支援国は日本だった。
3月2日、同氏は中国のSNSで日本にマスク100万枚を贈ったと投稿した。マー氏によると、中国で最も感染が深刻だった1月末、日本から防護服12万5000着を送ってもらったことへの恩返しの意味もあり、マスクを入れた段ボールには「青山一道 同担風雨(青山も雲雨も共に見る友よ、一緒に困難を乗り越えましょう)」という漢詩が添えられた。
5月29日のオンライン交流会でもマー氏は、「日本からの支援は、雪の中で炭を贈られたようだった」と重ねて感謝を述べている。
浙江大学医学院付属第一病院が診療した新型コロナ患者の詳細。
日中医療従事者向けオンライン交流会より
マー氏の支援先は韓国、イランへの広がり、4月上旬には同氏のSNSで呼吸器500台、ウイルス採取設備100万器、防護服20万着などをアフリカの54カ国に発送したことが報告された。その範囲の広さから、ジャック・マー氏やアリババの事業の広がりもうかがえる。
医療のデジタル化も支援
マー氏が新型コロナとの戦いで実感したのは、「国際協力の必要性」だけではない。
同氏は中国で盛んに「全ての商売がデジタル化する必要がある」と訴えるようになった。実際、マー氏のアイデアを元に2016年に誕生した、モバイル決済やオンライン注文・配達ができるハイテクスーパーは、中国人の隔離生活の大きな支えとなった。モバイル決済アプリ「アリペイ」を通じたクーポンの配布は、アフターコロナの消費刺激策の主流となっている。
「全ての商売」には医療も含まれている。
日中オンライン交流会では、ジャックマー公益財団がアリババの地元である浙江省の医療に資金だけではなく、テクノロジーの活用でも多大な支援を行っていることが明らかになった。同省では新型コロナ診療関連の遠隔カンファレンスが500回以上開かれ、オンラインでの院内感染対策セミナーも実施された。
浙江大学医学院附属第一病院での感染症対策をまとめたハンドブックは26言語に翻訳されて232国・地域に提供され、これまで110万回ダウンロードされたという。
梁理事長は、数年内に病院本部をアリババ本社の隣に移すとも語った。
スーパーからAIまでコロナ対策の総合商社に
ジャック・マ―氏の公益財団から日本に送られたマスク。
アリババジャパン提供
ジャック・マー氏個人の取り組みが、経験のシェアや海外支援に向けられているのに対し、アリババの支援は中国に注がれた。
武漢が封鎖されると、傘下のヘルステック企業と金融アプリ「アリペイ(支付宝)」は共同で、オンラインの無料医療相談を開始。
武漢の医療者向けには出前アプリのEle.me(餓了麼)、ハイテクスーパーのHema(盒馬鮮生)、オンライン旅行のFliggy(飛猪)、口コミサイトのKoubei(口碑)が、食事や生活用品を手配した。Fliggyは宿泊施設に武漢の医療スタッフに無料で宿を提供することも呼びかけ、提案後24時間で3000以上の宿泊施設が賛同を表明した。子会社の地図アプリ会社「高徳地図」は武漢の医療従事者に24時間無料送迎サービスを行った。
また、傘下の動画コンテンツ企業は、2月10日から中国の小中生向けに動画サイト、アプリを通じて無料授業を提供した。
1月末には200人の心理カウンセラーの強力を得て、オンラインでカウンセリングを受けられるサービスも始め、心理的なサポートまで踏み込んでいる。
AIでCT画像診断、的中率は96%
アリババのコロナ対策は最先端技術の応用にも及ぶ。
中国の新型コロナウイルス診断ガイドラインは感染者が大量に出ていた時期、湖北省ではPCR検査を経なくてもコンピュータ断層撮影(CT)検査の結果から新型コロナの確定診断を行ってよいと定めていた。医師はCT画像に写る患者の肺の影などの特徴から感染の有無を診断するが、大量の画像を肉眼で分析する負担は軽くなかった。
医師の負担を減らすため、アリババの研究開発組織DAMOアカデミーとアリババクラウドは2月、ディープ・ラーニング(深層学習)アルゴリズムにより新型コロナウイルス感染の疑いがあるCT画像を検出する人工知能(AI)診断技術を開発した。
アリババクラウドによると、データのアップロード後20秒で分析結果を表示し、診断の的中率は96%に達するという。同技術は3月中旬までに中国の160以上の病院で採用され、日本の医療機関にも導入されている。
アリババとジャック・マーが新型コロナ対策に多大な投資を行う背景には、同社が17年前の重症急性呼吸器症候群(SARS)をきっかけに、事業を軌道に乗せた経験も影響している。筆者の最新刊『新型コロナ VS 中国14億人』ではアリババとSARSの物語や、中国企業がテクノロジーを新型コロナ対策にどう活用したかを、さらに詳細に描いている。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。