児童養護施設出身の3人が放送するYouTube番組。当事者として発信するのはなぜ?

サムネイル

左から、ライトさん、まこさん、ブロさん

撮影:今村拓馬

当事者目線で発信する

「まこちゃんでーす」

「ブロです!」

「ライトでーす」

それぞれに名乗ると、声を揃えた。

「3人合わせて、スリーフラッグスでーす」

YouTube番組「THREE FLAGS―希望の狼煙(きぼうののろし)―」が始まった。毎回1テーマで10〜30分程度。2019年秋の第1回から半年余り、すでに26本を公開した。

2020年5月31日に投稿された、THREE FLAGSの最新動画。児童虐待問題を扱っている。

出典:Youtube「THREE FLAGS―希望の狼煙(きぼうののろし)―」より

軽いノリのオープニングとは裏腹に、深刻な社会問題を扱っている。「社会的養護(=親が育てられない事情のある子どもたちを社会で養育すること)」だ。対象となる子どもたちは、2歳まで乳児院、2歳から18歳まで児童養護施設や里親家庭などで生活する。

「児童養護施設」「里親」「一時保護所」など、毎回、社会的養護の現場にテーマを定め、個人の経験にとどまらない広い視点からの番組構成に特徴がある。

スリーフラッグスは児童養護施設での生活を体験した当事者のユニットだ。

ライトさん(西坂来人さん、34)は映像作家。絵本作家でもある。ブロさん(ブローハン聡さん、28)はモデル、タレント。まこさん(山本昌子さん、27)は保育士の資格を持つ。学童保育の指導員を経て、現在はフリーランスで講演活動や大学での講義を行っている。社会的養護で育った若者に振袖を着せるACHAプロジェクトという活動を主催する。 

JR浦和駅裏手の民家に3人を訪ねたのは5月末、非常事態宣言が解除された直後だった。児童養護施設を卒所した若者たちのアフターケア事業「クローバーハウス」。

社会的養護の期間を終えて自立に向かう若者たちの孤立を防ぎ、交わる場所として埼玉県から受託して一般社団法人コンパスナビが運営している。活動は週3回。卒所からおおむね10年までの若者が、同じ立場同士、語り合う場所だ。

クローバーハウスにスタッフとして関わっている3人は、動画のノリと変わらないくつろいだ雰囲気で現れた。

「(社会的養護の子どもたちに向けて)動きたいという思いのある人たちが何かをキャッチしてくれると信じて、僕らは風を送り出しています」

番組の構成と編集を担当するライトさんが口火を切り、3人はそれぞれに思いを語り始めた。

児童養護施設とはどんな場所なのか

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ライトさんは父の暴力を避けるために小学5〜6年の2年間、福島の児童養護施設で過ごした。

撮影:今村拓馬

児童養護施設は全国に605カ所あるが、私たちの暮らしではあまり接点がない。

一方、児童相談所への虐待に関する相談件数は2001年に比べ、2018年には13.7倍に増加。現在児童養護施設で生活する約2万5000人の子どものうち、65.6パーセントが親から虐待を受けた経験がある。

家庭が安全ではない場合、子どもには社会的養護によって守られる権利があるが、その子どもたちが預けられる児童養護施設とは一体どういう場所なのか、情報は少ない。

社会的養護の現場を当事者の視点から伝えるスリーフラッグスの番組は画期的だ。 

当事者としてのライトさんは、 父の暴力を避けるために小学5〜6年の2年間、福島の児童養護施設で過ごし、その後4人の兄妹とともに高校卒業まで母と暮らした。ブロさんは4歳から義父の虐待を受け、11歳から18歳まで児童養護施設で育った。まこさんは4カ月で乳児院に預けられ、2歳から18歳まで児童養護施設で育った。

施設を出てから感じた深い孤独

動画

THREE FLAGSのYoutubeチャンネル。3人全員が当事者として動画に参加する。

出典:Youtube「THREE FLAGS―希望の狼煙(きぼうののろし)―」より

まこさんが暮らした児童養護施設は小人数の施設で、家族のような雰囲気を大切にしていた。3人の職員がローテーションでお世話をする。可愛がられて伸び伸びと育った。いわゆる「ふつうの家庭」とは異なる環境だが、そのことに不満や引け目を感じることはなかった。

