撮影:鈴木愛子
ミライノツクリテたちには、連載の最後に「28歳の自分に今、声をかけるとしたら?」と聞いている。
根本真紀さん(40)はなんと答えるだろうか。
28歳は法テラスを辞め、空っぽになって山小屋にこもる前の年です。本部に異動したら、人間関係や業務内容がつらくて。管理業務は肌に合わなかった。ミクロで人と1対1で突き務めていくことで社会の歪みを認識できる。そんな現場が好きだったので、悶々としていました。苦しかった。
だから、「こうありたいという自分にとらわれなくていいよ」と言ってあげたい。「肩ひじ張らなくてもいいよ」って。今、40歳ですが、28歳のとき、40歳の自分はもっと立派な大人になっているんだろうな、なんて、勝手に思っていた。
実際になってみると、そうでもなくてまだまだ未熟者。でも、何とか生きている。だから、「意外と何とかなるよ」って、言ってあげたいですね。
「思い切り自分のしたいことを」という先輩からのメール
撮影:鈴木愛子
28歳で悶々としていた、その少し前のことです。
私に仕事を教えてくれた3つ上の女性が、最初うつになった。お休みしていたら、少しして急性白血病を発症しました。仕事に生きがいを持っていて、とても尊敬していた先輩です。すごくショックでした。
私が山から下りてきた年、容態は徐々に悪くなって。亡くなる少し前に、ご自分の家族や友人一人ひとりにメールや手紙を書いたようです。私にもメールを送ってくださいました。
「思い切り自分のしたいことを成し遂げてほしい」
そうと書いてくれた。だから、そこはやらなくては、と思っています。
33歳で亡くなりました。その後転職先への採用が決まったときに「お祝いだよ」と贈ってくださった名刺入れは、今も使っています。
撮影:鈴木愛子
もうひとつ。
「自分を開けば何とかなるよ」と言ってあげたい。よく相談員をされている方から「心を開いてくれない人には、どう接したらいいですか?」と尋ねられるのですが、「まず自分を出そう」と伝えます。
自分のことは秘密だけど「あなたはしゃべってね」では、コミュニケーションはなかなかうまくいきません。それに、自分を出して発信していけば、誰かにつながれる。そう思っています。私も子どものときからうまく自分を出せる人間ではなかったし、成人してもベクトルがぎゅーっと内向きになっていました。
少し変われたのは、前職の社協に行ってからでしょうか。その地域には盆踊り文化で、夏の大江戸祭り盆踊り文化があって、夏には区の事業で盆踊り大会が開かれます。巨大なやぐらのまわりに、七重、八重になってみんな踊りまくる。子どもも若者も、老人も、障害のある人や外国人も。踊りは人をつなぐと実感しました。
そこで日本酒を飲み交わして、地域の人たちと仲良くなりました。
盆踊りも「見る阿呆」ではだめ。最初は恥ずかしかったけれど、輪の中に入って踊って「あなた、下手ねえ」と言われながら、おばちゃんたちに仲間に入れてもらう。そういう文化なんです。
以来、盆踊りが趣味になりました。最近は忙しくて行けてないのですが、好きな時に好きなところに踊りに行く。どこに行っても会う人、野良盆ダンサーみたいな人もいますね。
そうやって自分を開いていけば、それなりに助けてくれる人はいる。そんな実感を持てるようになりました。特に文京区に来てからは、そのことを強く感じています。
問われているのは支援する側
撮影:鈴木愛子
今、コロナの影響で、生活が大変な方、しんどい方がどんどん増えています。風俗の方など、見えざる人たちの姿も見えてきました。と同時に、上のほうの不具合も顕在化している。コロナウイルスは、社会を映す鏡でもあると感じます。
だからこそ、こういうときに問われているのは、むしろ支援する側なのだということを忘れないようにしたい。社会課題に対する怒りや憤りを失わないようにしたい。そうしないと、驕りが出てくる。まったく現場に入らないと、そのあたりがブレるのではないかという不安もあります。
今、本業は中間支援職なので、現場の感覚を失ったらいけないと思ってやっている。「課外活動7割」には、そんな意味もあります。やらないと三流コンサルみたいな感じになってしまう気がして。と同時に、その支援を「何のためにやるのか」という大義も、置き去りにしないようにしたい。
大阪府豊中市の社会福祉協議会の福祉推進室長の勝部麗子さんを、尊敬しています。全国で第一号のコミュニティソーシャルワーカーです。地域住民の力を集めながら数々の先進的な取り組みをし、地域福祉のモデルにもなっている。その方の言葉を、自分の中で大事にしています。
「人生をあきらめかけている人たちよりも先に、私たちがあきらめちゃいけない」
投げ出したくなるとき、いつも思い出します。本人のほうがしんどいのに、こちらが投げてしまうと、心のよりどころがなくなってしまいます。
すぐには打開できなくても、寄り添い続けられる。道なき道を一緒に歩んでいく。
そういう存在でありたいと思っています。
(敬称略、完)
(文・島沢優子、写真・鈴木愛子)
島沢優子:筑波大学卒業後、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』の人気連載「現代の肖像」やネットニュース等でスポーツ、教育関係を中心に執筆。『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『部活があぶない』『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』など著書多数。