人は昔から不安や不満、不条理な人生を乗り越えるための知恵として宗教を必要としてきた。 これまで信仰とは無縁だと思っていたシマオだが、七五三や葬式など、宗教行事は毎回行っていたことを思い出す。 「そういえば、なぜ日本には仏教と神道、2つの宗教があるのだろう……」。ふと疑問に思ったシマオは、佐藤優さんに日本人の宗教観を聞いた。
日本人は本当に「無宗教」なのか?
シマオ:新型コロナとかで命の危険とかを感じた時に、宗教の考え方が大切になってくる。それは分かりましたけど、日本人ってやっぱり無宗教の人が多いですよね。
佐藤さん:本当にそうでしょうか。シマオ君は、日本に宗教の信者が何人いるか知っていますか?
シマオ:まったく知りません……。
佐藤さん:2019年の文化庁の統計では、日本のあらゆる宗教の信者数の合計は約1億8000万人です。
シマオ:えっ…! 人口より多いなんて、おかしくないですか?
佐藤さん:つまり、無宗教の人もいますが、複数の宗教を信じている人がたくさんいるわけです。もちろん、毎日礼拝を欠かさないといった強い信仰ではないでしょうが、信仰は信仰です。ですから、日本は無宗教とは言えないのですよ。
シマオ:確かに、実家には仏壇と神棚がありましたから、仏教と神道を信じているうちに入るってことですね。
佐藤さん:そうした日本的な宗教の信じ方を、専門用語では「シンクレティズム(宗教混交)」と呼んでいます。例えば、結婚と葬式で宗教の違う国というのは珍しいことです。
シマオ:ほとんどの結婚式は教会か神社、なのに葬式はお寺……。
佐藤さん:よく言われることですが、七五三のお宮参りをして、クリスマスを祝い、ハロウィーンで羽目を外す。やっている人は信仰などと考えていないかもしれませんが、どれも宗教的行事です。
シマオ:コロナの影響で、疫病を予測するアマビエなんて妖怪まで話題になっていましたね。
佐藤さん:死の脅威が近付くと、宗教的な考え方を求めるようになるのは現代も変わっていないということです。
シマオ:なるほど。あまり考えたことなかったんですが、日本の宗教ってどんな歴史をたどってきたんでしょうか?
800万の神様の正体が仏様
佐藤さん:そもそも、日本のメインの宗教は何だと思いますか?
シマオ:天皇がいるから、やっぱり神道でしょうか……?
佐藤さん:さっきシンクレティズムという話をしましたが、明治になるまでは、仏教と神道が一緒になっていたという見方が正しいでしょうね。天皇も出家することがあったのですから、政治的に見れば、圧倒的に仏教がメインです。明治政府は、天皇中心の国家をつくるために神仏分離令を出しましたが、それまでお寺と神社はほぼ一体だったのです。
シマオ:確かに、同じ敷地にお寺と神社が隣り合って並んでいることがありますよね。そういうことだったのか。
佐藤さん:難しい言葉ですが、それを「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」と言っています。
シマオ:ほんじすいじゃく……?
佐藤さん:そもそも、国家神道は明治時代につくられた宗教であって、そもそもの神道は、各地の民間信仰みたいなものです。仏教は聖徳太子の時代に中国から輸入されたものですから、それまでの日本にはそうした土着の信仰がたくさんあったわけです。
シマオ:読んだことないですけど、『古事記』とかにいろいろ書いてあるんですよね。
佐藤さん:はい。仏教を日本に持ってきたときに、布教者たちはどうやってアピールしたと思いますか?
シマオ:仏様を信じるといいことがあるよ……みたいな?
佐藤さん:それももちろんですが、あなたたちが拝んでいた日本古来の神様というのは、仏様がこの世に現れたときのお姿だったんだよ、と言って仏教を知らない人たちを安心させようとしたんですよ。
シマオ:つまり、仏様のほうが神様の正体だった、ってことですね。
佐藤さん:それを「権現(ごんげん)」というのですが、例えば天照大御神(アマテラスオオミカミ)は大日如来が権現したものだし、熊野の神は阿弥陀如来が権現したものだというのです。
シマオ:へえ。違う宗教なのに、無理やり一対一対応させたなんて。結構いいかげんですね。
佐藤さん:よく言えば、宗教に対して排他的ではないということで、いわゆる宗教戦争みたいなものは日本ではほとんど起きていません。
違う宗教がうまく併存していきた日本は、世界でも稀有な存在だと佐藤さんは言う。
宗教も、生き残るためにはビジネスが大事
シマオ:でも、佐藤さんが信仰されているキリスト教は、日本ではあまり広まりませんでした。江戸時代はキリスト教弾圧もありましたよね?
佐藤さん:もちろん、秀吉から江戸時代にかけてのキリシタン弾圧の歴史とか、信長による一向宗焼き討ちなど、特定の宗教への圧力がまったくなかったわけではありません。時の権力者の意向に合わなかった宗教は、排除されがちです。
シマオ:生き残る宗教とそうでない宗教の違いって、どこにあるんでしょうか?
