臨時休校を終え、学校再開がはじまる一方、再度の休校が来ない保証はどこにもない。ニューノーマルへの備えという意味でも、GIGAスクールが持つ意味は大きいが、必ず出てくる課題も見えてきた。
撮影:今村拓馬
文部科学省は令和2年度補正予算案において、今後数年にわたって実現する計画だった生徒1人1台のPCを実現する「GIGAスクール構想」を前倒しして、今年度中に実現する計画だ。予算規模にして、もろもろ合わせて4269億円という巨額の資本投下をめぐる動きは、「戦国時代の様相、グーグルvs.マイクロソフトの「教育IT国取り合戦」【勢力図編】」で書いた通りだ。
マイクロソフトとグーグルの2社にとって、「自社サービスを市区町村の教育委員会に選んでもらうこと」は、実はデバイス(PC)を売ること以上に重要だ。というのも、デバイスというのは簡単に乗り換えることができる。そもそもグーグルもマイクロソフトも教育向けのデバイスとして提供しているOSからの売り上げはゼロに近いほど微々たるものだ。
令和元年度補正予算から、令和2年度補正予算案を経て「一人1台端末」のロードマップは一変した。大幅な予算投下で、一気に2020年中に実現を目指す計画に変わった。
筆者提供の情報をもとにBusiness Insider Japanが作成
これに対して、クラウドサービスは一度使いだすと、他のサービスに転出することはほとんどない。利用者にとって(手間も含めた)移行コストが大きいことと、結局ユーザーにとって使い慣れたサービスが一番だから、離れないのだ。
さらに、人生の早い段階でサービスに慣れ親しんでもらえば、その後長きにわたって自社サービスの「優良顧客」になり続けてくれる可能性も高まる。マイクロソフトやグーグルにとっては、一種の青田買いの側面がある。
このため、マイクロソフトもグーグルも、クラウドサービスを基本的には無償で提供している。具体的には、以下のような料金体系になっている。
グーグルとMSの教育クラウドのコストの違いは?
両陣営の教育クラウドの料金プラン例。グーグルは「無償」など手頃な利用料金をアピールする戦略。
各社提供の情報をもとにBusiness Insider Japanが作成
グーグルの「G Suite for Education」に関しては、基本的なプランはすべて無償で提供している。容量無制限のクラウドストレージ、生産性向上ツール、電子メールなどの基本的な機能は無償で利用できる。ただし、一部教師などが必要とするような大規模なリモート会議機能やセキュリティ機能などを含んだ「G Suite Enterprise for Education」に関しては有償、というものだ。
G Suite for Educationのプランを説明するWebサイト
これに対してマイクロソフトのMicrosoft 365 Educationは3つのプランを用意する。グーグルのG Suite for Educationに相当する「A1」は無償、それにPCなどでのOfficeアプリケーション(Word/Excel/PowerPoint/Outllok)を含む「A3」や高度なセキュリティ機能を持つ「A5」は有償。
シンプルに言えば、クラウドサービスだけを使う場合には無償だが、Officeアプリケーションも使いたい場合には追加料金が必要になるということだ。
Microsoft 365 Educationのプランを説明するWebサイト
両社ともこうしたクラウドサービスの提供の仕組みは、企業向けに対して行なっているものと同じ。つまり、都道府県や市区町村の教育委員会が、「テナント」と呼ばれる契約主体として両事業者と契約する。その後テナントが、ユーザーとなる生徒や教師に対してIDを発行していく仕組みとなる。
こうした国取り合戦が今、どういう状況にあるか。各陣営は筆者の取材に次のように説明している。
グーグル陣営…Google Classroom
Google Classroom。
オンライン会議にて、筆者キャプチャー
都道府県の教育委員会や市区町村の教育委員会にとって、両社のクラウドサービスを契約するメリットは、両社が包括的に提供するクラウドサービスの充実度だ。
例えば電子メールはグーグルであればGmail、マイクロソフトであればExchange Onlineという、いずれもビジネス向けとして定評のあるクラウドベースの電子メールが利用できる。クラウドストレージであればGoogle Drive(容量無制限)とOneDrive(条件付きで容量無制限)などが、それぞれ利用できる。
