精神科医の木下翔太郎氏。木下氏がパートナー医師として勤める「VISION PARTNER メンタルクリニック四谷」で撮影。
撮影:横山耕太郎
産業医や精神科医として活躍する、慶應義塾大学の木下翔太郎助教(31)は、2019年から文部科学省で非常勤の健康管理医も務めている。
木下氏は千葉大学医学部を卒業後、医学の道に進まず内閣府へ。3年間、霞が関で官僚を務めた異色の経歴を持つ。
現在の霞が関について木下氏は、「職員が少ない上で過酷な勤務を強いられている。今回の新型コロナウイルスで、人員不足の深刻さが浮き彫りになっている」と警鐘を鳴らす。
高い休職率「面接の時間もとれない」
木下氏は非常勤の医師として、文部科学省で面談などを行っている。
撮影:今村拓馬
「文科省では1日に20人ほどの面談を行うこともあり、一人ひとりに十分な時間を取れないこともあります。
一方で、コロナウイルスの影響で在宅勤務をする職員がいる課では、出勤している職員が電話に張り付きになっており、面談の時間すらとれません」
木下氏は週に1回、残業時間が長い文科省の職員に対し面談を行っている。それでも、民間企業に比べて霞が関のメンタルサポート体制は十分ではないという。
人事院の公務員白書によると、2017年度にメンタルヘルス不調で休業した国家公務員は1.38%。厚生労働省の 労働安全衛生調査(実態調査)によると、全業種の平均は0.4%で、一番高い業種「情報通信業」「金融業、保険業」でも1.2%。国家公務員の休職の割合が特に高いことがわかる。
メンタルケア 民間企業と格差
木下氏は国家公務員のメンタルケアについて、民間企業に比べて制度が不足していると指摘する。
撮影:今村拓馬
民間企業では労働安全衛生法により、従業員1000人以上の企業の場合に専属の産業医を置くことや、企業規模に応じて国家資格を有した衛生管理者を1~6人置くことが義務付けられている。
一方で、国家公務員の労働環境に関する人事院規則ではこれらに相当する規則はない。健康管理スタッフの人数は各府省の判断に委ねられているのが実情という。
「常勤の産業医・衛生管理者がいれば、定期的な面談やその後のフォローをはじめ、上司への聞き取りや仕事内容の検討も含めたサポートもできる。
非常勤で勤務時間が限定され、例えば一人5分もない面談時間しかとれない状況になってしまえば、面談を受ける側も『そんなものか』と感じてしまうでしょう」
2019年4月の働き方改革関連法施行に合わせ、人事院規則も一部が改訂。「1カ月に100時間以上」の超過勤務があった場合などに、医師による面談が義務化された。
「民間企業の場合、本人の申し出なしの面接指導は一部に限定されています。その面だけをみると霞が関の労働者は守られているように見えますが、対象者全員を面談するにしても現状では医師の数が足りていません。
制度だけを見て『全員面談しているから大丈夫でしょ』と捉えてしまうのは問題です」
年間350時間、残業が常態化
「私が働いていた当時から霞が関の人材不足は変わっていない」と話す木下氏。VISION PARTNER メンタルクリニック四谷で撮影。
撮影:横山耕太郎
木下氏が問題視しているのが、霞が関の慢性的な人員不足と残業の常態化だ。
人事院による「国家公務員給与等実態調査」によると、本府省(中央省庁)に勤務する国家公務員の超過勤務は、2017年には年間350時間、月平均29.2時間だった。
「一般労働者の平均の所定外労働時間は年間131時間で、国家公務員は多忙であることが分かります。
実際には、この数字よりも多く『サービス残業』している職員も多いのが実態と言われています。残業が多いのに給料が増えないことで、いくらがんばっても報われないという気持ちにつながらないか心配です」
新型コロナの影響で、業務量が増加している霞が関。人員不足はさらに深刻になっている。
「霞が関の仕事は、自分でコントロールがきかない他律的な業務が多いのが特徴です。
大きな問題が国会から降ってきたり、現場からの問い合わせに追われたり。そうした業務に対応するためには、本来ならば人員に適度な余剰が必要で、コロナのような緊急事態はなおさらです。
国会対応で深夜までの業務が続くとなれば、民間企業なら交代で勤務する人員を確保するのが普通だと思います。私が官僚だった当時から感じていましたが、その状況は変わっていません」
連日深夜2時まで働いた官僚時代
官僚時代は国会対応のために、深夜まで業務が続くことも少なくなかったという。
撮影:今村拓馬
内閣府で3年勤務した後、研修医を経て精神科医になった木下氏。
なぜ官僚になり、そしてなぜ再び霞が関に関わっているのか?
親が精神科医だった影響で医学部に進学した木下氏だったが、少子高齢化問題への関心から、官僚を志すようになったという。
「霞が関に入って3年目で子育て支援制度の担当になり、少子化問題に取り組むことができました。
当時は国会答弁の用意のために、毎日午前2時3時にタクシーで帰ったり、終電で帰ったりしていました。土日も出勤して、休みがあれば1日寝ていました。深夜に食事をすることも多くなり、今より10キロも太っていました」
そんな生活の中で、知り合いの官僚が精神疾患を患うこともあったという。
「みんな『自分は大丈夫だ』と思いがちですが、そうではありません。特に睡眠と食事がとれなくなると、メンタルヘルスを崩す危険性は大きくなってしまいます」
「必死に働いているのは医療従事者だけじゃない」
「季刊 行政管理研究」に掲載された国家公務員の健康管理についての論文。
撮影:横山耕太郎
霞が関ではやりたい仕事に関われていた。しかし、そのうち「場当たり的に取り組まざるを得ない」環境ではなく、勉強する時間を確保したいと考えるようになったという。
「少子高齢化社会にどう日本をアジャストしていくのか。そういった答えのない問題に立ち向かうためには、研究する時間が必要でした。そこに葛藤を感じるようになり、医師になる決心をしました」
一度は霞が関を離れて精神科医になった木下氏だが、その後、巡り合わせでまた再び霞が関と関わるようになった。
そこで、公務員の人材不足への理解が進んでいないことにあらためて憤りを感じ、国家公務員の健康管理に関する論文を発表した。
「医療従事者への感謝を示す運動が広がり、ブルーインパルスの飛行が行われました。もちろん、医療従事者の献身的な活動には頭が下がる思いです。
ただ、集団感染が起きたダイヤモンドプリンセス号の対応や、学習環境の確保など、現場で必死に働いている霞が関の職員の苦しい現状にも目を向けてほしい」
厳しい環境で働く霞が関職員を支える必要性は増しているという。
「霞が関で面談を行っている医師の中には、『転職するので面談はもういいです』と言われた人もいます。中途採用を含めもっと人材を増やす必要があります。
国を支えているのは霞が関。そこで働く職員を、できる限り支えていくことが私の仕事だと思っています」