高校卒業とともに施設を卒所したときは悲しくて、一時期は育った施設の近くの公園に寝泊まりしたほど。施設を出てからの数年は深い孤独感に苛まれ、死がそばにあったという。

ブロさんは、11歳で施設に入所するまでは知人の家を転々としていたが、施設で初めて褒められる体験をし、他者から認められたい思いを満たすことができた。施設の大人たちから「1人で生きていくには安定した仕事が大事」と勧められ、卒業後は看護職へ。もともと憧れがあったわけではなかったために打ち込むことができず、自分のほんとうにやりたい仕事を模索した時期があった。

しっかり稼ぐことができていたのに家計管理がうまくいかず、経済的な苦しさも経験した。

ライトさんは、施設で2年を暮らした20年ほど前、先輩たちのほとんどが中学を卒業すると仕事に就いたことが印象に残っている。仕事が長続きせずに職を転々とする人、食い詰めて命を落とした人もいた。社会への適応に苦労する先輩に自分を重ね、少年だったライトさんは将来を恐れた。新聞奨学生度を活用して映画専門学校に学んだが、朝夕の新聞配達と学校を掛け持ちする生活は厳しかった。

「誰もが何かの当事者だから」

BROさん

親の離婚、虐待、児童養護施設などの当事者であるブロさん。

撮影:今村拓馬

「誰もが何かの当事者だと思うから」

スリーフラッグスを始めた理由について、ブロさんはこう話した。

「僕は親の離婚、虐待、児童養護施設などの当事者です。母はフィリピン出身で、子どもの頃はタガログ語が母語でしたし、父親が認知しなかったため15歳まで国籍がありませんでした。僕と全て同じ経験をした人と出会うことはないけど、何かしらの経験が重なる人とは出会う。それは相手を理解することにつながります。

虐待も当事者として悩んでいる人は多いと考えると、児童養護施設は関係のない話ではなくなるはずです。僕はいろんな経験をしている分、さまざまな当事者をつなぐ役割が果たせるんじゃないかなと思います」

振り返るには厳しい幼少期を、なぜ、このように他者と共有することができるようになったのか。

「14歳で最愛の母をがんで亡くしたとき、絶望感と同時に、虐待した義父や父親への殺意のような感情も湧きました」

その頃に出会ったのが『ハゲワシと少女』というアメリカ人ジャーナリストがスーダンで撮ったあまりにも有名な1枚の写真だった。飢餓により息絶えようとするアフリカ人の少女にハゲワシが今にも襲いかかろうとしている。地球の裏側にこれほどに過酷な状況で存在する女の子がいる、そのことを思えば、自分が生まれてきたことも、今施設で生活していることも、全てに意味があると思えた。

「この思いを持って精いっぱい自分の人生を生きて、いつか母に報告しようと心から思えるようになったんです」

長い時間をかけた自分との対話を通して、ブロさんはひとり耐えた少年期を意味ある人生へと捉え直した。

前向きに課題を共有したい

番組では3回にわたって「虐待」を取り上げた。折しもコロナ危機のSTAY HOMEで子どもに対する虐待が増えていることが報告されている。

スリーフラッグスでは「躾と体罰の境界線」を切り口に、「躾の延長としての虐待」について問題を提起。さらに1979年に世界に先駆けて子どもへの体罰を罰する法律を施行したスウェーデンの40年の変化を紹介。第3回では「親に対する周囲のちょっとした優しさが虐待を防ぐ実効力になる」と、まこさんの学童保育での保護者との関わりをもとに締めくくった。

構成にあたり、ライトさんは親の気持ちを意識したという。

「虐待はもちろんいけないこと。では、なぜ親は虐待をしてしまうのか。親の背景にあるものは何なのか。そこを考えるきっかけを差し出したい」

スリーフラッグス

虐待の背景には、貧困や虐待の連鎖など目に見えにくい社会課題が横たわる。社会的養護に関心を持つと、社会構造の問題を考えることにつながる。 

「子どもの権利」を取り上げた回では、1989年に国連総会で採択された「子どもの権利条約」を紹介しつつ、子どもには「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」があることを伝えた。ブロさんは自身の経験を踏まえ、虐待を受けている可能性のある子どもたちに向けて、「あなたの違和感を信じて、信頼できる大人を頼って」と語りかけた。