Google for Education アジア太平洋地域 マーケティング統括部長スチュアート・ミラー氏。
オンライン会議にて、筆者キャプチャー
さらに、今何よりも注目を集めているのが、「教育向けのコラボレーションツール」だ。ビジネス向けであればSlackなどが注目を集めているが、その教育版と言っていいのが「Google Classroom」だ。Google for Educationアジア太平洋地域 マーケティング統括部長スチュアート・ミラー氏は筆者の取材に次のように語った。
「現在もっとも人気を集めているツールがClassroomだ。米国でグーグルの教育ソリューションが人気を集めて高いシェアを獲得した理由の1つがClassroomであり、特に遠隔授業が必要な状況になってからは、多くのお問い合わせを頂いている」(ミラー氏)
Classroomは教職員と学生、父兄などがSlackのようなコラボレーションツールを使っているように相互にやりとりできたり、教材をオンラインで配布して課題を生徒に解かせたりできる。グーグルは米国の教育市場で過半数を超える市場シェアを持っているが、ミラー氏の言葉の通り、その最大の理由がこのClassroomの利便性なのだ。
マイクロソフト陣営…Microsoft 365 Education
Microsoft Teamsの画面。
オンライン会議にて、筆者キャプチャー
同じ事はマイクロソフトにも言える。マイクロソフトは企業向けに提供してきたTeamsを、教育向けのMicrosoft 365 Education向けにも提供している。Teamsは、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、グローバルでユーザー数が爆発的に増加している。
マイクロソフトは4月29日に発表した2020年第3四半期(2020年1~3月期)の決算報告で、TeamsのDAU(デイリーアクティブユーザー)が7500万ユーザーになり、 2019年7月から5.8倍に急増したことを明らかにしている。世界的なテレワークの高まりが背景にある。
日本マイクロソフト・業務執行役員 パブリックセクター事業本部 文教営業統括本部 統括本部長 中井陽子氏。
オンライン会議にて、筆者キャプチャー
Teamsを利用すると、グーグルのClassroomと同じように教師、生徒や父兄がコミュニケーションできたり、他のソフトを必要とせずTeamsだけでオンライン授業が可能になる(G Suite for EducationではMeetという別サービスを利用する)。
このため、特に緊急事態宣言下ではオンライン授業に注目が集まっている。
日本マイクロソフト 業務執行役員 パブリックセクター事業本部 文教営業統括本部 統括本部長 中井陽子氏によると、「Teamsは特に伸びており、2019年の2月に比較してデイリーアクティブユーザーは約2300倍になっている」と言い、特に大学でのTeamsの利用が増えているとする。
「東京都ではMicrosoft 365のアカウントを一人一IDを配布する計画だ。東京都のプランはとてもアグレッシブでMicrosoft 365を利用して学習効果を数値化してそれをもとに学習プロセスを加速しさせていく」(中井氏)
単にクラウドサービスとして導入するだけでなく、企業でも行なわれているような成果を数値化して客観的に見る仕組みを導入する計画とのことだ。
渋谷区の大量導入が決まっている「Surface Go 2」(出典:マイクロソフト)
出典:マイクロソフト
また、5月13日には、同社が発売しているWindowsデバイス「Surface Go 2」のハイエンドモデルと学校用のデジタルペンのセットを東京都渋谷区が区立の小中学校全26校に通う全生徒1人1台となる1万2500台の導入を決定したことを明らかにした。
渋谷区は既にMicrosoft 365 Educationを導入済みで、今後はSurface Go 2とセットで渋谷区の区立小中学校の全生徒が利用できることになる。
今後は、住んでいる市区町村によって、受けられるIT教育が大きく変わってくる「IT教育デバイド」が起こる可能性がある。
市区町村が子供のIT教育に力を入れているか、それも住む場所を選ぶ際に重要なポイントになっていく可能性もあるだろう。
教育ITの「分断化」で浮上し始めた課題…生徒のデータは誰のもの?