佐藤さん:1つは、その国の土壌に適合するかどうかという側面があります。遠藤周作の『沈黙』を読んだことはありますか?
シマオ:読んだことはないんですけど、マーティン・スコセッシ監督の映画は見ました! 日本に布教に来たキリスト教の宣教師が弾圧の中で棄教を迫られるんですよね。
佐藤さん:遠藤周作は自身もカトリックのキリスト教徒だったのですが、登場人物の1人、すでに「転んでしまった」(=棄教した)元宣教師に、次のように言わせています。「日本は、キリスト教という苗の育たない『沼地』のようなところだ」と。
シマオ:日本という風土が、キリスト教に向いていない……。
佐藤さん:それと意外に見過ごされがちですが、生き残る宗教というのは教義うんぬんというよりも、その土地のビジネスと相性がいいかどうかというのが大切なことでもあるんです。
シマオ:ビジネス? 急に現実的な話になりましたね。
佐藤さん:例えば、信長はイエズス会の宣教師たちにキリスト教の布教を許しましたが、なぜでしょうか? 貿易が目的だったと考えるのが自然です。
シマオ:鉄砲とかを手に入れたい、と。
佐藤さん:そうです。信仰とは別の利益があると、布教の力は大きくなるのです。面白い話ですが、明治時代の日本の商社員には、実はイスラム教徒になる人が結構いたんです。
シマオ:へえ……なぜですか?
佐藤さん:少し前にイスラム金融という言葉が話題になりましたが、イスラム教には利子という考えがない。それに、イスラム教徒かそうでないかで物の値段が変わるんです。つまり、イスラム教徒であると、商談が有利に進められるのです。
シマオ:そのために改宗するんですか! それでいいのかなあ……。
佐藤さん:歴史を越えて生き残ってきた伝統宗教には、時代に合わせて衣替えをしていく強さがあります。資本主義の時代なら、それに即したものにならなければなりません。ですから、宗教の方もそういう人を受けいれることに寛容になっているのです。
シマオ:資本主義によって宗教も形を変えてきているということですね。葬式仏教なんて言われたりしますけど、それも同じことでしょうか。
佐藤さん:今はそこまでやる家は少なくなったかもしれませんが、仏教では法事は50回忌まであります。だから最初の葬式をやってもらえれば、何年も続く優良顧客になるのです。
シマオ:ちょっと前に、お坊さんをネットECで派遣するサービスが話題になりましたよね。結構批判があって中止になったり……。
佐藤さん:新しいことを試みて批判があるのも、宗教が変わろうとしていることの表れと言うことができますね。
新興宗教と伝統宗教の違いはどこにあるか
シマオ:正直、宗教って聞くと、新興宗教のほうを思い浮かべてしまうんですよね。僕はまだ小さかったのであまり記憶にはないんですが、オウム真理教の事件とか……。
佐藤さん:救済のためなら殺人も許されるという論理で、地下鉄にサリンをまいて多くの死傷者を出しました。信仰の度を越して、社会に損害を与えてしまったわけですね。よく知られていますが、ロシアではオウム真理教の信者が多数いて、日本よりも先にその脅威に気付いていたんです。
シマオ:そうなんですか! でも、オウムって仏教系の新興宗教ですよね。なんでロシアで受け入れられたんでしょうか?
佐藤さん:ロシアにはニコライ・フョードロフ(1829-1903)という、近未来には自然科学と宗教の融合が起きて万民が救済される、という思想を持った人がいました。彼は、当時すでにロケットの基本的な構想を考えていた異才です。 実は、オウム真理教は彼の思想からも影響を受けており、その意味ではキリスト教の終末論の要素も取り込んでいたのです。
シマオ:いろいろな要素を取り込んだ宗教だからこそ、信者を集められたってことですかね……。そもそも、オウム真理教のような狂信的な新興宗教とそうでない宗教の違いって何なんでしょうか?
佐藤さん:実のところ、大した違いはないと思いますよ。当たり前ですが、キリスト教だって生まれたときは新興宗教でした。長い時間を経て「毒抜き」がされているかいないかの違いでしかありません。
シマオ:「毒抜き」というのはどういうことでしょう?
佐藤さん:現実の社会に適合するように変わることです。プロテスタントを生み出した宗教改革の中心人物であるマルティン・ルターですら、当時ドイツの封建諸侯に対して反乱を起こしていた農民たちを「殺してしまえ」と主張しました。その理由は、農民たちの救済のために、これ以上罪を犯させてはいけないというものです。
シマオ:え、ルターって意外と残忍なんですね。救済のための殺人って、オウムと変わらない……。
佐藤さん:そうです。まさにオウムの言っていた「ポア(オウム真理教が殺人を正当化するために使用した言語)」と同じ論理です。宗教には多かれ少なかれこうした「狂気」に近い要素が含まれますが、現代において他人に危害を加えることは法律的にも、人権など普遍的な概念から見ても許されることではありません。
シマオ:そこが新興宗教を見分けるポイントだということですね。
※本連載の第19回は、6月17日(水)を予定しています 。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2019年6月執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的に言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)