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ポストコロナを生き抜くための新たな指針「ニューノーマル」とは何か。各界の有識者にインタビューをしていくシリーズ。
国連事務次長の中満泉さんに聞く後編では、コロナ後の軍縮問題における課題やコロナ危機における日本の役割などを聞いた。
—— ご担当の軍縮分野で、4月下旬にコロナ危機で延期となった核不拡散条約(NPT)再検討会議の見通しはどうなるのでしょう。
NPT再検討会議は暫定的な日程が押さえてあり、2021年1月4日から4週間となっています。参加者が約1500人と多く、しかも4週間と会期が長いので、国連の会議場にその人数を収容できるいうことで、その日程になりました。ただ1月4日に1500人が集まれるのかというのはまだ不透明です。
一方、発効50周年の2020年4月下旬に向けて高まっていたモメンタムを失わないように、Zoomなどを使ってNPT締約国をつないで協議し、どうやって会議で成果を出せるのかという作業も続けています。締約国以外でも、専門家を呼んだ話し合いで、議論のポイントを炙り出しています。
5月28日にも国連軍縮部とロシア、アメリカ、ウィーンの3つのシンクタンクをつなぐNPTに関する会合を開きました。議長国であるアルゼンチンや、イギリス、スイスなどの大使も参加しましたが、1、2週間に1度ぐらいのペースで会合を定期的にやっています。
中満さんの担当である安全保障の分野では各国の対立が表面化しやすいという(2017年11月10日撮影)。
REUTERS/Tony Gentile
——進めるに当たって、問題点はありますか。
悪い材料はたくさんあります。近年あらわになった米露の対立、そしてコロナ危機となってからは米中など大国同士の緊張関係が各分野で高まっています。安全保障分野では対立の構図が出やすいものです。
だからこそ舞台裏の外交で各国が米露中にそれぞれ働きかけたり、妥協点を見出す努力を続けています。会議は一旦延期になりましたが、その分時間をかけて懸念材料を一つひとつ解決していける、つまり延期を逆にうまく生かしていきましょうというメッセージを私は発信しています。
——核兵器禁止条約の進展状況も教えてください。
これは50カ国の批准書が集まらないと発効しないのですが、中央アメリカのベリーズが5月下旬、批准書を事務総長に寄託し、37カ国が批准となりました。この批准がどの程度のスピードで進むのか分かりませんが、実は、NPT条約枠内での核軍縮が遅々として進まない中、世界の多くの国で「これはちょっとおかしいんじゃないの」いう焦燥がたまったことで、核兵器禁止条約は早いスピードで交渉・採択となりました。
通常は条約がこれだけの短い期間で採択されることはなかなかありませんが、おそらくそれだけ焦燥や怒りというものが各国で強かったのかと思います。
現在は、条約採択にも大きな役割を果たした国際的な市民団体のネットワーク組織のICANや、条約交渉の中核グループのオーストリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国などがいろんな形で条約発効のために活動しています。
コロナ危機でさらに米中など対立が深刻化している。
REUTERS/Aly Song
——軍縮分野全体については、コロナ危機後、どんな課題がありますか。
第1に今回のパンデミックを機に、米中対立が全面に出てきたのは、大きな懸念材料です。今のところ、安全保障、軍縮分野では核兵器の保有国が歩調を合わせて進んでくれないと、前に進まないんです。
第2に、従来からの安全保障の考え方、つまり軍事力による安全保障ということでは限界があるということを認識し始めてきた人が増えたのではないでしょうか。
日本が進めてきた“人間の安全保障”のように、やはり“人間”を安全保障の中心に据えるべきだということです。目に見えない感染症というものがこれだけ世界を危機に陥れるということがはっきりしたわけですから。できれば安全保障についての考え方を変えていく、あるいは進展させていく必要があると思います。そこを理解し気付いた人が増えたのではないかと期待しています。
——具体的にはどんな考え方が必要になるのでしょう。
軍備を拡張するだけでは、世界は安全にはならないのです。そもそも安全保障というのは、自ら自衛できる軍事力があること、それ以外に、外交、交渉、対話も安全保障のツールです。
さらに私たちが進めている軍縮、軍備管理・不拡散というものは、夢物語ではなく、そもそも安全保障のツールとして形成されてきたものです。
例えば米ソの冷戦時代、この軍事超大国はこのことを理解していました。これ以上の軍備拡張は自分たちにとっても危ないし解決にならない、交渉で軍縮を約束し、条約を結ぼうという認識があった。それが今回、再認識されることが必要ではないでしょうか。
日本も日米安保だけが安全保障という捉え方でなく、さまざまな外交的努力、そして信頼醸成や地域安定化のための多国間のメカニズムを考える、といった努力も必要になるのではないでしょうか。その一環として、軍縮のための外交努力も捉えてほしい。