番組のトーンは常に前向きだ。

「誰かを傷つけたり批判したりすることからは何も生まれません。僕らは見てくれる人たちと一緒に問題を考え、今の当事者たちの環境を変えたい」(ブロさん)

たったひと言の言葉が誰かを傷つけることもある。台本はつくらずフリートークで進めるが、ひとつひとつの言葉を慎重に選んで話すよう気をつけているという。

認めてくれる大人がいるということ

まこさん

まこさんは自分自身がしっかりと生きることで、児童養護施設でお世話になった職員の女性の仕事を肯定したいという。

撮影:今村拓馬

まこさんには、大切な人がいる。慕っていた元職員の女性だ。施設のルールに反発するなど手のかかる子どもだったまこさんを、厳しく叱りながらも愛情深く見守ってくれたその人は、まこさんが中3のときに体調を崩して退職したが、今も交流がある。まこさんには、その人のために、という思いがあるという。

「退職後会いに行ったとき、ご自身の施設職員としての仕事について否定的に振り返るのを聞いて、違う、そうじゃない、あなたが愛してくれたおかげで私は生きているよ、と言いたかった。そのとき、私はその人の成果物のようなものだから、私がしっかりと生きることで、あなたの仕事は正しかったよと証明したいと思いました」

ライトさんは言った。

「大人が本気になれば、できないことはないと思います」

福島出身のライトさんは東日本大震災後、郡山市で復興事業に長く関わった。そのとき、心に刻んだ出来事がある。

当時、放射能の健康への影響の懸念から子どもたちは外に出られずストレスがたまり、肥満の問題も起きていた。子どもたちが思い切り遊べるようにと行政や企業の大人たちが資金を調達し、技術を集め、その年の暮れには大型の屋内遊戯施設「ペップキッズこおりやま」が完成した。そのときに見た、大人たちの一心不乱に打ち込む姿をライトさんは忘れられない。

「児童養護施設の問題も、ひとごとではないことに大人が気づきさえすれば、必ずよい方向に変えることができると僕は信じています」

支援ではなく応援

最後にスリーフラッグスによるインタビューを紹介したい。登場するのは京都の中小企業家同友会会員で、フォトスタジオを経営する前川順さんだ。

児童養護施設の子どもたちの就労支援を中心に、12年にわたって関わっている。きっかけは施設出身の若者が適職に出会えず仕事が長続きしないと聞いたことだった。番組の中で、前川さんは話した。

「小さな頃から膝に乗せていたような子がだんだん大きくなって、社会に出て行く。社会に出たらたまには一緒に酒を飲む。こんな関わりが、しんどいときの支えになればと願います」

「支援とは思っていません。応援です。好きでやっている」

スリーフラッグスによる、中小企業家同友会会員でフォトスタジオを経営する前川順さんのインタビュー。

出典:Youtube「THREE FLAGS―希望の狼煙(きぼうののろし)―」より

子どもの成長は待ったなしだ。国は社会的養護に関する予算の拡充を進めているが、完璧に整うことは不可能に近い。子どもの権利を尊重した社会的養護は、社会制度と大人たちによる網の目のようなネットワークの組み合わせによって初めて実現するものなのだろう。

スリーフラッグスが特に強調した課題は、施設の「風通し」と「就労支援」、そして卒所後のアフターケアだ。制度を外側から包むようなゆるやかな大人たちのサポートには、課題を解決できる可能性があるという。

「ちょっとした関わりが人生を変えること、あると思うんです。施設の外の大人との関わり合いによって、児童養護施設の子どもたちの社会への窓が開いたらと願います」

ライトさんの言葉を、まこさんがこうつないだ。

「だけど、与えたつもりが、与えられているんです。私自身、AHCAプロジェクトで振袖を着て喜んでくれた子たちとの関わりを通して、自分自身の存在を認めることともできている。得たものの方がずっと大きい」

スリーフラッグス

撮影:今村拓馬

(文:三宅玲子、撮影:今村拓馬)

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