5月末の取材時点での、マイクロソフトとグーグル各陣営の教育クラウドの導入発表状況(再掲)。
筆者取材をもとにBusiness Insider Japanが作成
着々と進むGIGAスクール構想。マイクロソフト vs. グーグルのつばぜり合いは気になるところだが、そうした状況だからこそ、今後に向けたいくつかの課題も浮上してきている。
1. 学校のネット回線の整備コストは「誰」が負担するのか
写真はイメージです。
Shutterstock
1つは学校におけるブロードバンド回線(ネット回線)の整備の問題だ。
今回のGIGAスクール構想では、ネットワーク周りの整備の国費補助は「校内ネットワーク」が対象になっており、校内Wi-Fiや校内LANなどを構築する場合に対して半額を補助するという形になっている。この中には、学校をインターネットにつなぐ回線の整備は含まれない。
2020年度補正予算の中では過疎地域にある学校などが光回線などを整備するのにかかるコストを補助する予算は付いた。しかし、過疎地域ではない学校に関しては、既に持っているネット回線を利用するか、ない場合には自治体の自前の予算で整備する必要がある。
日本の教育環境では、大学などは専用線を引くなどで十分な通信帯域を確保していることが多いが、小中高、特に公立学校ではせいぜい先生が使う回線として、家庭に引かれるような光回線と同じレベルのネット回線が引かれている程度のところが多い。
生徒に一人一台のPCが行き渡り、全校生徒が同時にクラウドにアクセスするようなことになれば、回線がパンクするようなことにもなりかねない。ネット回線強化は喫緊の課題になる可能性がある。
それを校内ネットワークと同じように国費で補助するのか、あるいはそこは地方自治体独自の予算措置に任せるのか。遠からず議論を始めなければならない。
2. 個人データが別システムで引き継げない問題
複数のクラウドサービスで異なるデータ管理をどのように行なっていくかがこれからの課題。
出典:マイクロソフト「GIGAスクール構想 1 人1台、そのすぐ先に考えておくべきこと」
もう1つの課題は「生徒に配布したIDに紐付いているデータが、相互乗り入れできない」という問題だ。
生徒は成長し、いつか学校を卒業していく。場合によっては父兄の転勤で、転校していくかもしれない。その時、必ず問題になるのは、「卒業や転校していく生徒の学習データ」をどう移行させるのかだ。
これまでのアナログな教育では、紙という汎用性の高い形式で、次の学校に対して「内申書」という形である程度引き継ぐことができた。しかし、デジタルになるとそれはできない。
例えば、自治体Aの小学校ではMicrosoft 365 Educationを使っていて、その生徒が自治体Bの小学校へ転校したとする。そこがグーグルのG Suite for Educationを使っていれば……当然データは引き継げない。
また自治体Bが仮に、同じMicrosoft 365 Educationを使っていても、テナント(マイクロソフトにせよ、グーグルにせよ、IDはテナント=組織単位で管理している)が違うのでIDを引き継ぐことができないのだ。これは、ビジネスパーソンが、同じMicrosoft 365/G Suiteを使っている企業から別の企業へ転職したときに自分のデータを引き継げないのと同じだ。
このため、この転校した児童・生徒はそれまでのデータを次の学校で生かすこともできないし、以前の友達と連絡すらつかない…という事態が想定される。
せっかくデジタルになってもデータが引き継げないのは大きな問題で、「データを受け渡しを行なえるAPIの標準化や、異なるIDに個人を紐付ける仕組みが必要だ」(前出の日本マイクロソフトの中井氏)との指摘もある。
中井氏によると、日本マイクロソフトは同社が提供するAzure AD(Azure Active Directory、企業向けなどで利用されているクラウドベースのID管理の仕組み)を利用して、マイクソフトのサービスだけでなく、G Suiteなどの他社のサービスも紐付ける仕組みなどの提案を関係各所に対して行なっているという。
今後GIGAスクール構想の取り組みが本格化していけば、こうした問題が表面化してくる可能性は高い。今後文科省を始めとした関係機関で議論されていかなければならないだろう。
(文・笠原一輝)