ポストコロナ時代に向けて、国家間でも国際協調を模索する動きが続いている(6月3日、ベルギー・ブリュッセルで)。
Olivier Hoslet/Pool via Reuters
欧州には、欧州安全保障協力機構(OSCE)という組織があり、これは冷戦時代に作られた信頼を醸成するためのメカニズムが組織化されたものです。根っこは、安全保障を信頼醸成で高めていこうというものです。
安全保障はそもそも多面的多層的な努力を戦略的に組み合わせるものであって、こういったさまざまなツールをもっと有機的に組み合わせていったらいいと思う人が、コロナ危機を機に増えたらいいなと思います。実際そう考える人たちとオンラインでコミュニケーションをとっています。
私の周りでもコロナで家族を失った人がいるので、これを機会にという言い方は抵抗がありますが、これでより良い社会にしていければと望んでいます。
——安全保障のビジョンを変えるということで、中満さんとして正式にメッセージは発信されていますか。
軍縮とパンデミックという軍縮部の正式なメッセージで、人間の安全保障にもっと焦点を当てようと打ち出しています。
安全保障を取り巻く環境は激変しています。例えば科学技術がものすごいスピードの進展し、サイバー・セキュリティ、人工知能(AI)、宇宙の軍事化、音速の6倍で飛ぶミサイルが開発されている、つまり核兵器を持っていれば安全かというとそうではない環境になっています。
いろんな意味で安全保障の新しいビジョンを作っていかなければならないということも含めて、各国が安保というものを多層的に、考え直さなくてはならない時なのでしょう。
私たち国連内部の者や専門家たちのみが自主的にブレインストーミングをしていくだけでなく、国連加盟国からも政策担当者や専門家も集めて、インフォーマルに考える場があるとよいのだと思います。こうした考える場や話し合うプラットフォームを作っていくのは、国連の重要な役割です。
——そうしたビジョン見直しを進める上で難しい点はありますか。
今の段階でフォーマルに進めるのはちょっと難しいと思います。むしろ、今の段階はアイデア出しです。私はアメリカ、ロシア、中国とも関係を密に話をしています。皆さん、これだけ環境が変わったから新しいビジョンは必要だね、とは思っている。具体的な内容はかなり異なるのだろうと思いますが、これから新しい知恵、アプローチを生み出していく時期に来ていると思います。
一方で、全ての分野で新しいことをやっていくには、突っ込んだ、さまざまな知見を集めた話し合いが必要です。国連は専門的知見を持ちながら、政治的な中立を守ることで加盟国の信頼を維持し、話し合える場を提供していくのも役割です。
無人兵器など軍事面の進展は著しい。安全保障を取り巻く環境は急激に変化している。
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——中満さんのように国際機関で働いていらっしゃる方が今後、危惧されていることを教えてください。
大国同士の緊張関係が心配です。国連という組織は、5カ国の常任理事国(P5)が協調してこそいろんなことが可能になるという仕組みです。安全保障理事会が今のような状況なのは、国際機関にとっては厳しい。
ただ、私は比較的楽観的な人間です。
国連で面白いのは中小国でも興味深いイニシアチブやアイデアを持っている国、例えば北欧など欧州の国が多いのですが、そうしたことを理解しているミドルパワー、自覚している国が活躍できることです。こうした各国が力を合わせてイニシアチブを立ち上げてくれれば、事務局もサポートしていけるのです。
——国際機関において、日本の存在感はどうなのか、また日本ができることはありますか。
日本から、(日本が進めてきた)人間の安全保障について、コロナ危機が始まるまでは、しばらく聞こえてきませんでした。しかし、コロナ危機が始まり国連が最初に人道支援でアピールした時に、日本政府が反応してくれましたのはいい動きだったと思います。このことを日本の人にもきちんと伝えていくべきだと思います。
今回のパンデミックほど、みんなが安全でなければ、誰も安全ではないという状況で、国際協調において日本が中心にいるということは、日本人にとっても重要なことだと理解するべきでしょう。
さらにシングルマザーが最も不利な立場に置かれるなど、日本国内の格差をなくしていくことも大切です。国際協調で人権に取り組んでいこうとする国は、国内的にもそういう問題にきちんと対応している。そういうことも日本の人たちにも知って理解してもらいたいです。
日本の中の身の回りの問題を解決していくことは、自分たちのためだけでなく、海外のいろいろな問題解決につながるということを理解することが、日本にとっても重要だと思います。
(聞き手・構成、津山恵子)
中満泉(なかみつ・いずみ):フェリス女学院中高、早稲田大卒。ジョージタウン大学外交大学院で修士号。国連平和維持活動局、事務総長室および国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などを経て、2014年から国連開発計画(UNDP)総裁補・危機対応局長、2017年から国連事務次長兼軍縮担当上級代表。